お湯割りを飲みたい

冬部 圭

お湯割りを飲みたい

 僕の人生には大して山谷が無いからなのか、あまり自分の事で劇的なことがあるとは期待していない。まあ、劇的なことと言っても良いこともあれば悪いこともあるので、そこそこの不幸をそこそこの幸せで埋める今の生活が性に合っている。

そうはいっても全く平坦な毎日は、それはそれで退屈なので、他人の生きざまに何か劇的なことが無いか夢想してしている。

 朝の通勤途中、毎日すれ違う小学生の女の子に今日はお母さんらしき女性が付き添っていたりしたら、何があったのだろうかなんて考える。普段僕を追い越していく高校生くらいの男の子が、何故かのんびり歩いていて逆に僕が追い越すようなことがあったらどうしてだろうと悩む。疑問に思ったり、悩んだりしたら自分なりに理由を想像してみる。そんな時、ありきたりの想像ではなく炭酸飲料みたいに刺激的な背景を考える。ただ、不幸なのは嫌なので、できる限り明るくて楽しい理由を。僕の想像が当たっている可能性なんて宝くじで百万円が当たるくらいの確率じゃないかと思うけれど、別に当てようとしているわけじゃないからそれでいいと思っている。

 そんな話を居酒屋で友人にしたら、

「細かいことを気にしすぎだよ。大体、そんなことによく気付くね」

 と呆れられた。

「小さな変化を見落とさない、名探偵のような観察眼を持っているんだよ」

 と冗談を言うと、

「名探偵の割には扱う事件が細やかだな」

 と至極もっともな言葉が返ってくる。

「小学生が学校へ行き渋ったり、高校生がちょっと体調が悪かったりしてるだけなのかもしれないけれど、それとは違う理由を考えるのは楽しいよ」

 そんな風にいつもやっていることを答えると、

「大体ホントの理由を想像できてるってことじゃないか。そこをあえて別の理由を考えるなんて酔狂と言うか物好きと言うか。いい言葉が思い浮かばないな」

 呆れた様子で苦笑いされる。

「考えた内容を本人に言うわけじゃないから迷惑はかけてないと思うけど」

 咎められたような気がして弁解する。

「いや、悪いね。結構他人がどう思うか気にして生きてる奴は多い。あんな風に思われているかもしれないって悩んじゃうかもしれない」

 揶揄っているのか本気で言っているのか分からない調子で指摘される。僕が想像することで気分を害する人がいるのだろうか。でも僕が勝手な想像をしていることは外からは分からないと思う。

「そんなだったら、ズバリ指摘しちゃう名探偵ってかなり罪深いね」

 友人の指摘は冗談だという前提で軽い調子でこちらも指摘する。

「そうさ。名探偵は罪深い。だからリアルでは存在しないだろ。あまりに罪深くて存在自体が許されないんだ」

 やはり冗談と言うことで良かったみたいだ。

「探偵役が間違えるミステリだって結構あるし、それはそれで面白い話もある。だけど、現実だと『間違えました。ごめんなさい』では済まないからな」

 友人はもっともらしいことを付け加える。

「現実だと、『ごめんなさい』はおろか『間違えました』も言えない人が多いよね」

 と言って届いてそのままにしていた焼酎のお湯割りに口を付ける。あれ、これは水割りだな。確かにお湯割りを頼んだと思ったんだけど。まあいいか。いや、これは僕の高尚な趣味を理解してもらうチャンスだ。

「お湯割りを頼んだのに水割りが届いていた。何故か」

 大仰に新しく仕入れた謎を披露する。

「口を付けるまで水割りってことに気が付かないくらい鈍いからだろ」

 揶揄われる。まあいいんだけど。

「そうだな。酔って何を注文したか忘れた。店員が聞き間違えた。そもそもお湯割りはメニューに存在しないってのはどうだ」

 友人はあり得そうなことをどんどん言ってくる。競馬で言うと本命、対抗あたりを抑えるような感じだ。僕の好きな炭酸飲料の刺激はない。微炭酸。それはそれでおいしいやつもあるけれど今の気分じゃない。

「そんな平凡な答えじゃ当たっていてもつまらないだろ。一〇〇円を賭けて一一〇円を手に入れるようなものだよ」

 こっちも揶揄うように応じる。

「万馬券を目指して外すより良くないか」

 呆れたような返事をもらう。

「外れていいんだよ。ロマンが大事。実際の所はゲーセンで換金できないメダルをもらうような感じなんだから。当たっていても何の得にもならないなら、誰かを不幸にしない範囲で面白い答えを導かないと」

