その願いは。
その願いは。
「アンタ、何にもわかってないな」
消したいのに消せない過去、そして大切にしたいのに失ってしまった過去に思いを馳せていると、俺の手の平に居るピエールが重い口を開いた。
口調はやはり心なしかきついままだったが、いつの間にか地を這うような低い声ではなくなっていた。
だけど、どういうことだ。
確かに俺は何にも出来なかったけれど。
だけど、
「どういう意味だよ」
俺がわかってないって。何もわかっていないって。お前は一体何の話をしているんだよ、ピエール。
「だって本当に何にもわかってないじゃないか」
再びそう口にしたかと思うと、ピエールは俺の手の平から離れ自らの羽をバサバサとはためかせ始めた。
「もしもアンタが代わりに死んだとして、それでソイツが喜ぶとでも思ってんのかよ」
俺の瞳を見つめながら、ピエールは真剣な表情で静かに怒ったけれど。
でも。
「もし喜ばなかったとしても。あいつが悲しむとしても、それでも。あいつがこの世界からいなくなるよりはずっとずっと、良いじゃないか」
「アンタはまだそんなこと言ってんのかよ。前会った時にオレが言ったこと、アンタまさか忘れたのか」
「何のことを言ってんだよ」
前に言ったって何をだよ。何の話だよ。
お前は本当に何が言いたいんだよ、ピエール。
「今までに2回アンタを過去に戻したとき、アンタが何を願いそして俺がなんて答えたのか。アンタ覚えてないのかよ」
「いや、それなら覚えてる」
なんだよ、そのことかよ。そんなの覚えてるに決まってる。
だってあの時、もうあいつの笑顔をみることは叶わないのだと絶望していた俺にとって、もう一度あいつの居る世界に戻してくれると言ったこいつはまるで救世主のように見えたのだから。
何を願い何を言われたのか、しっかり全部覚えてる。忘れるはずがないじゃないか。
1回目の時は99日目にあいつと一緒にあの場所に行かないことを、2回目の時はあいつと付き合わないことを。そうすることで、あいつを救えるようにと俺はピエールに願ったんだ。
そして。
「お前は俺に言ったんだ。“未来は未定”だって」
そう言って、笑ったろ。
それ以外に何がある。なぁ、そんな怖い顔してないであの時みたいに笑えよ。そうしてこの話はもう切り上げろよ。切り上げてくれよ、頼むから。
「確かにそうだな、それも言った。だけど、俺はこうも言ったはずだ」
ダメだ、辞めろ。
辞めろよピエール、もう辞めてくれ。これ以上思い出して何になる。何にも良いことなんてないだろうが。
なぁ、そうだろう。
「アンタその様子なら覚えてんだろ。“その願いだけは叶えられない”ってオレがアンタに言ったこと」
頼むから、そんなことを思い出させないでくれ。
「過去の事実は絶対だ」
あぁ、また。またこの途方もない話を聞かされるのか。
「宇宙の未来に影響を与えない程度の範囲で手を加えるのならば何ら問題はないけれど、大きな変化をもたらすことは決して許されない。もしも未来に影響が出る変化が起きた場合、その部分はオレが修正する。そう言ったの、覚えてるよな」
嫌になるくらい途方もなくて、何が何だか分からなくなるその話。
だけど、覚えてる。嫌というほど覚えてる。
俺が微かに頷いたのを確認すると、ピエールは続けた。
「何かと何かの世界を変える、大きな出会いと大きな別れ。それだけは絶対に変えられない。しかるべき時に出会い、しかるべき時に別れるものだ。それが変わってしまったら、宇宙の未来が変化しちまう」
「出会うべきものが出会えなかったら、未来に存在するべきものが存在出来なくなり、別れるべきものが別れなかったら、別れた後の未来に出会うべき何かと出会えなくなってしまう」
あーもう、本当嫌になる。
そんなことを言わないでくれ。
どうしても今この時に、俺はあいつから離れなくてはならないのだと。そんなことを諭すように言わないでくれよ。
そんなことを何度言われたって、もし過去に戻れるというのならば、どうにかしてあいつを守りたいって考えずにはいられない。
未来なんてどうでも良いから、あいつは、あいつだけは失いたくないってそう思うことすら許されないのかよ。
「だからアンタがソイツの代わりに死んだとき、オレは修正しようとしたんだ」
それは一体どういうことだ。
もしかして、あの時。俺はあいつを守ることが出来たのか。
それなのにお前はそれを修正して、俺を再びこのあいつが居ない無意味な世界に送り込んだというのかよ。
俺が心で問い掛けると、ピエールはゆっくりと否定した。
「いいや、違う。アンタは確かにソイツの代わりに一度死んだが、それを変えたのはオレじゃない。オレは過去を修正しようとした矢先、ものすごく強い思いに再び呼び出されたんだよ」
それを聞いて、まさかと思った。
だけど、いやそんなはず……
「この1週間アンタが一緒に過ごしたアイツは、強い思いでオレを呼び寄せ、アンタを救うために過去に戻った一之瀬日菜子だ」
……そんなはずない。
そんなの、絶対嘘だろ。
