憎悪焼き

紫鳥コウ

憎悪焼き

 村の集合墓地の管理費の集金に来た山井やまいさんが熱弁をふるって言うには、一か月前に移住してきた野口のぐちさんが、墓を持っていないという理由から支払いを拒否しているとのことで、今日に至っては警察を呼ぶと門前払いを受けたらしい。

「管理費は将来的な積み立てなんやからさ。業者さんに草刈ってもらって、樹やらなんやらってもらってさ、みんなで墓地を守っていこうっていうもんやんか。そうせんと、野口さんだって、墓を建てるてなったときに困るんやからさ。そうやと思えば、丹羽にわさんはこうしてちゃんと払ってくれとるんやさかい、ほんま見習ってほしいもんや」

 眼鏡の奥に怒りに震える両眼が座っている。鼻の頭の真っ赤なできものが痛そうだ。白髪をツバの曲がった帽子で隠してジージャンを着ている。そんな山井さんの愚痴を相槌あいづちを打ちながら聞いていると、弁舌はもう止まらなくなってきた。

 それを見かねてか、柚巴ゆずはが奥から出てきて、「仕事場から電話がきてましたよ」と助け船を出してくれた。「んなら、お邪魔しようかね」と言い、鼻を鳴らした山井さんに、千円札を七枚渡した。指を唾液で濡らしたかと思うと、その場で枚数を数えはじめた。

「ちょっとヨレてしまっていますけど」

「けっこう、けっこう」

 数え終わった山井さんは、玄関の扉を後ろ手で閉めて行ってしまった。

 ようやく解放されたことに安堵してため息を吐くと、柚巴が「お疲れ様」と声をかけてくれた。

「野口さんは都会にいたから、こういうのが嫌いなのかもしれないわね」

「聞いてたの?」

「聞こえてきたのよ。山井さんは声が大きいから」

「都会にいようがいまいが、そんなのあまり……」

「あまり?」

「いや、なんでもないよ」

 野口さんの気持ちは分からないではない。しかし、山井さんをはじめとした、この村のひとたちにうらまれたらかなわない。そうしたおびえから、唯々諾々いいだくだくと七千円を払ったのだが、また転勤をすることになれば引っ越しをするわけだから、山裾やますそにある集合墓地に骨をうずめるということはないだろう。

「ところで、また同窓会の知らせが来てたわよ」

「同窓会?」

「ええ、そこにハガキが……」

 柚巴はそう言い残して、裏庭に洗濯物を干しに行ってしまった。と思ったら、ざあざあと音を立てて勢いよく雨が降りはじめたのが、窓の外に見えた。どうやら、洗濯物を取り込みにいったというのが正しいようだ。柚巴の手伝いをしようと立ち上がるとともに、精巧に作られた偽の招待状をティッシュペーパーの下に隠した。

 稲妻いなづまとどろきをはらんだ雨雲が、庭のあちこちから光らしい光を一斉いっせいに奪い去った。いつからか庭の隅に咲いた名も知らない花は、神妙にかしらを垂れていた。


 ぼくは同窓会に行くふりをして、南空みそらの家に上がりこんだ。深く沈みこむのがかえって居心地の悪いソファーに腰を下ろし、酔いの力があるとはいえ、まぎれもなく理性にって、大胆かつ奔放な愛情表現を彼女に向けた。

「そんなにわたしが恋しかったの?」

「南空が恋しいくらいには、ぼくも恋しかったんだよ」

「なんだか、言葉遊びみたい」

「量や質に大小があるというんじゃなくて、量と質がふたりとも同一だということだよ」

「ふうん。よく分からないけど。それで、あなたはこれからどうするの?」

 ぼくはそう言われてしまうと、柚巴と離婚をするという選択肢が消えてしまうのが常だった。南空にうながされるがままに柚巴のもとを離れるというのは、なんだか情けないことのような気がしてしまうのだ。

 そんなちっぽけなプライドを、捨てきることができない。目の前で挑発的な微笑を隠すことをしない、ぼくの反応を楽しんでいる南空が、高校生のときの元恋人だということも関係しているのかもしれない。

