告白の熱

 彼の家にプリントを届ける習慣は、高校一年の冬まで続いた。

 この間、私は彼の作った理解できない曲を聴き続け、その度に「良い曲だ。大介は天才だ」と詭弁を肯定し続けた。彼はそんな言葉を喜んで受取り続けた。

 この交友は心地良かった。

 自身の噂を広げた連中には「噂話を鵜呑みにして、何も考えられない馬鹿な奴ら」と吐き捨て、教育的正義を振りかざす教師たちには「配慮ができない木偶の坊だ」と評した。私が彼らに感じていた不快感を言語化し、嘲笑を注ぐ彼の様は天才のそれだったのだ。学校に行かず、勉強もせず、家に籠ってギターを弾いていても、その姿はあの頃と変わらず天才だった。その不変性は変化に追われる私の生活(この頃の私は人間関係に少々疲れていた。というのも、彼という友人が学校に来なくなり、そのことでクラスメイトや陸上部の連中から「お前がなんかしたんだろ」と揶揄われていたからである。それが冗談だとわかっていても、彼らの吐く不快な言葉は私の悪感情を刺激していた)から私の視線を逸らし、享楽的な生活に回帰させてくれていたのだから。

 けれども、私はこれを自らの手放すこととなった。

 二学期の終業式が極寒の体育館で終わった後、私は普段と同じように担任に呼び出された。乾燥して若干の照りを帯びた手を摩りながら、暖房の利いた職員室に入り、「ちょっと量が多いけど、今回も頼むよ」とファスナー付きのファイルを担任から受け取った。全教科の冬休み課題プリントが入っているそれはずっしりとしていて、持ち運ぶには邪魔だった。

 教室に戻り、大清掃をこなし、その年最後のホームルームを受けた。この時間中、長期休暇が目前ということもありクラスメイト達はみなそわそわとしていた。

 音では静的でありながら、態度では動的な場も、抑圧が排除されれば一気に騒がしくなる。

 ホームルーム終了後、多くの生徒たちは年末年始の予定をしゃべり合っていた。かくいう私も「初詣行くか?」と、浮かれ気分で山田と谷口に問いかけたが、山田も谷口も「恋人と行く」と私との予定を断った。私の胸中は得も言えない劣等感が溢れた。

 私は二人とともに教室を出て、三階の多目的室に向かった。部活のミーティングに参加するためだった。

 ミーティングは年明け以降の練習日程を顧問と確認し、その後に「年末年始だからと言って、あんまり羽目を外さないように」というありきたりな注意を受け、十分程度で終わった。


「あー、そういえば田部さんがお前に用があるって言ってたぜ」


 多目的室に長居する用事もなく、二人を連れて帰ろうとしたが、その歩みは山田の白々しい言葉によって止められた。


「なんで公彦に?」

「知らねえよ」


 猿芝居の山田に私と谷口は笑った。


「で、田部さんは?」

「図書室前に来てくれって」


 微かな不機嫌をうかがわせていた山田は私の了解とともに顔を明るくした。そして私に有無を言わせないように、会議室から私を押し出した。

 あの高校の図書室は、日当たりの悪い上に教室棟から遠いという理由で利用者はほとんどいなかった。

 人気のない図書室前の廊下は黴臭くて薄暗かった。長い黒髪を後ろで纏め、ベージュ色のコートで身を包んだ同級生の女子はそんな場所で、ぽつねんと私を待っていた。

「あ、あの」

 コートの袖の中で手をもじもじと動かしながら、彼女は言葉を詰まらせた。ほのかに上気した顔と緊張のために強張っている音声が何を示すのか、わからないわけではなかった。

「大丈夫?」

 高鳴る鼓動を自覚しながら私はそれに嘘を吐いた。「恥をかきたくない」という矮小な精神が私をそうさせたのだ。

 私の虚言に基づいて、彼女は深呼吸をした。

 熱を含んだ彼女の息は動悸をより激しくした。


「そ、その、好きです! 付き合ってください!」


 待ち望んでいた言葉が不器用に紡がれたとき、心は歓喜に満ちた。


「ど、どうして俺なんかに?」

「走ってる姿とかかっこいいし、何の気なしにマネージャーの仕事手伝ってくれたし、それに挨拶とかさわやかだったし……。ごめん、いろいろあって伝えきれないよ」


 彼女はすっきりした顔で、私への好意を作り出した諸印象を赤裸々に語ってくれた。私はその言葉に上気した。


「返事は?」


 照れる私と待ち望む彼女。

 立場は逆転し、私は口をぱくぱくとさせた。そこには、特別な好意を抱いていなかった彼女への不義理、この機会を逃したら女子と付き合えないかもしれないという利己的な焦燥感が影響していたのだと思う。

 利他的で利己的な矛盾する精神は、ともあれ「俺でよければ、よろしく」と告白を受託する旨を紡ぎだした。


「ありがとう」


 やっと絞り出した声で彼女はそう言うと、その小さな両手で私の右手を力強く握りしめた。やわらかくて、ひどく冷たいその手に、私は九部の喜びと一部の申し訳なさを覚えた。

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