ワンモアラストチャンス!

 程なくして、パドック内に騎手の人たちが姿を見せた。


 場内に入って一礼すると各々が騎乗する馬の元へと駆けていく。

 これで下見は終了ってことかな。


「ここまでがパドックでの一連の流れになります。次は本馬場入場と返し馬ですね。ここもパドックと同じく馬のコンディションを見定める為の重要なポイントになりますよ」


「へえ……ところで本馬場入場と返し馬ってなんですか?」


「おっと、そこからでしたか。それでは、さっきのレースの際に一度見てるかと思いますが、実際に見ながら改めて説明させていただきますね」


 行きましょうか、と建物の脇を通る秋樫さん。

 その後を着いていこうとして、一瞬視界の端に驚愕する有田くんが見えたような気がするけど、まあよしとしよう。


 建物の脇——さっきまでいた庭園らしき場所の前を通り、コースに繋がる通路の出口付近まで歩いたところで秋樫さんは一度足を止めた。


「ここがグランプリロード。"はなみち"なんて呼ばれ方もしてますね。勝負に向かう馬と騎手は、ここを通って馬場……コースの中に入っていきます。これが本馬場入場ですね。これほど間近で本馬場入場を見ることができるのは、中山競馬場ならではの特徴だったりします。それから、ウォーミングアップがてら軽く走って待機所まで向かうことを返し馬と言います」


「なるほど、そういうことだったのか」


 要するに選手入場とアップみたいなものか。

 まあそうだよね、やってることはスポーツ選手と変わらないわけだし。


 ようやく理解できたところで、グランプリロードの奥にある地下通路からさっきパドックにいた馬たちがやって来た。

 傍ら、秋樫さんの競馬講座が続く。


「パドックでは競走馬単体のコンディションチェックが目的でしたが、本馬場入場と返し馬は、どんな走り方をしているかの他に、馬と騎手の息が合っているかも大事なチェック項目に入ります。この時点で騎手と馬が上手く折り合えていないとなると、レースでも十分なパフォーマンスを発揮できない可能性が高くなるので、その馬の馬券の購入は控えた方が良いかもしれません。……とはいえ、パドックと同様にここでの評価も結果に繋がる訳ではなく、最終的な判断は前走までのレース結果や追い切りの内容と併せて多角的に考える必要がありますし、それに返し馬一つ取っても、観客からは一見折り合えているように見えていたとしても、実際は全然そんなことなかったり、その逆もまた然りで——」


 おお……途中から早口になって何を言ってるのかよく分からなくなってきたぞ。

 それにしても秋樫さんって、競馬のことになるとこんなにも饒舌になるんだ……。


 もう話には全くついていけてないが、活き活きと競馬について語る秋樫さんは、見ていて新鮮でなんだか楽しい。

 会社だとずっとお淑やかな一面しか見せてこなかったから、そのギャップもあるのかもしれない。


 とりあえず秋樫さんの解説を聞くだけ聞きつつ、騎手を背にした馬たちがコースの中に入っていくのを眺めることにする。

 入場を終えた馬たちは芝のコースを横断すると、白い砂が敷き詰められたコースに入り、スタンドとは反対側にある待機所へと走って行った。


「あ、今回は砂を走るんだ」


 何気なく呟いた直後、


「そうなんです!」


 秋樫さんが食い入るように反応した。


「これから走るレースは1勝クラス、ダート1200m——本日の最終レースとなります。先ほど行われたメインレースで馬券を飛ばした人が負けを取り返す為に勝負をかけることが多いレースだったりします。それと勝った人は勝った人で倍プッシュを狙ったりもしてますね。まあ、それはいいとして、つまり……私にとっては、最後に残された逆転のチャンスでもあるのです!」


「な、なるほど。……というか、秋樫さん……その、今回も買うんですね。馬券」


「当然です! 10レースも11レースも負けてもう三万円近くが飛んでいってしまいましたが、ここで勝つことができれば、一気にプラス収支に変わりますので……!」


 これは……うん、とても良くない考え方だ。

 ギャンブルに疎い僕でも流石に分かる。

 なんというか、ソシャゲのガチャを回すために課金する時の有田くんみたいだ。


 有田くんもガチャを回す時、


『前回のガチャは天井行ったから、今回は無料分の石で出るはず……! よっしゃ、回すぜ!』


 とか言ってたけど、結局、僕の目の前で五万円溶かしてたことあったし。

 負けた分を取り戻すって考えは危ないと思うんだけど……とはいえ、僕が口を挟むことじゃないか。

 お金の使い方は人それぞれだしね。


 そんなことを考えつつ、待機場所に向かう馬たちを観察していれば、あっという間に出走する十六頭全ての返し馬が終わった。

 僕にはただ元気よく走っているようにしか見えなかったが、秋樫さんとしては何か収穫があったようで、取り出したタブレットに視線を落としながらうんうんと頷いていた。


「以上が本馬場入場と返し馬になります」


 それから秋樫さんは、タブレットをバッグにしまって僕に体を向けると、にっこりと笑顔を浮かべてぱんと手を叩いた。


「——さて、返し馬まで見終わったことですし、お待ちかねの馬券購入といきましょうか!」

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