ワタリガラスと邪眼の王女〜暗闇の中でも光り、羽ばたけ

櫻井金貨

第1話 暗殺者

「やめて! 塔へ戻さないで! お父様、お義母様———!!」


 少女の必死な叫び声が、灰色をした、古い石造りの塔にこだました。


「かまわん、さっさと閉めろ!」

「は、しかし……」


 命令された騎士は困惑して顔をしかめる。


 騎士の手から逃れようと、必死に暴れているのは、地味な茶色のドレスを着た少女だった。


「お願いです、どうかもう一度、もう一度だけ国王陛下にお目通りを……」


 ミルクティ色のやわらかそうな髪が、ふわりと揺れ、メガネ越しに見える大きな瞳が涙でうるんでいた。


「おい、目を見るな!! さっさとドアを閉めろ!! 命令だ!!」


 騎士ははっとして顔を背けた。

 ぐっと口を引き締めて、少女をドアの向こうに突き飛ばした。


「王女殿下、失礼いたします……っ!!」

「きゃあっ!!」


 どさりという重い音。

 続いてがしゃん!! と大きな音が響いて、鉄製のドアが閉ざされ、鍵が回る音がした。


「アドリアーナ王女殿下」


 小さな声がした。


「イルザ……」


 暗がりの中で、小さな手がそっと、アドリアーナが起き上がるのを助けてくれている。


「王女殿下、大丈夫ですか? さあ、一緒にお部屋へ行きましょう。わたしがご一緒します」

「ありがとうイルザ」


 ミルクティ色の髪の少女が立ち上がった。

 少女を助けるのは、少女よりは少し年上。

 栗色の髪を肩で切り揃えた少女だった。


 二人の少女は、手を取り合うようにして、塔の階段を上がって行く。


 イルザと呼ばれた少女は、ミルクティ色の髪の少女をそっと塔の最上階の部屋に連れて行く。


「アドリアーナ王女殿下、お夕食は、いつものお時間にお持ちします」

「……ありがとう、イルザ。今日は、エリーズは、来る?」


「いいえ」


 イルザが気の毒そうに言った。


「今日は、誰も来ません。……わたしもこれで失礼いたします」


 ガチャリ、と音がして、鉄製のドアが閉まった。

 イルザが静かに鍵をかける。

 そしてゆっくりと塔の階段を降りて行った。


 部屋の中では、ミルクティ色の髪の少女が疲れきったようにのろのろとベッドに向かっていた。


 体が重かった。


 頭の中では、人々の声ががんがんと響き続けている。



『あなたのそのメガネ。なぜかけたままなのだ? あなたの瞳の色は? 何色なのか、知りたい』


『わたくしの瞳の色は、赤、でございます』


 深い沈黙。


『ただ、メガネを取って、殿下にお見せすることはできません』

『なぜ?』


『我が国では、赤い眼は邪眼とされ、邪眼で見られた者は不幸に見舞われると言われています。そのため、わたくしは常にメガネをかけて目を覆うように、しております』


 少女はベッドに体を横たえる。

 気がついて、テンプルにひもを引っかけて頭の後ろで結び、しっかりと顔に固定したメガネを、そっと顔から外し、ベッドサイドテーブルの上に置いた。


 ミルクティ色のまつげに囲まれた、赤い瞳が瞬いた。


『その件はとても大切なことだと思うが。仮にも婚姻を結ぼうという相手に対して、邪眼について何も知らせないのは、誠実な態度と言えるだろうか?』


 イグレシアスはじっとアドリアーナを見つめた。


『我がグランデルマール王国では、邪眼は聞いたことがない。赤い瞳を持った者も、私は見たことがない。邪眼かどうか見極めることが難しいのはわかるが、他者に不幸をもたらす可能性があるのに、そのまま未来の夫に何も告げずに嫁ごうというのは、どうだろう?』


『アドリアーナ殿との婚約は、破棄させていただく』


 少女は眼を閉じた。

 ゆっくりと涙がこぼれ落ちる。


(ごめんなさい、イグレシアス王子殿下。ごめんなさい、お父様。ごめんなさい、お義母様)



 スターリング王国の宮殿の一角には、『忌みの塔』と呼ばれる塔が建っている。

 叛逆した、あるいは何らかの理由で追放された王族が幽閉される塔だ。


 王国の第二王女アドリアーナが幽閉されているこの塔に、やがて死神が訪れることになる。


***



 その日の夜遅くのこと。


(空気が重い)


 バサバサッと音を立てて、黒く大きなワタリガラスレイヴンが宮殿の敷地をぐるりと囲む外壁の上にそびえる塔から夜空に飛び立っていく。


ワタリガラスレイヴン? この国を守るとされている存在だ。特に忌みの塔には多く棲みついていると聞いたが、ずいぶんと多いな)


 全身黒一色の男が一人。

 忌みの塔を前に、殺風景な中庭にたたずんでいた。

 彼の名前は、レイヴン。


 黒の服に黒い髪。夜空を見上げる目だけが、宵闇のような、深い藍色をしている。

 しかしこうこうと輝く満月を忌々しげに見上げると、目から下を覆う布を、改めてきっちりと顔に巻き直した。


 それも無理ないことかもしれない。

 布に覆われていない目もとの肌を見る限り、どう見ても異国の者としか思えない、濃い色の肌をしていたからだ。


 この仕事は簡単なように思われた。


『忌みの塔に幽閉されているアドリアーナ王女を殺害せよ』


 それが、闇ギルドに属する暗殺者であるレイヴンに与えられた仕事だった。


 生まれてからすぐに忌みの塔へと連れて来られた王女。

 外の世界を知らない、まだ十七歳の少女に何ができるだろう?


 その時だった。


「あなたは、どなたですか?」


 小さな声がした。


 背後を取られたことに驚きながらも、レイヴンは左手を短剣にかけ、ゆっくりと振り返った。


 レイヴンの後ろ、手を伸ばせば届くか届かないかくらいの距離に、一人の少女が立っていた。


 いくぶん痩せた体に、地味な茶色のドレスを着込んでいる。

 色白な肌。

 小さな顔。

 まるでミルクティのような、ベージュの長い髪。

 眉の上に短い前髪を下ろし、薄く色のついた不思議なメガネをかけている。


 レイヴンは目を見開いた。


「おまえこそ、誰だ? ここで何をしている?」


 少女は茶色いドレスの裾をちょこんとつまむと、優雅に腰を落とした。


「わたくしはアドリアーナと申します。わたくしは———夜の散歩をしているところです」

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