火焔の華

小野塚 

紅の 色は識らねど 焔立つ


  とても暑い日だった。


いや。特別に暑いなどという認識は、

あまりなかったのかも知れない。

 夏は 暑いもの という感覚が既に

身に付いていたからだろう。


飽きもせずに鳴く蝉のこえが、細い

路地のあちこちから聞こえる。

 小さな三叉路には、お地蔵様の祠が

あって、そこから先は迷路の様な

高い塀が其々の家屋敷を囲っていた。

塀の内側には大抵、庭木が植えて

あるから、これ見よがしに蝉たちが

まってはかまびすしく鳴いているのだ。


蝉たちの聲は、いつしか幻の静寂しじま

結んでは、白日の中ぽっかりと空いた

 うろ を幾重にも創り出して行く。

夏の日差しは手を緩める事を知らず

頭上で、焦り焦りと輝いている。


 目をすがめて見ても、残像が残った。



学校は、暫く夏休みだった。しかし

この炎天下、好んで表に出る者は誰も

いないだろう。


僕は昔から 変わった子 だった。

いや、周りから『変わった子』だと

言われて育ったから、いつの間にか

自分でも、そう思う様になったのかも

知れないけれど。


友達は沢山いた。けれども

去年、他所から転校して来た子の

不興を買って、僕の世界は一変した。

 でも、それもどうでもいい事だ。

寧ろ、良かったと思っている。




迷路の住宅地から抜け出すと、そこも

又、小さな路地のある住宅地だった。

何を思ってそうしたものか、僕は

今まで行った事もない細い道の先へと

どんどん足を進めていた。


相変わらず夏の日差しは遥か頭上に

って、地上の其処彼処そこかしこを焦り焦りと

焼きなめしている。夏草の匂いが時折

鼻を掠めては雑木林の柳のか細い枝を

惰性で揺らして行く。



「……。」


それは、忽然と目の前に現れた。

赫々とした焔に包まれた二階建ての

家屋敷が、天上の夏の陽に更に

炙られて


      燃えていた。



撥々パチパチと乾いた音を立てて燃えている

幻想は、直ぐに風鈴の ちりん と

いう涼やかな音で霧散して行く。



焔だと思ったのは 花 だった。

赫々とした焔の様な花が、庭に屋敷に

所狭しと蔓延はびこっている。

「…凄い。」思わず、独りちる。

赫々とした花は蔓性の植物の様だ。

庭の中まで地を這う蔓が重なり合って

赫い火焔の花を山程付けていた。

 それだけでも物凄いのに、花の蔓は

屋敷の壁を伝って二階の屋根にまで

達していた。




「何をしているの?」



「?!」後ろから突然、声を掛けられ

僕はハッと飛び退いた。



振り向くと、そこには白い着物姿の

女の子が立っていた。

 一瞬、着物だと思ったが、どうやら

それが 白いワンピース なのだと

分かると、僕は更に戸惑いを覚えた。


「うちに、何か御用ですか?」

年の頃は多分、僕とそう変わらない。

淡々としたしゃがれ声で彼女が問う。

「…あ、いや……あの花が。」

嘘ではなかった。屋敷を覆い尽くす

赫い花に茫然自失となっていたのだ。

「あれは、凌霄花のうぜんかずら。」「え。」

「あの花の、名前です。」彼女は

昏い瞳で僕を見据えていたが、



 何も映していなかったのだろう。



彼女の名前は ミチカ といった。



何やら 複雑な事情 がある様で

父親はおらず、母親と二人きりで

暮らしているのだという。


今まで住んでいた家が去年の暮れに

放火に遭って全焼し、取るものも

取り敢えず、丁度 空き家 だった

この家に越してきたのだった。


火事は、彼女の家を奪っただけで

なく  をも奪って

しまった。ミチカは全身に酷い火傷を

負っていて、顔の下半分にまでその

痛々しさが残る。白いワンピースが

着物に見えたのは、本来ならば素肌が

出ている部分に白い包帯が巻かれて

いたからだ。


屹度きっと、他人に見られるのは嫌だろう。

けれども彼女は、そんな感情すらも

焼失してしまったかの様に、何処か

遠くを見ていた。



一方、僕はと言えば。



ミチカに会いに行く事が多くなった。

燃え立つ様な凌霄花の咲き乱れる

彼女の家に、スケッチブックや図鑑、

虫取り網を持っては出かけて行った。

会えるかどうかは、謂わば  の

様なものだったけれど。



ミチカが外に出る事は少なかったが

人通りの途絶える炎天下の正午過ぎや

陽が落ちて昏れなずむ頃、ふらりと

家を出て、宛も無く彷徨さまよう。

 むしろ、火事に遭う前の方が外には

出られなかったと言うから、きっと

彼女は気の向くままつましい自由を

謳歌しているのだろう。


僕は、その  を捕まえに

かの細い路地を抜けて行った。



凌霄花の家に越して来る前のミチカは

外に出る事を母親からとても厳しく

禁じられていたのだ。


その母親も、火事の後遺症のせいか

屋敷の奥で寝たきりらしい。

ミチカは、たった独りでそんな母親の

世話をしていた。想像もつかない壮絶な

看護を、年端も行かない彼女が淡々と

こなしている。そんな強さと健気さが、

僕に衝撃を与えたのは言う迄もない。


それ以上に。彼女の持つ不思議な

雰囲気に、次第に僕は自分自身の至極

プライベートな事。学校であった嫌な

事や、家での忿懣ふんまんまでも、ついつい

口にしていた。




貴方は、強い武将の生まれ変わり。



ミチカは僕にそう言った。油断が

命取りになるから 追い風 にこそ

警戒する様に、という彼女の助言は

実は、ことごとく的を得ていたのだ。








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