第31話 落涙の森(偽)

「死んだ、というのは何かの比喩でしょうか……?」


 コーレは訝しげに尋ねる。

 わたしにはピンときた。それは彼女が灰の魔王となった頃のことだ。

 灰都となったゼルトカッツェには、死なずの眠る棺の沼地と、常に雨の降る落涙の森が広がっていると言う。


「ここは落涙の森なの?」

「の、ようだね。まあ本当にその場所というわけじゃないんだろうけど、そうとしか思えなくてゾワゾワするよ」

「気をつけることはある?」

「奥に行かないこと。一人で出歩かないこと。ここには古き竜の影響を受けた強い魔獣が多い。その植生も異常をきたしてるから危ないかどうかもわたし以外判別できない。ま、食べ物を探す分には都合がいいけどね。栄養価は高いから」


 アカリはそう言って足元をキョロキョロ見回しながら、木の根を跨いで森の中を歩いていく。

 コーレはそれについて行きながら、わたしに聞いた。


「落涙の森と言えば、灰と化したゼルトカッツェ王国の近くにあるという、あの場所ですか……?」

「みたいね。あなたは詳しいの?」

「いえ。昔、少し調べたことがあるだけです。その、授業のレポートで。正確には棺の沼地について、なのですが……」


 かつて灰の魔王が現れて滅ぼされたゼルトカッツェ王国。

 そこは古くは竜を信仰する死なずが集う場所だった。

 死なずとは運命を外れたことで死ぬ機会を失い、永遠に世界を彷徨うことになった者達の総称だ。大体はどこかの時点で正気を失い、目につくものを襲うようになったり、何をされても動かずにうずくまるようになったりする。

 ゼルトカッツェにいた竜も死なずだった。それと同時に竜は眠りの魔法使いでもあり、信仰する者達に永遠の眠りを与えることができた。

 そんな竜の元に集まった死なずの一部は神官となり、眠りの神殿を作りだした。

 彼らは竜の加護を受けて眠りの秘術や自衛の力を授かり、この地を訪ねたものに永遠の眠りと棺を与え、底なし沼に沈めていった。

 そうしていつからか、その地は棺の沼地と言われるようになり、死なずが安らぎを得るただ一つの場所として知られるようになる。


「その後、ゼルトカッツェの建国王となる者がやってきたり、魔王が現れて王国が滅びたりします。落涙の森は、魔王を封じるためのものだという説を本で読んだことがあります。灯台の魔法使いが綴った魔法で、灰の魔獣を弱体化させる力があったそうです」


 それは灰の体を持つアカリにとって致命傷なのではないか。

 今のところアカリの様子は普段と変わらない。でも注意しておくに越したことはないと頭の片隅にメモをした。


 そんなアカリは目当てのものを見つけたのか、小さな葉をいくつもつけた茎を引っ張って、土の中から拳大の実を複数つけた芋のようなものを取り出していた。

 この調子で森を歩き回ること一時間ほど。玉ねぎっぽいものや、なんだかしょっぱい葉物、甘いツタ、木の実などを大量に確保できた。どれもわたしは見たことがないものだ。コーレも知らないものらしかった。


「元はジャガイモとか玉ねぎとかイチジクなんだけどねぇ、すっかり変質しちゃってるよ。死なずの竜は沼底で今も眠っているけれど、無意識に大地に力を流し続けてるから、その影響が出てるんだ。あんまり食べるとわたし達も影響がでるから、食べすぎないようにしないとね」

「だ、大丈夫なんですか、それ……」

「量を考えて食べれば大丈夫。そこはちゃんと見定めるから安心して。一部は薬の材料だし」


 何やら蠢いている根菜を手にしてアカリは言うけど、見た目はなかなか不気味だ。コーレは顔を引きつらせている。

 それからもしばらく食べ物を集めてから、アカリは切り上げを口にした。


「集めるのはこんなものでいいかな。戻ろうか」

「そうですね。もう持てませんし……」


 二人がそう言った時だった。


 森の奥から、鐘の音が聞こえてきた。


 長く響く鐘の音が二度。不思議と体は動かない。強く抵抗すれば動きそうなのに、体に力がこもらない。

 それは竜の鱗から作られた偽りの弔鐘。まだ生きる者に偽りの死を与える神殿の祭具。死から遠い者ほどよく効く音色だ。


「大丈夫だよ。これ以上奥に行くつもりはないから」


 アカリは小さく呟く。雨音にも消えてしまいそうな声だったが、それで、鐘の音は聞こえなくなった。

 代わりに聞こえたのは足音だ。

 木々の向こうから現れる、薄汚れた黄衣の人物。

 男性とも女性とも取れる中性的な顔立ちの人物は、片方の目が竜のもの。鐘を持つ右手は鱗に覆われていた。


「てっきり眠りにつくため、ここに来たのかと思いましたが」

「それにはまだ早いかな。……でもちょうどいいか。ちょっと旅の仲間が倒れていてね。手を貸してくれないかい?」

「……いいでしょう」


 神官はしばし考えるそぶりを見せたあと、頷いた。

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