第12話 静けさに咲いた、ひとひらの願い
《変わり始めた世界》
朝の光が、ビルの谷間をゆっくりと滑り降りていく。
街を行き交う人々の中に、当たり前のように異界の姿がある。
耳が尖った者、肌の色が淡い藍の者、背に花のような器官を持つ者——
誰もが一瞬だけ視線を向けては、すぐにスマホや会話に戻っていく。
交差点に立つ大画面モニターには、政治家が真剣な面持ちで語っていた。
「……登録制度において、差別的運用があったことは否定できません。
共生のための見直しが、今まさに求められているのです」
その映像の下で、異世界語による字幕が流れている。
無機質だった都市の放送に、少しだけ彩りが混じった。
改札を通り抜けるとき、電子音に混じって別の響きが聞こえた。
「——Welcome.」「ルティ・サーナ・フィル。」
かつて“対処対象”だった言語が、今は“歓迎の言葉”として添えられている。
まだ混乱も、偏見も、完全には拭えない。
けれど、それでも確かに、世界は“変わり始めていた”。
その流れの中で、二つの足音が並んで歩いていた。
《ふたりで歩く、その先に》
舗装の継ぎ目に、雨の名残が滲んでいた。
濡れたアスファルトが陽に照らされて、白く霞んでいる。
その上を、ふたりの足音が並んでいく。
制服姿の
「……陽射し、強くなったな」
「夏だからね」
即答するフィア。その声は相変わらず平坦だったが、どこか肩の力が抜けていた。
「制服、暑くないか?」
「アンタこそ。全身黒ずくめで、よく平気ね」
思わず顔を見合わせ、わずかに口元が緩む。
交わす言葉は軽口。しかし、その裏に漂うのは、静かな安心感だった。
「今日の任務、街区G-2だったな」
「そう。簡易調査と、念のための警戒。符はいつもどおり、準備済み」
無駄のない会話。だが不思議と、硬さはなかった。
歩調も、呼吸も、揃っている。
「……慣れたな、こうして歩くの」
風間がふと呟く。フィアは前を向いたまま、一拍おいて答えた。
「慣れることが、悪いとは思わない」
「そっか」
街は日常を取り戻しつつある。
けれど、完全な静けさではない。
その“かすかなざわめき”の中を、ふたりは進んでいく。
《託すもの、受け取るもの》
任務は、何事もなく終わった。
報告を済ませたあと、ふたりは無言のまま歩いていた。
夜風が、湿った舗道の匂いを運んでくる。
灯りの落ちた通りを抜け、人気のない階段に差しかかる。
フィアが立ち止まった。
「……ちょっと、いい?」
振り向かず、そう言った。
それは、小さな符だった。
淡く光を帯びたそれの表面には、五七桜の意匠が、ひっそりと刻まれている。
「これ」
フィアが差し出す。
「預かってくれる?」
言葉はいつもの調子だった。感情の起伏はほとんどない。
けれど、その指先だけが、ほんの少しだけ、震えていた。
風間は何も言わず、それを受け取る。
指が触れ合う、ほんのわずかな時間。
その間に、ひとひらの風が吹いた。
桜の季節はとっくに過ぎたはずなのに、空気の中に、それを思わせる気配があった。
「……ありがとな」
そう呟くと、
フィアは短く頷くだけで、再び前を向く。
未来の約束は、言葉にならない。
でも、それで充分だった。
ふたりは、また歩き出す。
何かが静かに、手渡されたまま。
境界に咲いたのは、帰れない僕らの居場所だった 如月ユウ @you_kisaragi3d6
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