なぁ。
「なんだよ、それ」
ピエールは何言ってんだ。
あいつが俺のために過去に戻るなんて、そんなことあるはずないだろ。
だってあいつは、俺とは違う。あいつが居なくなった途端に後ろ向きなことしか考えられなくなるような俺とは違う。
あいつはいつも前を向いていた。いつどんなときも、ただひたすらに前だけを見つめ続けていた。
苦しいことがあっても、辛くて悲しいことがあっても。しばらくの間深く苦しみ悲しんだって、いつかは必ず自分の力で前を見据えて進んでいける、そんな奴。
そんなあいつが、過去に戻ろうとするなんて考えられない。
「アンタがそんな分からず屋なせいで、アイツがどれだけ苦しんだと思ってんだ。アンタが居なくなったって信じたくないからと自分の心に嘘ついて、そうしてその嘘をはがした途端にどれだけ泣いたのか、どんな思いで過去に戻ったのか、どうしてわかってやれないんだよ」
息も切れ切れにそんな事を言いながら羽をバタバタとさせるピエール。
いや、待て。
「ちょっと待て」
待てよ待てよ、待ってくれよ。
それじゃあまるで。ピエールの言っていることは、まるで。
まるであいつが俺と同じ想いを、同じ経験をしたみたいじゃないか。
なぁ、いい加減嘘だと言ってくれよ。
あいつがこんなにも苦しすぎて悲しすぎて、辛すぎる気持ちになったなんて。あいつが苦しんでいたときに力になってやれなかったなんて、そんな事。
そんなの、俺には信じられない。信じたくない。
だけど考えてみれば……確かにそうだ。
一週間前のあの日。あんなにも朝早くから学校に来たのはどうしてかとか、あいつと付き合わないっていう決心を鈍らせないために教えなかったはずの俺の誕生日をどうして知ってたんだ、とか。1回目の時も2回目の時も元気だったくせになんでいきなり熱でぶっ倒れたんだ、とか。
あの1日だけでも数え切れないほどの違和感があった。
だからか。だからなのか。あの朝、俺を見るなり涙を流したのは。俺を助けるために過去に戻って来てくれたお前が、初めて俺を目にしたのがあの瞬間だったからなのか。
昨日あんなにも胸が詰まりそうな声で電話を掛けてきたのも、それが理由だったのか。
俺は馬鹿か。あいつに約束したのに。あいつにとって悪いものは全部俺が消し去ってやるって。電話口にそう、言ったのに。
そんなことを軽々しく口にしておきながら、あいつの悩みも苦しみも、何にも理解できていなかったなんて俺は本当に最低だ。
俺にすべてを打ち明けることも出来ずに、あいつは。
あいつは一体どんな気持ちで、今日あの時を迎えたのだろうか。
「アイツの気持ちが知りたいのなら、もういい加減受け止めろ」
あいつのことを考えて、際限の無い暗闇に入りかけていた俺にピエールはそう呟いた。
「アンタが変えたいと心から願うその過去は、絶対に覆すことなんて出来ないんだ」
もう、わかっている。
そんなこと痛いほどわかってる。
だけど、だからといって。“はい、そうですか”では済まされない。
俺にはどうしたってこの現実を、受け止められる気がしない。
「アイツはちゃんと、受け止められた。アンタを失ったことをちゃんと受け止めて、そうしてそれを繰り返さないために強い意志を持って過去に戻ったんだぞ。だから、だから……」
歯切れ悪くなったピエールに続きを促してやれるほどの余裕は今の俺にはなかったけれど、その代わり。ピエールが次の言葉を吐き出すまで、何も考えず黙ってじっと見守ってやることにした。
「……なぁ、桐生耀一」
ピエールが次に口を開いたのは、それから数分後のことだった。
「アンタの願いは叶わないけれど、アイツの願いは叶えられると言ったら、アンタはどうする」
「アイツの、願い?」
俺の目を真っ直ぐに見つめるピエールに、俺は思わず聞き返していた。
「あぁ、そうだ。あの時アイツがオレに願って最期まで叶えられなかった願いが一つだけある」
なんだそれ。
「一体どんな願いなんだよ」
超が付くほど明るくて、大が付くほど馬鹿なあいつ。
いつどんな時もどんなことにもめげないで、ただただ
そんなあいつが叶えられなかったなんて、一体どんな願いなんだよ。
「そう難しくはない願いだが、叶えてやれるのはこの宇宙上でアンタだけだ。だって、アイツの願いは─────────……」
そんなことを言われたら。
俺は行かないわけにはいかない。
あいつの願いを叶えられるなら。
あいつの笑顔をもう一度見ることが出来るならば。
俺は必ずそこに行く。どこへだって飛んでいく。
そこが過去でも未来でも。
たとえ再びあいつを失う苦しみを味わうことがわかっていても。
「なぁ、ピエール。頼んでもいいか」
あいつが最期の瞬間に、なんの悔いも残さずに済むように。俺に出来ることはすべてしよう。
そう心に固く誓って声をかけると、ピエールは泣きそうな笑顔を見せながら俺の背中をそっと押した。
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