第20話 救出依頼
カシャーは船の中に一室を与えられており、弟子と二人で乗り込んだことになっていた。
しかし弟子の形をしたものは人形であり、アカリの見る前で崩れ落ちると荷物の中に紛れてしまった。残されたのは衣装だけだ。
「そちらに着替えてください。黙っていればわたしの弟子だと誤魔化せるでしょう」
「それはありがたいけど、どうしてこんな準備を?」
「わたしは占い師ですから。少しだけ先が見えるのです」
「そうなんだ。確かに服がピッタリだ。ところでその未来が見えたのはここ一ヶ月以内?」
「え? えぇ、そうですが……」
「なるほど。……なるほどねぇ」
それならあり得る、とアカリは思ったようだ。わたしとアカリがセルイーラに来てそれくらいになる。
「夢の王国にでも招かれたの?」
「……驚きました。よく、ご存知ですね」
「そんなことだと思った」
「あの方も、あなた様が真に魔法使いなら、そういうだろうと仰っていました」
「これは単に興味なんだけど、君のする占いっていつもそうなの? つまり今回みたいに王宮に招かれてのもの?」
「いいえ。普段はもっと違います。夢に見るのは同じですが、わたしはその光景を直接見るのです。王のお言葉を頂くのは、占い師でも稀なことです」
「稀、ということは、ないじゃないんだ」
「はい。この地にとって特別なことなら、彼の王はわたしたちに夢でお告げをもたらすそうです。……そう、長老から聞いております」
話し終える頃にはアカリは服を着替えていた。黒い長衣はさらりとして軽い。なにやら複雑な刺繍がされているが、これがこの地のまじないになっているようだ。
「それで、わたしにどんな話があるの?」
「彼の王はわたしにこう仰いました。船で過ごす夜に魔法使いが訪れる。彼の者を匿い助けることで、其方の願いも叶うだろう、と。……わたしの願いは、シャオク様を救うことにございます。どうか、この願いを聞き届けてくださいまし」
これは面倒なことになったぞ。
膝をついて乞い願うカシャーを前に、アカリは低く唸る。
「わかった。ともかく事情を説明して欲しい。救うと言ってもわたしは何もわかってないからね」
しかし頷いたというのにカシャーは困惑したようだった。
「本当に、本当によろしいのですか? これを明かせば、影を恐れ続ける事になるかもしれません。あなた様の命にも関わります。実のところ、わたしはあなた様をどう説得すればいいか、ずっと悩んでいたのですが……」
「魔法使いは必要な時、必要な場所にいるものだよ。現に君には手の及ばない悩みがあり、わたしがここにいる。すべきことは明確だ」
アカリは回りくどいことを言う。
彼女はこういう時、断らない。無碍にしない。助けるのは当たり前だと思ってる。
そこに理由なんか必要ない、そういう人なのだ。
本人は何故かそう言わないけど。
「時間があまりない。手早く話して欲しい」
「は、はい。わかりました……」
カシャーは居住まいを正し、事情を話し始めた。
簡単に言えば、何ヶ月か前の会食以来、第三王子シャオクの様子がおかしいらしい。
シュオラーフの王族は月に一度程度顔を合わせて会食を行う。その場に集まるのは王族と護衛一名と決まっている。細かくいうとそれぞれの料理人や配膳をする者や世話役などもいるそうだが、そのあたりはさておく。
重要なのは、その日、王の護衛としてやってきた男だ。
包帯を巻いた蛇の紋章を首から下げたその人物はビシャラと名乗ったそうだ。
シャオクはその男について、不気味だから近寄るなとだけカシャーに告げた。
カシャーは元々流浪の占い師。シャオクに拾われただけの市井の者で、貴族の血筋ではない。立場が弱いのでそもそも表にはあまり出なかったし、警戒を促しておけば持ち前の占いの技と合わせて完璧に逃げてみせるから、それで充分だと思ったのだろう。
実際二人が大喧嘩した時、カシャーは何ヶ月も捜索の手を逃れた。最終的に飢えて倒れていたところを保護されていたとか。王子は泣いて謝ったそうだ。
カシャーは言いつけ通りにビシャラと会わないようにしていたが、結果としてそれは失敗だったかもしれない。
ビシャラを避けようとするとシャオクも避けなくてはならなかったからだ。シャオクには常にビシャラの影が付き纏っていた。
