第二話:ガラクタ市の奇妙な依頼

レイドン侯爵が店を訪れてから、ひと月が過ぎた。

彼の言った通り、その後、使いの者が来ることもなく、私の日常は以前と何ら変わらない。窓辺に飾られた銀のロケットだけが、この『追憶の天秤亭』の静かな時間を告げていた。


侯爵が置いていった大金には、手を付けていない。ただ、色とりどりの砂糖菓子だけは、鑑定で心がささくれ立った夜に、一つ、また一つと口に運んでいた。不思議なことに、彼のくれた菓子だけは、微かだが確かに甘さを感じることができたのだ。


その日、私は月に一度開かれる下町の「ガラクタ市」に来ていた。

侯爵の言う通り、私の力はまだ不安定で、制御もままならない。より多くの遺物に触れ、その声を聞くことで、この呪われた力を少しでも御せるようになりたい。そう考え、市に並ぶ古い品々を見て回っていたのだ。


ガラクタ市には、ありとあらゆる物が並ぶ。壊れた家具、錆びた農具、持ち主不明の装飾品。どれも歴史的価値などない、まさにガラクタだ。だが、私にとっては、それら全てが声を持つ「語り部」だった。


「お嬢ちゃん、何か面白いものでも見つかったかい?」


露店の主人が、人懐こい笑顔で話しかけてくる。

私が手に取っていたのは、象牙色に古びた一本の櫛。繊細な花の彫刻が施されているが、歯はいくつか欠けてしまっている。


「……とても、大切にされていたのですね」


櫛に触れると、穏やかな記憶が流れ込んでくる。

――銀髪の美しい女性が、愛する娘の髪をこの櫛で優しく梳いている。母と娘の、笑い声に満ちた幸せな時間。「お前が嫁ぐ日には、これを譲ってあげるわ」と微笑む母。しかし、その約束が果たされることはなかった。娘は、流行り病で若くしてこの世を去ってしまう。母は、娘の亡骸と共に、この櫛を棺に入れた……。


「これは、墓荒らしの品だ」


私の呟きに、露店の主人は顔色を変えた。


「な、何を言い出すんだ! こいつは俺の婆さんの形見で……」

「嘘です。この櫛は、愛する娘を失った母親の悲しみを記憶しています。土の匂いも。……持ち主の元へ、お返しなさい」


私の静かだが揺るぎない声に、男は気圧されたように後ずさる。私が「墓荒らし」という言葉を使ったのは、ただの当てずっぽうではなかった。流れ込んできた記憶の中に、この男が墓を暴く光景が、はっきりと見えていたのだ。


「……ちっ、気味の悪い女だ」


男は悪態をつきながらも、そそくさと櫛を懐にしまい、店をたたみ始めた。

私は、ただその場に立ち尽くしていた。遺物の声を聞くことは、必ずしも温かい記憶に触れるだけではない。時には、こうして人間の醜い欲望を目の当たりにすることもある。その度に、私の心は少しずつすり減っていく。


気分が重くなり、もう帰ろうかと踵を返したその時だった。


「――そこの、お嬢さん」


声をかけられ振り返ると、そこに立っていたのは、小柄で人の良さそうな、仕立て屋の主人といった風情の初老の男性だった。しかし、その穏やかな目つきとは裏腹に、彼が持つ雰囲気にはどこか尋常ならざるものを感じた。


「あなた、もしや『声』が聞こえる方では?」

「……!」


私は息を呑んだ。私の能力を知る者は、王立遺物研究所の者か、あるいはレイドン侯爵しかいないはずだ。


「わ、私は、ただの古物商です……」

「おや、ごまかさなくても結構ですよ。あなたのその指先、優秀な『同業者』の証だ」


男はそう言って、にこやかに自身の右手を見せた。彼の指先もまた、私と同じように僅かに黒ずんでいる。


「私はカレルと申します。あなたと同じく、遺物の声を聞く者です。もっとも、あなたほど強い力はない。私に聞こえるのは、微かな囁き程度ですがね」


彼は「鑑定士」と名乗らず、「声を聞く者」と言った。その言葉に、私は彼が決して研究所の人間ではないことを察した。


「少し、お話しできませんか? 奇妙な依頼で困っておりまして。あなたほどのお力があれば、あるいは、と」


彼の申し出は、あまりにも唐突だった。しかし、同じ力を持つという彼の言葉に、私は抗いがたい興味を覚えていた。この世界で、私と同じ呪いを背負う者が、他にいたとは。


私はカレルに導かれ、ガラクタ市の喧騒から離れた、小さな茶屋に入った。


「実は、ある貴族の方から奇妙な依頼を受けましてね」


カレルは、ゆっくりと語り始めた。


「その方の屋敷では、夜な夜な、誰もいないはずの廊下から赤ん坊の泣き声が聞こえるのだそうです。そして、泣き声が聞こえた翌朝には、必ず屋敷の家宝である『銀の揺り籠』が、血のように赤い液体で濡れている、と」


気味の悪い話だった。まるで幽霊屋敷の怪談話だ。


「その貴族様は、先祖の霊の祟りではないかと恐れ、私に『銀の揺り籠』の鑑定を依頼なさいました。私も鑑定を試みたのですが……どうにも声が弱すぎて、何も聞こえなかったのです。ただ、ひどく冷たい、という感覚だけが残りました」


カレルは、困り果てたように眉を下げる。


「そこで、あなたにお願いしたい。どうか、私に代わって、この『銀の揺り籠』の声を聴いてはいただけないでしょうか。もちろん、報酬は弾ませていただきます」

「……」


赤ん坊の泣き声。血に濡れた揺り籠。どちらも、良い記憶であるはずがない。鑑定すれば、私の精神にどれほどの負荷がかかるか分からない。

本来なら、断るべき依頼だ。


だが、「同業者」であるカレルの、助けを求めるような眼差しを、私は無視することができなかった。


「……分かりました。お引き受けします」


私の返事を聞いて、カレルは心底ほっとしたように顔をほころばせた。


「ありがとうございます! では、早速ですが今夜、そのお屋敷へご案内いたします。準備はよろしいですかな?」


こうして私は、導かれるように、またしても危険な遺物の声を聞くことになった。

その先に、レイドン侯爵の影と、王国の深い闇が待ち受けていることも知らずに。ただ、同じ力を持つという男への共感が、私を動かしていた。

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