 南空はぼくより優秀な学歴を踏み、いまは某省庁で働いている。その容姿は万人に一人しか持ちえない天稟てんぴんの美しさを誇り、富裕な農家の生まれであることから、小学生のころは、ヒエラルキーの一番上に座して、侮蔑と嘲笑の眼でぼくたちを見下していた。

 しかしその眼差まなざしが、ぼくに反感よりも悦楽を与えはじめたのは、中学二年生くらいのころからだった。

 ある日、美術室で描いていたぼくの絵を、廊下から見た南空が、ヘタだと批評してきたのが、たまらなく気持ちよく感じたのだ。

 いま考えると、中学一の美少女である南空の関心をいているということが、ぼくの自尊心を満足させていたからなのかもしれない。そして声をかけられるたびに、南空の容姿のことを強く意識してしまい、思春期特有の豊かな想像力を働かせて、性の対象として見ることを余儀なくされてしまった。

 南空から見下され続けるほど、彼女との関係を妄想の世界で操作するための材料を得ることができるという、その利害関係のようなものが、当時のぼくの脳内と生活様式を支配していた。

 しかし、高校生になると、それは真っすぐな恋愛感情へと調教されてしまった。

「あなたのことが好きだから、ああやって声をかけてたんだけど」

 という南空の言葉によって、当時のぼくの邪な態度は反省を迫られた。そして、その反省というのは、南空をなにより尊重しひたむきな愛を向けることへと転化された。それでも、大学進学とともに離ればなれになり、自然と関係は解消された。

 それなのにぼくたちは、高校生のときの担任の教師の葬式で再会し、不倫関係へと突入してしまった。

 セレモニーホールの外で、秋の風にあたっている南空を見たとき、彼女を夫から奪わなければならないという欲望に駆られた。そしてぼくは、彼女を夫から奪うことに成功したのだが、自分の妻を裏切るという選択は、いまだに出来ないままでいた。

「また今度、メッセージを送るわ」

「もう同窓会は苦しくなってるね」

「分かってるわ。まあ、楽しみにしておいてちょうだい」

 あのころと変わらない挑発的な微笑は、ぼくに反感と快感を同時に与えるに足りるものだったが、やはり反抗心の火種は宿らざるをえなかった。しかしそれが大火に発育する見込みは、まったくなかった。

 こちらは反抗心を忘れてはいないのだと、完全なる従属はしていないのだと、雄々しい虚勢きょせいを張った顔をしながら、南空の家を出た。

 南空の香りや唇の感触により蝕まれた理性に、むちを打ちながら。


 なんだろう、この騒がしさは。

 柚巴と愛を育んだあとの眠りは浅かった。その浅い眠りを揺すぶる家の外の喧騒けんそうに起こされて、窓のカーテンを開けてそっと様子をうかがった。

 すると目に飛び込んできたのは、夜を焼こうとするかのように勢いよくたぎる火の塊だった。その赤塊せっかいは、暗がりのなかに沈殿した畑の向こうにある、林の裏に滞留たいりゅうしていたはずの静寂を犯していた。

 野口さんの家か、山井さんのところか、それともどちらでもないのかは、いまは分からない。

 しかしぼくが、爛々らんらんと星のきらめく夏の月夜の下で、風に揺すられながらも、泰然たいぜん囂々ごうごうと燃え、あられのような火花を散らす、憎悪を孕ませた炎を見ながら、恍惚こうこつとした表情をしているというのは、隣にいる柚巴の戸惑いの視線から、推量することができた。

 美の極致にあるものというのは、道徳でも正義でもなく、醜悪な外形をしながらも藝術性を懐刀ふところがたなにした観念なのではなかろうか。

 ぼくはいま、永年迷い続けた決断を下すことに、躊躇ちゅうちょを感じることができなくなっていた。それだけでなく、冷酷で残虐に振る舞う自分の姿を想像し、そのあまりの悦楽に肌のおもてを甘美な稲妻で震わせた。



 〈了〉

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

憎悪焼き 紫鳥コウ @Smilitary

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