そして気づけばシャオクの様子がおかしくなっていた。
シャオクは人を寄せ付けず、側近も遠ざけるようになった。見たこともない人がシャオクのそばにつくようになり、その傾向は更に強くなった。
言動もどんどん過激になり、特にバハルハムス派のオアシスに対する敵意が強くなり、ことあるごとに派兵を口にし始めた。
そしてついにバハルハムスを攻めることになった。
普通なら止めるような人は皆遠ざけられているし、普段なら良かれ悪しかれ何かしらいってくるはずの王族たちもそれを止めなかった。
カシャーは出征後の未来を占い、結果を報告するというていで遅まきながらシャオクに接触を試みた。しかしシャオクを守る新たな護衛に門前払いにされてしまい、困っているうちに砂上船で出ることが決まってしまった。
どうしたらと頭を抱えたところ、例の王宮の夢を見たカシャーは、シャオクの元護衛のウェフダーと協力し、無理を言ってこの砂上船に同行した。最後の転機となるだろう魔法使いの来訪を待って、神経をすり減らしながら過ごしていたそうだ。
「で、わたしと会った、と。その人形は?」
「これは……お告げを受けた後、占った時に見えたあなた様の姿を元に、旅の人形師に作っていただいたのです。背格好程度のことしかわからなかったのですが、こうして同じ服を着ているところを見ると、そっくりですね」
「それはどうも。うーん、それならまやかしはかけなくていいか……」
どうしよう。アカリは腕を組んで考え込む。
疑う余地はいくらでもある。カシャーの話の真偽。仮に正しいとして、カシャーはビシャラの影響を本当に受けていないのか。ビシャラの影響という彼女の見立ては本当なのか。第三王子シャオクは本当に狂ったのか。それとも理性を奪われる、洗脳されるような形で動いているのか。確かでないことが多すぎる。
加えて時間の問題がある。動くなら、今すぐに、だ。何しろアカリは今夜で全ての決着をつけるつもりで来ている長期にわたって戦う戦力も体力もないのだからそこは変えられない。
アカリは目を瞑って息を止めた。
一秒、二秒。三秒で曖昧な形が生まれ、五秒経ったら結論が出た。
「ここはミリアムに倣おう。わたしは海賊。全部奪う。細かいことは後で考えよう。よし!」
よし! ではないと思う。
「海賊……? どうされたのですか、魔法使い様」
「手短に話すよ。わたしたちはこれからすぐ動いて、怪しい奴らを片っ端から始末する。そして第三王子シャオクごとこの船を奪って逃げる。シャオクがどうなってるのかの診断や対応はその後にする。今は一旦気絶させるなり拘束するなりして連れ去る方針をとる」
「……それでは野盗か、よくても叛逆者にされてしまいますよ?」
「海賊だよ。いやまあそこはいいんだ。わたしは別にシュオラーフにおける立場を守ろうとは思ってないから気にしてない。それより君はどうする? 手伝う? 敵対する? 見なかったことにする? わたしはどれでもいい。もうやることは決めたから」
決断を済ませたアカリは、お前も決めろと選択を迫る。
カシャーは顔を強張らせている。急な話に追いつこうと必死で、アカリの言ったことを途切れ途切れに捉えて、考えようとしている。
どうすれば。どうするのがいいのだろう。そこまでは予見していなかった。
でも、このまま行けば、バハルハムスが火の海になり、シャオクは狂い、二度と戻らない。そこまでは見えてしまった。
カシャーはその光景をまぶたの裏に写すと、振り払うように目を開いた。
「わたしも協力します。手を貸してくれる者も心当たりが……。わたしから声をかけようと思います」
「わかった。なら君にも魔法を綴ろう。協力者とはすんなり会えるし、甲板に出るまでは敵に気づかれずに済むだろう。暗殺者に狙われたお姫様のために走る、盗賊上がりの騎士の逸話があってね。ちょうどいい」
「わかりませんが、わかりました。お任せください」
よし、それじゃあ始めよう、と二人のテロリストが動き出そうとしたその時、大きな音が轟いた。
それは外から響く爆発の音だ。
「まさかミリアムが先走った? ……いや流石にないな。何かあったなこれ」
その通り、何かあったのだ。
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