第25話 守護神像攻略戦(3)

 空の暗さが和らいできた。あと一時間と経たずに、風呂の栓を抜いたように夜は流れ落ち朝が来るだろう。

 下準備は一晩中続いた。

 カルサイは杭を何本も打ち込み、さるあけった葉両足、両肩、背中に首と五本ずつ呪いの杭が差し込まれていた。

 ラティフの大弓は岩盤表層に着弾するなり、光が内側に潜り込み、爆発が内側から膨らんでサルアケッタの体を剥ぎ取り続けた。カルサイではカバーできない正面胴体を中心に剥がし続けた結果、サルアケッタの下腹部はすっかり窪んでいる。

 だが胸から上だけは傷ひとつない。そもそも攻め込みにくいというのもあるが、そこだけは傷つかないように、両腕の損傷も厭わず守り続けていたからだ。


 それにしても仕込みに時間をかけ過ぎた。ラティフは力のこもらない手足を振るって走りながら歯噛みしている。


 サルアケッタの動きは鈍らない。両手両足を振るうだけで地響きが轟き、大地が抉れる。ラティフもカルサイも無傷だが、それは一撃でも貰えば終わりだからだ。一晩中走り続け、武器を振るい続けた二人はすでに疲労の限界だ。

 不幸中の幸いとしては、サルアケッタは小さな人間をちまちまと潰すのは苦手だったことだろう。人間からすれば、足元を駆け回る虫を相手にするようなものだ。

 サルアケッタは、本来バハルハムスという街を蹂躙するための切り札だ。有象無象の抵抗を物ともせず都市破壊を目的とする怪物だ。そもそもがこんなところで足止めの戦いを強いられることが想定外だった。


 加えてもう一つの想定があった。

 よもやこの地に、サルアケッタと掴み合いで拮抗する魔獣が存在しようとは。


 わたしが影の海から引き摺り出したクラーケンは、今や触腕二本だけでなく、八本の足も出してサルアケッタと掴み合い、引きずりあっていた。

 ただしクラーケンは踏ん張りが効かない。サルアケッタとの力比べはいささか不利で、手足を絡み付かせて僅かに引っ張る程度はできても、最初のように引き倒すような真似は二度とさせてもらえなかった。

 長い戦いのうち、ついには足を引きちぎられる場面もあった。足はすぐに再生して、苦痛の対価を払えとばかりにクラーケンの力も強くなったが、あくまで一時的なこと。徐々に力が入らなくなってきたようで、サルアケッタの動きが激しくなっていた。


