想いは、不変。

想いは、不変。-1-

 雲一つない青空のもと。

 今日も私は駆け抜ける。


 大きな想いを詰め込んだ小さな袋が傷付かないよう意識しながら、普段よりも50分早く学校に着くため、いつも以上にせっせせっせと早歩き。


 鞄の中の物がシャッフルされないように気を付けながら早く歩くのはちょっぴり大変だけれども、お母さんの目を盗んでカップケーキを作ることに比べたら朝飯前だ。


 それにしても昨日は大変だったな。


 カップケーキの材料やラッピング用の袋を買ってから家に帰ると、それはそれは恐ろしい顔をしたお母さんがいた。


「日菜ちゃん。どうして帰りがこんなにも遅いのかしら」


 だって、仕方ないよね。


 桐生先輩に喜んでもらいたいって思ったら、どんなトッピングをしようかな、とかラッピングはどうしようかなとか、迷って迷って迷っちゃって。


 時計なんて気にしてなかったから、お母さんに言われるまでわからなかったんだもん。


「今9時なんだけど、どういうことかしらね、日菜ちゃん」


 そう言って笑っているお母さんを見て、初めて知ったよ。人の笑顔って、相手に恐怖を与えることもできるんだね。


 聡先輩のとはまた違った黒さを感じる氷点下100度の笑みだったよ。


 本当に怖かったよ。


「お世話になってる先輩が明日お誕生日だから、どうしてもプレゼントを作りたくって」って言ったら、ぎろりと睨まれたけどなんとか耐えたよ。


 うん、私頑張った。


 夕食抜きにされたけど。


 キッチン出入り禁止にされたけど。


 お父さん笑ってたけど。


 お母さんもお父さんも眠りについた後でそーっとそーっとキッチンに行って、カップケーキ作って、作ってたらいつの間にか朝になってて、眠れなかったけど。


 徹夜して作ってたってばれたら怖いから朝ごはんの時間になる前に家を飛び出したけど。


 空腹感も、眠気もそんなの関係ない。


 それで桐生先輩の笑顔が見れるっていうなら、ちょちょいのちょいだ。


 いつも通りの時間に先輩の教室に行くのもありだったけど、どうせ家を早く出たのなら。


 正門が開く前に学校に着いちゃおうかな、なーんて。


 だって、あの手紙に書いてあったから。桐生先輩は、毎朝7時には学校に着いて私を待ってたって。


 あの手紙の内容は本当だったって信じたい。


 意識だけで過去に戻ってきてしまった今、もう見ることはできないあの手紙。手紙に書いてあったことと先輩がいつも言っていたことが真逆すぎて、信じられないところが多いけれど、信じたいって思うんだ。


 優しくて切なくて嬉しくて、けれど悲しいあの手紙を。


 見慣れた景色の中を進み続けていくこと約20分。漸くいくつかの建物越しに学校の校舎が私の目に入ってきた。


 もうすぐ桐生先輩に会えるのだと思うと、ものすっごく嬉しい。


 口元も目もにやけているのが自分でもわかる。


 うぅ。


 こんなだらしない表情桐生先輩に見られたら、絶対変な奴だって思われちゃう。


 それは嫌だ!



 よーし、頬をつまんで、引っ張って、パチンっと放して。

 うん、夢じゃない。

 って、ちがーう。


 夢じゃないのはわかってるって。


 えーっと、えーっと。

 顔を引き締めるには、うーん。


 そうだ、両頬をパンパンって叩けばいいんだ。


 よーし、


 パン!


「お前、こんなところで何やってんの」

「ふえええええ」

「はっ。変な奴。」


 鼓膜に響く優しいテノールにつられ、私はゆっくりと振り向いた。


「桐生先ぱ……」


 嘘、だ。


 頬をつねって引っ張って、ぱっと放すと痛くって。


 わかってたけれど、やっぱり夢じゃなくって。


「きりゅ…先輩」

「なんだ、どうした」


 言いたいことは、いっぱいあるのに。あったはずなのに。

 頭が、真っ白になった。


 昨日はこんなことなかったのに。


 なんでだろう。

 どうして、どうして私は何もできないんだろう。


 肝心な時に何にも役に立たないこんな私に、未来を望む形に変えることなんてできるのだろうか。


 急に、恐くなった。

 一気にどっしりと不安が襲ってくる。


 だけど。

 それでも、今私の目の前にいるのは、まごうことなき桐生先輩。


 不意に、左頬に優しさが触れた。


「桐生先輩?」


 苦しそうな表情で私の頬に触れるのはなぜですか、桐生先輩。


 そう問いたいのに、問えない空気。


 な、ななななんだこの空気。

 確かにもともと頭の中真っ白だったけれど、うわぁ、よけい真っ白になっちゃったよ。


 どうしよう。

 どうすればいいのかな。


 うーん、えっと。


「お前、どうして泣いてんの」

「え。泣いてないですよ」


 左目から、つうーっと滴が零れるのを感じた。

 けれど、私は泣いてない。泣いちゃいけない。


「ばーか、泣いてんだろ」

「泣いてなんか――――――」


 泣いてなんかない。だって、だって泣いたらまるで、私には未来を変える力なんてないって認めるみたいじゃない。


 そんなの嫌だ。

 絶対に、絶対に嫌だ。


 桐生先輩のいない未来なんていらない。


 なのに。

 それなのに。


「泣けよ」


 そう言って私をぎゅっと抱きしめた桐生先輩のせいで、泣いていないと言うことも、流れる涙を止めることもできなくなった。


 桐生先輩は、やっぱり意地悪だ。


 私が抱き着きたいと言ったらいつも許可してくれないくせに、こんな時に抱きしめてきて、泣きたくないのに、泣けという。


 私の心を弄んで何が楽しいんですか、桐生先輩。


「なんかあったのか。悪い夢でも見たのか」


 ほら、またそうやって。優しい声で聞かないで。


 あれが夢ならどれだけ良かったことか。


 けれどあれは現実。未来にとっての過去の事実。今から私が頑張らなければ、迎えてしまう最悪な未来。


 それは嫌だ。それだけは嫌だ。


「ほら、話せ。人に話せば少しはすっきりするだろ」


 あぁ、もう。


 桐生先輩はぴよちゃんとは比べ物にならないくらいに、私を泣かす天才だ。


 どんどんどんどん涙があふれてきて、口を開くことすらままならない。


 だけど、だけどこれだけはどうしても。

 どうしても今伝えたい。


「桐生先輩」

「ん」

「お誕生日、おめでとうございます」


 私を抱きしめる力を少し緩めた桐生先輩が、笑顔を見せてくれたのか、驚きのあまり目をまん丸にさせたのか、確かめる前に意識が途切れた。

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