役立たずと追放された地味な遺物鑑定士、国宝級の秘密を解き明かしたら氷の侯爵様に過保護に溺愛されています
楓かゆ
プロローグ 追放
真紅のドレスを纏った女が、銀のナイフで喉を掻き切った。
噴き出す血の熱、鉄の匂い、そして裏切られた絶望。その全てが、まるで自分の身に起きたことのように、私の五感を焼き尽くす。
「――鑑定完了」
私は、目の前の『血濡れのティアラ』から震える指を離した。
ここは王立遺物研究所。そして私は、遺物が持つ記憶を追体験する呪われた力を持つ鑑定士、アリア。
「どうだった、アリア」
目の前の所長が、ねっとりとした声で尋ねる。彼の目には、私の苦痛を愉しむ色と、鑑定結果への貪欲な好奇心が浮かんでいた。
「ティアラの最後の持ち主は、隣国の伯爵夫人。夫の不貞を苦に、自害なさいました。彼女の無念が、この遺物に呪いとして残っています」
私がそう告げると、所長は満足げに頷き、傍らの書記官に何かを書き留めさせた。この鑑定結果も、また彼の功績として王宮に報告されるのだろう。私の命が削れることなど、彼にとっては些細なことだ。
この能力は、私の精神を蝕む。他人の強烈な記憶は、私の記憶と混ざり合い、時折、自分が誰なのかさえ分からなくなる。だから私は、いつも心を殺している。
「次だ。本日最後の鑑定品だ。国宝『夜明けの宝珠』、これの来歴を視ろ」
運ばれてきたのは、瑠璃色に輝く宝珠。だが、それに触れる前から、私は危険な予感に身を震わせた。これは、あまりにも強すぎる。あまりにも、古い。
「所長、これは……今の私には過ぎた品です。鑑定には、最低でも三日の浄化期間を……」
「言い訳は聞かん」
所長は私の言葉を遮り、無理やり私の手を掴んで宝珠に押し付けた。
その瞬間、意識が吹き飛んだ。
数百年分の記憶の奔流。王国の建国、数多の戦、王たちの死。叫び、祈り、裏切り――。
あまりの情報の濁流に、私の精神が耐えられるはずもなかった。
「――ッ、あ……ぁ……」
何かが砕ける、甲高い音。
はっと我に返ると、私の足元には粉々になった宝珠の欠片が散らばっていた。そして、私の指先は、遺物の記憶に呑まれた反動で黒く変色し、冷え切っている。
「愚か者めが!」所長が叫ぶ。「貴様、国宝を破壊するとは! 万死に値するぞ!」
違う。壊したのは私じゃない。この宝珠が、自らの記憶の重さに耐えきれず、自壊したのだ。
だが、その言葉は声にならなかった。
「衛兵! この『呪われた娘』を捕らえろ! 二度と王宮の敷居を跨がせるな!」
引きずられていく私の視界の端に、部屋の入口に立つ一人の男の姿が映った。
氷のように冷たい藍色の瞳。王宮の暗部を取り仕切るという、レイドン侯爵。
彼は、私の黒く変色した指先を一瞥し、そして――ほんの僅かに、眉をひそめたように見えた。
その意図しない表情の変化に気づいたのは、この場では私だけだっただろう。
雨の降る路地裏に、私はゴミのように捨てられた。
職も、住処も、帰る場所もない。ただ、ポケットに残る数枚の銅貨と、遺物の声を聞きすぎたせいで絶えず響く耳鳴りだけが、私に残された全てだった。
このまま死ぬのだろうか。
そう思った時、ふと、目の前の古びた骨董店の窓に飾られた、一つの銀のロケットが目に入った。
何かに引き寄せられるように店に入り、なけなしの銅貨でそれを手に入れる。
触れた瞬間、温かい記憶が流れ込んできた。
戦地へ赴く夫と、彼の無事を祈る妻子の、ささやかで幸せな記憶。
その温もりに、私の凍てついた心から、一筋の涙が零れ落ちた。死んだはずの感情が、ほんの少しだけ息を吹き返したのだ。
「……そうだ。私は、まだ……」
この力は呪いかもしれない。けれど、こうして忘れ去られた想いを拾い上げることもできる。
王のためでも、誰かの手柄のためでもない。ただ、声なき声に寄り添うために、私は生きよう。
一月後、王都の片隅に、私は小さな店を開いた。
看板も品物もない、ただ窓辺にあの銀のロケットを飾っただけの店。
『追憶の天秤亭』
ある夜、その店の扉が静かに開かれた。
現れたのは、あの日、私を一瞥した男――氷の侯爵、レイドンだった。
彼は店の中を見渡し、そして私の目を真っ直ぐに見据えた。
「鑑定を頼みたい」
彼が従者に運ばせたのは、禍々しい気配を放つ、黒ずんだ王冠。
「先代国王陛下が崩御された際に身につけていたという『嘆きの王冠』だ。触れれば精神が崩壊すると言われている」
彼の藍色の瞳が、試すように私を射抜く。
「噂は聞いている。貴様は国宝を破壊し、追放されたと。だが、あの所長、何かを隠している顔だった」
レイドン侯爵は、一歩、私に近づく。
「この王冠の『嘆き』を聞け。もし、貴様があの国宝を壊したというのなら、この呪われた王冠も容易く破壊できるはずだ。――やってみせろ、『呪われた娘』」
それは、依頼ではなかった。
私の能力の真価と、あの日の真実を問う、挑戦状だった。
私は覚悟を決め、震える指で、その絶望に満ちた王冠へと手を伸ばした。
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