僕が産まれ落ちた日

 僕が産まれた日は春の桜が、暖かな陽射しに照らされて幸せというカタチが溢れようとしている季節だった。


昔に一度だけ写真を見たことがある、母の腕に抱かれ僕はしわくちゃな赤い顔をさらに赤くさせ、涙を流し産声をあげた。


写真の母は幸せそうに微笑んでいた、僕が見たことのない母のその表情に違和感のような、なんだかもどかしい気持ちになったことも覚えている。

父は僕の小さな時に家を出た。度重なる不倫と僕に対する暴力が増してきたからだった。しかしその当時の僕は、好きだった父がそんな人間だとは思いたくはなかったのだろう、母が全て悪いのだと思った。思うだけならよかったのかもしれない、言葉にした。


大人になるにつれその言葉を謝りたくて、けれど幼い頃に母に突き刺したその言葉は深く、とても深く傷つけて、母の何かを狂わせていた。

小学生になった日、何年経とうと心から消えないあの日の記憶。

桜並木の中、ピカピカに光る新しいランドセルと着慣れてはいない一張羅という小さな服と、小さな新しい靴を履き僕は母と手を繋いでいた。

周りも皆、同じだった、けれど違うのは僕の左手は誰の手にも触れず空をきっているということだけだった。

その皆とは違うということに、僕が初めて劣等感という感情を抱いた日でもあった。

母を見上げた。母にも同じ感情が、いやもっと他の感情があったのかもしれない。

僕の耳に届いた一言。


「この子さえいなければ私だって」


最初はよく分からなかった、凄く不安になり、怖くなり、悲しくなったことは覚えている。

小学生中学年になるとその時の言葉の意味が分かるようになってしまった。

あの時の母は、その言葉を口にしてしまった自身に気がつき、恐る恐る僕の方に目を向けた。

僕は笑えていたのだろうか、泣いてはいなかったと思う、あのあとどうやって帰ったのかもしれない、何を食べたのかも全く覚えていない。


僕は昔はとても物覚えが悪かった、おまけに早生まれだったから周りよりも体も小さかった。

そんな僕に母は厳しく教育をした。

九九が言えない僕を、風呂場で全て言えるまで上がらせてはもらえなかった、何時間でも、それこそ夜中になろうと。間違えたら叩かれて顔を湯船に沈められた。

なんで出来ないの、あの子はできているのに、何故分からないの。繰り返し使われたその言葉が僕の心を壊すのに、時間はかからなかった。


小学校三年生の時、担任の先生に死んだ魚の目と言われた。

三年生にもなると少しは運動も勉強も、周りよりも劣ることは少なくなっていた。ただやる気や覇気というものは僕の目からは失せていた。

面倒だった。何もかもが。


ある日、外部の先生が来た。

「将来の夢はなんですか?」

皆、大声でヒーローだったりアイドルだったり、色々な職業や夢を表現していた。

僕にはなりたいものなんてなかった。

「君は何がしたいとかどうなりたいとかあるかな?」

グループワークというのだろうか、数名で班を作り、将来の自分について話す中、僕は一言も発していなかった。そんな僕を見かねてか、その先生は話しかけてきた。

なんの気もなかった、悪いことを言うつもりも困らせるつもりもなかった。

ただ僕は将来というものが分からなかった、けれど世の中にある仕事についてもよく分からなかった。

だから僕は言った。

「将来はコンビニか何かでフリーターにでもなると思います」

もう一度言おう、僕に悪気はなかった。

けれどその言葉は大人たちを困らせるに十分に値する言葉だった。

それにはすぐに気がついた。しまったと思った。周りの子供達は笑っていたが、大人達は汚いものでも見るような目で僕を見た。

そんな目の奥にある感情は、僕にですら分かるものだった。

その時からだろうか、僕は周りに望まれる自分を演じることが、自分自身を守ることになると信じ、偽りの自分を作り続けた。けれど必ずしも、優等生にというわけではなかった。

僕は家に帰るのが遅くなった、友人の中には何をしても怒られないような家庭が多かった。だからそんな友人の家に行って夜に帰る。そんな日を続けていくうちに、周りには悪友というものが増え、高学年にもなると中学生や高校生とつるむようになっていた。

喧嘩で傷だらけのまま学校に行くこともあった、格好をつけ煙草を吸ったりもした。夜にはバイクに乗らせてもらったりしていたが、自分がおかしいとは思わなかった、周りにも同じ境遇の友人が増えていたから感覚は麻痺していた。

高学年にもなると家に帰らないこともあった。

そんな僕を次第に母も期待しなくなっていた。


それでいいと思った、それがいいと思った。

くだらないと思った、僕は桜が散る日に煙草を音楽室の横の階段でふかし流れる煙をぼんやりと見上げた。それが僕の11歳の春だった。

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