 とはいえ、これは時間稼ぎ。わたしの本命は核潰しだ。

 狙い所は、胸。常に腕によって守られていて、弓も防がれてあるあの場所だ。

 時間はもうない。いっそ合図を待たずに仕掛けるか、そんな考えが脳裏をよぎる。

 だがそれは焦りだ。短期的な行動は常に失敗につながる。信じて待つとはその誘惑を踏みつけて耐えることだ。


 しかしそれでうまくいくのか? 考えるほどに不安が心臓を冷たく掴む。

 それをこらえて待つのは苦しくも楽しい、戦いの妙だ。


 そしてついに、二人の動きが変わった。

 ラティフはサルアケッタから離れて大弓を構える。今までとは違う、その場に足を止めての構えだ。その弓に番えたのは、背中に背負っていた一本の大槍。

 弓に番えると槍の表面も輝き始めた。その表面に刻まれた模様が来歴となる逸話を歌い始める。


 その矢に穿てぬ物はなく、その矢の届かぬ場所もなし。それは魔獣殺しの最後の一矢。

 心せよ。汝の背にはすべての砂の民。汝の一矢は民の守り。

 すなわち。その一矢をもってさえ勝利を掴めぬならば、其方に狩人の資格なし。その罪科は体を永劫蝕むだろう。


 それは魔獣殺しの切り札。かつてセルイーラ王国にて最大の魔獣と戦った、ただ一人の狩人の逸話。口伝で伝わりこそすれ、誰も信じていなかった原初の狩人の加護である。


「砕けろぉ!」


 ラティフは裂帛の気合いと共に、矢を放った。

 白い矢は流星のように一筋の尾を引いて伸びていく。向かう先はサルアケッタの無傷の胴体。しかしサルアケッタの左腕が射線上に割り込んでくる。

 着弾。これまでと比較にならない轟音が響いた。

 山一つを穿つような一撃。さしものサルアケッタもよろめき、そして体の一部がめきめきと音を立てて割れていった。


 影がゆっくりと落ちていく。

 それはサルアケッタの左腕、胸を守っていた肘から先の部分だった。


 ラティフの体から力が抜けていく。大弓の輝きが解けていき、狩人を包んでいた加護が消えていく。ラティフの腕に呪いの赤い亀裂が生まれ、痛みに大弓を手放しながら膝をついた。

 だがその顔にあったのは、落胆ではなく。


「やっちまえ、カルサイ!」


 二手目。カルサイが獣のような咆哮をあげた。

 変貌する全身。体が膨らみ、黒衣を押し除けて長い体毛に覆われた巨躯が現れる。

 影色の狼は赤い瞳を輝かせて走り出した。

 それは空飛ぶ鳥の影のように、音もなければ遮るものもない。カルサイはするするとサルアケッタの体を登っていく。


「これで最後だ。たっぷりと喰らえ」


 呪いの杭が打ち込まれる。分厚い岩盤を力任せにぶち抜いて、サルアケッタの胸に傷がついた。


 今か、とわたしは影の海へと合図を送ろうとする。しかしそれに待ったをかける。

 そう、合図。それがまだ来てない。


 ジリジリとした思いでカルサイが落下していくのを見守る。本人の力で着地できそうだが、念のため波でさらって保護した。

 よろめいたサルアケッタが姿勢を立て直す。合図はまだ? それもさっきの一撃が合図だった? 不安が背筋を冷たくする。

 後悔はもう遅い。間違っていたらその分もこちらでなんとかするだけ。今更、不安なんかで意思を揺らすな。


 そしてついに、その時が来た。


 サルアケッタの動きが止まる。全身にピシピシとひび割れが広がっていき、隙間から黒い炎が吹き出した。

 まるで活火山。だが呪いの黒い噴火は山自体を砕く、砕く、砕く。

 岩の巨人が叫び声を上げながらのけぞった。身体中の岩が剥がれ落ち、崩落していく。


 と、視界の端で緑の光が打ち上がった。ラティフが信号弾を打ち上げたのだ。


「やっと出番よ。トドメを刺しなさい!」


 呼び声に応える、歌うような声。

 競り上がる影の海。膨らむ水面の大きさはクラーケンの触手の比ではない。

 水面を突き破る、捻れたツノ。白い槍のようなものが海の底から飛び上がる。

 角持つ鯨。それはアルリゴの伝承で百の船を突き破ったという伝説の魔獣である。

 その白い角が狙い違わずサルアケッタの胸に飛び込んで行く。その勢い、その重さは、呪いによって崩れ始めた岩の体などものともしない。ひび割れ、腹が抉れ、片腕をなくした岩巨人に抗う術などありはしない。


 白い角が岩を貫く。胸のひび割れに突き刺さり、亀裂を深くしながら侵入して、胸の中心にある核を打ち砕いて背中から飛び出した。

 サルアケッタから力が抜ける。崩落する体を残し、胴体はそのまま鯨の角に貫かれたまま影の海へと沈んでいく。

 まるで船を貫き海底に引きずり込んだ、かつての逸話その通りに。


 全ての岩が落ちきって、サウリ丘陵が静寂に包まれる。

 狩るべき獲物はいなくなった。白んだ空の下には二人の狩人が勝利を抱えて倒れていた。


 戦いが終わった。


「ふう。……さて。アカリの方はどうなったかしら?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る