憎悪焼き
紫鳥コウ
憎悪焼き
村の集合墓地の管理費の集金に来た
「管理費は将来的な積み立てなんやからさ。業者さんに草刈ってもらって、樹やらなんやら
眼鏡の奥に怒りに震える両眼が座っている。鼻の頭の真っ赤なできものが痛そうだ。白髪をツバの曲がった帽子で隠してジージャンを着ている。そんな山井さんの愚痴を
それを見かねてか、
「ちょっとヨレてしまっていますけど」
「けっこう、けっこう」
数え終わった山井さんは、玄関の扉を後ろ手で閉めて行ってしまった。
ようやく解放されたことに安堵してため息を吐くと、柚巴が「お疲れ様」と声をかけてくれた。
「野口さんは都会にいたから、こういうのが嫌いなのかもしれないわね」
「聞いてたの?」
「聞こえてきたのよ。山井さんは声が大きいから」
「都会にいようがいまいが、そんなのあまり……」
「あまり?」
「いや、なんでもないよ」
野口さんの気持ちは分からないではない。しかし、山井さんをはじめとした、この村のひとたちに
「ところで、また同窓会の知らせが来てたわよ」
「同窓会?」
「ええ、そこにハガキが……」
柚巴はそう言い残して、裏庭に洗濯物を干しに行ってしまった。と思ったら、ざあざあと音を立てて勢いよく雨が降りはじめたのが、窓の外に見えた。どうやら、洗濯物を取り込みにいったというのが正しいようだ。柚巴の手伝いをしようと立ち上がるとともに、精巧に作られた偽の招待状をティッシュペーパーの下に隠した。
ぼくは同窓会に行くふりをして、
「そんなにわたしが恋しかったの?」
「南空が恋しいくらいには、ぼくも恋しかったんだよ」
「なんだか、言葉遊びみたい」
「量や質に大小があるというんじゃなくて、量と質がふたりとも同一だということだよ」
「ふうん。よく分からないけど。それで、あなたはこれからどうするの?」
ぼくはそう言われてしまうと、柚巴と離婚をするという選択肢が消えてしまうのが常だった。南空に
そんなちっぽけなプライドを、捨てきることができない。目の前で挑発的な微笑を隠すことをしない、ぼくの反応を楽しんでいる南空が、高校生のときの元恋人だということも関係しているのかもしれない。
南空はぼくより優秀な学歴を踏み、いまは某省庁で働いている。その容姿は万人に一人しか持ちえない
しかしその
ある日、美術室で描いていたぼくの絵を、廊下から見た南空が、ヘタだと批評してきたのが、たまらなく気持ちよく感じたのだ。
いま考えると、中学一の美少女である南空の関心を
南空から見下され続けるほど、彼女との関係を妄想の世界で操作するための材料を得ることができるという、その利害関係のようなものが、当時のぼくの脳内と生活様式を支配していた。
しかし、高校生になると、それは真っすぐな恋愛感情へと調教されてしまった。
「あなたのことが好きだから、ああやって声をかけてたんだけど」
という南空の言葉によって、当時のぼくの邪な態度は反省を迫られた。そして、その反省というのは、南空をなにより尊重しひたむきな愛を向けることへと転化された。それでも、大学進学とともに離ればなれになり、自然と関係は解消された。
それなのにぼくたちは、高校生のときの担任の教師の葬式で再会し、不倫関係へと突入してしまった。
セレモニーホールの外で、秋の風にあたっている南空を見たとき、彼女を夫から奪わなければならないという欲望に駆られた。そしてぼくは、彼女を夫から奪うことに成功したのだが、自分の妻を裏切るという選択は、いまだに出来ないままでいた。
「また今度、メッセージを送るわ」
「もう同窓会は苦しくなってるね」
「分かってるわ。まあ、楽しみにしておいてちょうだい」
あのころと変わらない挑発的な微笑は、ぼくに反感と快感を同時に与えるに足りるものだったが、やはり反抗心の火種は宿らざるをえなかった。しかしそれが大火に発育する見込みは、まったくなかった。
こちらは反抗心を忘れてはいないのだと、完全なる従属はしていないのだと、雄々しい
南空の香りや唇の感触により蝕まれた理性に、
なんだろう、この騒がしさは。
柚巴と愛を育んだあとの眠りは浅かった。その浅い眠りを揺すぶる家の外の
すると目に飛び込んできたのは、夜を焼こうとするかのように勢いよく
野口さんの家か、山井さんのところか、それともどちらでもないのかは、いまは分からない。
しかしぼくが、
美の極致にあるものというのは、道徳でも正義でもなく、醜悪な外形をしながらも藝術性を
ぼくはいま、永年迷い続けた決断を下すことに、
〈了〉
憎悪焼き 紫鳥コウ @Smilitary
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