 僕は酔った勢いで熱く語る。

「だったら経験だか閃きだか分からないけどで、何か面白い答えを出せるのか」

 友人は挑むように聞いてくる。

「相席の友人が頼んだ飲み物を間違って飲んでしまった」

 自分で言っていて全然面白くないなと思う。案の定、

「オレの答えと同じくらい平凡だぞ」

 と言われてしまう。まったくもって同意する。

「酔って頭が回っていないんだよ。ちょっと待って。考えるから」

 言い訳して時間稼ぎをする。

「こんなのは大喜利みたいにポンポン答えるものじゃないのか」

 容赦なく攻め込まれる。

「犯人は温かいお酒が嫌いなんだ。酔って管を巻く父親がいつも飲んでいた酒だったから。焼酎のお湯割りから溢れる匂いを嗅ぐとどうしようもなかった少年時代を思い出して嫌な気分になる。なのにそんなことは知りもしない友人がよりによってお湯割りを頼んでしまった。嫌な奴だ。嫌がらせをしてやろう。さっき飲んだロックの氷があるぞ。これをお湯割りにぶち込んでやれば水割りの完成だ。ああいい気味だ。清々した。ざまあみろ親父」

 反撃の狼煙もいまいち冴えない。やっぱり僕は名探偵にはなれないなと思う。あと、噺家にも向かないな。

「それだと俺はあまり幸せじゃないような気がするぞ」

 いちいちごもっともな指摘が返ってくる。氷を入れる隙は無かったことはあえて触れていないけれど、無理がありすぎる設定だと自覚している。

「即興は駄目だな。冴えた答えが出てこない。でも、事実じゃなくていいから美しい答えを導きたいって気持ちは分かってくれただろ」

 今回の謎に対しては美しい答えを出すことはギブアップ。それでも友人は小さく笑いながら、

「気持ちは分かったよ」

 と言ってグラスのロックを呷る。

「分かってくれて嬉しいよ」

 そう言って僕も水割りを飲み干して、もう一度焼酎のお湯割りを頼むことにする。店員さんを呼び止めて注文する。

「焼酎、お湯割りがひとつ」

「オレは焼酎ロックをもう一杯」

 友人はロックを頼んでいる。

「はい、焼酎お湯割り一、ロック一。かしこまりました」

 元気のいい店員さんが復唱する。確かにお湯割りと言っている。

「今度はどうかな」

 素直にお湯割りが来たらそれはそれでつまらない気もする。

「はい、お待ち」

 店員さんがグラスを持って来てくれる。また水割りだ。何故だろう。

「懲りないな」

 友人が僕のことを笑う。

 飲み放題メニューをもう一回見る。焼酎はロックと水割りとお湯割り。ちゃんとお湯割りはメニューにある。

「また水割りだよ。こんなこと、あるのかな」

 楽しくなってきた。名探偵の出番に違いない。

「あったってことだな。まあ、お湯割りは諦めろ」

 僕はこんなに楽しんでいるのに友人は素っ気ない。いや待てよ。僕が水割りだと言うより前にお湯割りでないことを前提に話をしていなかったか。これが水割りって分かっていたということなのか。

「犯人が分かった。犯人はお店とグルなんだ。店員さんにこの席にはお湯割りを持ってこないように告げている。動機は前に僕がお湯割りを飲みすぎて酔いつぶれたから。少しでも酔いが回りにくいよう薄めの水割りを持ってくるように言い含めたんだ」

 これでどうだ。胸を張って告げる。

「だいぶましになったかもな」

 軽く受け流されてしまった。

 いずれにせよ、僕にお湯割りを飲ませたくない何かが存在している。まあ、酔いつぶれて前みたいに友人に迷惑をかけるのは良くない。今届いた水割りで最後にしよう。

「お湯割りは諦めたのか」

 また揶揄われる。今日は揶揄われてばかりだ。

「ああ、お湯割りを阻む謎の力が働いている。無理は良くない。だけど大丈夫。水割りがあるから」

 軽口をたたいて水割りを飲む。名探偵にはなれない。お湯割りは飲めない。だけど水割りを飲んで気分は上々。

「ホントに単純だな」

 呆れた様子の友人の声を聞きながら、単純な方が幸せになれるんだよと教えてあげようかなんて考えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

お湯割りを飲みたい 冬部 圭 @kay_fuyube

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