あのさえずりを描く日に
堀井菖蒲
第1話 あんぱんと少女
あれは、セイコーマートで働き始めて二回目の夏だった。私は二十四歳で、あんたは十歳。小さい女の子になんて冷たい目を向けていたんだろうって今でも反省してる。本当だよ。
私、最初あんたを見た時「うわ、この子最悪」って思ったの。だって、着ている服は汚れてたし、申し訳ないけど雑巾みたいな臭いがしたし。象がプリントされたTシャツ、あれ、元は白だったよね。でも、ずっとねずみ色なんだと思ってた。首元が黄土色に変色してたから、洗濯もしてないだろうなーって。
一年中あの洋服着ていたね。おへそが見えそうなくらい丈が短くなってたから、随分長いこと着てたんだろうね。ジーンズもさ、膝がすり切れてて、所々縫って塞いであった。それがあんまり上手じゃなくてさ。しょうがないよね。まだ十歳やそこらだったんだから。
ズボンの裾も短くなってて、冬でも靴下を履いてなかった。髪はお尻の下まで伸びてたけど、脂ぎっててあっちこっち鳥の巣みたいに縺れてた。手入れが行き届かないんなら、短く切ればいいのにって、思ってたんだ。
あんたが買い物に来るのは月に一度。いつも百円の食パンを一斤買って、その後お菓子コーナーに移動して、百円のおせんべいを八個とうまい棒を五本買っていく。全部で九百九十七円。時々会計が済んだ後で一円玉を十枚出して、うまい棒を一本買い足したよね。一緒に買うと、消費税が一円高くなるからだよね。身なりは汚いけど、頭は良い子なんだなって思ってた。まるで、どうやったら千円を限りなく無駄なく使い切れるかに挑戦しているみたいだったよ。
毎月必ずやってくるから、あの年の七月、一回も買い物に来なくって、ちょっと心配してたんだ。来たら来で「うわっ」って思うけどさ。だから、久しぶりにやってきた日が八月六日だって事、覚えてるの。まぁ、原爆記念日だって事もあるんだけどね。
あの日、店に入ってきた瞬間から「いつもと違う」ってピンときたよ。レジカゴを取らなかったし、食パンの前を通り過ぎて菓子パンのコーナーに直行したし。それに何より、なんだか雰囲気がいつもと違ったもん。すごく疲れ切ってぐったりしてるみたいだったし。でも、切羽詰まったような、ピリピリした空気を感じた。だから、煙草を補充する振りをして、防犯ミラー越しに様子を観察してたんだよ。
あんた随分長い間、菓子パンを見つめてた。穴が開いちゃうんじゃないかって、心配になるくらい。私「絶対やるんだろうな」ってドキドキしてた。「何もしないで店から出て行ってくれないかな」って、祈るような気持ちだったんだよ。
でもやっぱり、あんたは我慢しきれなかった。おへそが見えそうな丈の短いTシャツに、菓子パンを隠して店から飛び出していったんだ。私、そうなることを予測してたから、風除室であんたを捕まえることが出来た。
始めて腕を掴んだとき、びっくりしたんだよ。だって、あんまりにも細かったから。力一杯掴んだから、折れちゃったんじゃ無いかと思った。
あの時の顔、忘れられないよ。
この世の終わりみたいな顔で私を見てから、隠してたあんパンを返してくれた。必死だったんだね。あんぱんに指が食い込んでへこんでたもんね。
「ごめんなさい、もうしませんからゆるしてください」
あんたは素直に謝ったのに、私は腹を立ててしまったんだ。だって、あんな風にへこんじゃったら、あんパンはもう売り物にならないじゃない。でもさ、私もあの後どうしたら良いのかさっぱり分からなかった。あの時は店長も吉田さんもいなくて、店には私一人だったから。
真っ先に警察を呼ぶことを思いついたんだけど、小さい女の子相手に警察を呼ぶのもちょっと可愛そうかなって思った。私、あの時あんたのことまだ小学校の低学年だと思ってたんだよ。だって、あんたとっても小さかったから。
取り敢えず親を呼ぼう。そう思って「お母さん家にいるの?」って聞いたんだ。そしたらあんたは首を横に振った。髪が一枚の海苔みたいに、ゴワゴワって揺れたのを覚えてるよ。
「お母さんはいません」
「仕事?」
「……わかりません」
「わからないって事、ないでしょ! しらばっくれんじゃないよ!」
そんなやり取り、したよね。
あの時さ、すごくカチンときたの。だって、あんたみたいな小さい子を一人家に置いておく親なんていないじゃない。実際には小学五年生だったわけだけど、私は一・二年生だと思い込んでるからさ。だから、親がいないなんて嘘を平気でつく子なんだと思って、腹が立ったの。本当に親がいないって、結構大変なことなのにって。
だから、ボタボタボタって涙が落ちてきて、風除室の床にシミが出来たからびっくりした。コンクリートの床にできた濃いねずみ色のシミ、忘れられないんだよね。
「お母さん、帰ってこないんです」
そう言って、またああんたはボタボタ涙を流した。ちょっと薄くなったねずみ色の上に、また違う形のシミが出来たのを、私じっと見つめてた。すごく困ってたし、混乱してたし。
「お母さん、帰ってこなくて。でも毎月千円くれるのに、七月はくれなくて。夏休みになって給食もないから、お腹が空いて……」
もうびっくりしちゃってさ、どんどん増えるコンクリートのシミを見つめるしか出来なかったよ。気が付いたらさ、バックヤードの駆け込んでた。お財布を引っ張り出して、穴が開いたあんパンのバーコードをスキャンして。
でも、あんパン一つ食べたところで、二学期までもつはずないなって思った。だから、お弁当のコーナーに行って消費期限がもうすぐ切れる巻き寿司も持ってきた。
「廃棄処分になるお弁当、分けてあげる」
あんパンと巻き寿司を手に押しつけながらそう言ったら、あんたの顔がパッと明るくなった。だから、あの時はすごく良いことを思いついたなーって、思っちゃったんだ。
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