最終話 ハッピーエンドロール
『せめてもの償いよ。私の命と引き換えに、結界を再構築するわ』
『でも、それではクロリンデ様が!』
『代わりに、ハドリー家を貴方に託すわ』
そう言って、彼女は柔らかく微笑んだ。それは恨みや憎しみを全て手放した、年相応の笑顔だった。
『大嫌いよ、私の、たった一人の──』
※※※
「──こうしてクロリンデ様の犠牲により、リリアが生還する。それがトゥルーエンドの結末です」
まだ春が遠いながらも、日の光が寮室へと淡く差し込む。テーブルの上に置かれたカップを手に取り、目の前の少女はゆったりと茶葉の香りを楽しんでいた。テーブルマナーを完全には把握していないらしいが、決して相手に不快感を与えない所作だった。
「ルーリィは、どうなるかだけネタバレで知っていたんですよ。ふふ、まるで今回の立場を逆にしたような展開ですね」
「でも誰も死んではいないわ」
「ええ、本当に、彼女が垣間見たどのエンドよりも素敵な結果ですね」
甘い香りを漂わせ、少女は私へと穏やかに微笑む。薄い水色の瞳は晴れた日の湖面を連想させるように凪いでいる。大人びて落ち着いた態度は、ルーリィの明るいそれとはあまりに食い違っていた。
「貴方、いつから意識が外に出てくるようになったの?」
「つい最近ですよ。恐らく、ルーリィさんの白魔法の能力が増していった影響ですね。この前は、夢の中で彼女とお話までできましたし」
リリア・キャンベル。こうして初めて会話をしても、やはり妹だとは思えなかった。というか、私よりも大人っぽく感じる気さえする。私の方が数か月は年上の筈なのだけれど。
「ルーリィから、身体を返してもらうつもり……ではなさそうね」
「彼女の記憶から、私がいればクロリンデ様を不幸にすると知りましたから。なら、貴方を救うと意気込む彼女に託そうと、決めたんです。まさか兄さん……エミリオがあそこまで拗らせていたのは予想外でしたが」
会った事もない腹違いの姉の為に、見ず知らずの相手へ身体を明け渡せるなんて、この子、結構器が大きいのかしら。それでも万能ではないから、幼馴染の変貌を予測できなかったのは仕方ないだろう。
「あの子はいずれ元の世界へ帰るつもりよ。例えそれができなかったとしても、貴方をこのままにしておくのは、私としても本意ではないわ」
「クロリンデ様……やっぱり、優しい方ですね」
ありがとうございます、と礼を言われる。全く嫌味を感じさせない響きに、返事の代わりに紅茶を一口飲んだ。名立たる男性方を虜にするだけはある。油断すれば懐柔されてしまいそうというか、妙に気を許してしまいそうというか、恐ろしい子だわ。
「クロリンデ様、偶にこうやって、お話させてもらってもいいでしょうか?」
「……好きになさい」
その程度を許可しただけで、本当に嬉しそうに笑うから。妙にすわりの悪い心地を味わう羽目になった。けれどまあ、……不快な茶会の時間では、なかった。
※※※
救夜祭の日の異変は、おのずと知れ渡った。学園一帯の人間が暫く昏睡していたのだから、問題は起きなかったと隠すには無理な規模だ。学園側は、私を含めた特専クラス全員の働きにより結界が再構築されて世界が護られたと公表した。お陰で災厄の娘扱いだった私も晴れて汚名返上となった。いずれ同じ髪と目をした別の人間こそが災厄を招くと主張する者もいるけれど、少なくとも私は世界を救った者達の一員だ。王城で功績を称えられた時の修道士達の不満を我慢した表情は、見ていて大変気分が良かった。
ルーリィやエミリオの魔界への加担は彼らの事情も鑑みて、特専クラスでの秘密となった。とはいえ、エミリオは悪魔と取引までしている。私は罰として、彼を解雇した。今の彼は、ユークの小間使いとして働いている。魔界側からの影響がないか確認するのにも、賢者の傍に置いておく方が、都合がいいらしい。安月給でこき使われているようだから、少しは痛い目を見ているだろう。いずれはリリア本人と、しっかり話し合わせる予定だ。また悪魔と手を組もうとされても困るもの。
大体は丸く収まったけれど、問題がいくつか残っている。私がルーリィに勝った後、彼女の力を使って魔界から脱出して結界を再構築したのだが、それなりに力があり、かつ人間界の近くにいた悪魔は、こちら側の世界にやってきてしまったのだ。
「ええい、何故この吾輩が人間の餓鬼共と肩を並べなければならんのだ!」
「しょうがないじゃないか、ボクらは捕虜なんだからさ。命があるだけ温情だよ」
「おっ、この羊、滅茶苦茶触り心地いいなー」
「気安く触るな!!」
配下の羊を撫でるヒノに、ヴールが怒りの声を上げる。まあまあと、リデルが隣でなだめている。人間の姿に化けた二人は、学園の制服を着ていた。
二人を教会に引き渡す案もあったが、修道士では悪魔を処刑するどころか脱走されかねない、とルーリィやユークが主張した。私も別世界では毎回処刑間際に逃げているらしいから、彼らの力不足には同感だった。改心させられないだろうかとエディトが甘い意見を言った時は幾人か驚いていたし、リデルに至っては笑い声を上げた程だ。
結局自分達で見張るのが一番安全と判断され、こうして特専クラスの一員となった。結界の影響で二人共かなり弱体化しているし、ヴールの配下の羊は一匹だけになった。寮もシエル様達と同室になっているし、ユークが二人に色々と魔法をかけているらしいから、暫くは大人しくしておくしかないだろう。そのうち本当に改心するかもしれない……だなんて私は期待していないけれど、エディトは懸命に彼らと打ち解けようとしていた。
「ごめん、君達の自由を奪っておいて虫が良すぎるのは分かっているけど、せめて少しでも居心地よく過ごしてもらいたいんだ」
「冗談も大概にしろ、吾輩がこの世界を気に入るなどあり得ん。力さえ戻れば直ぐにでもここにいる全員を縊り殺してやりたい位だ」
「まあまあ、どうせ結界がまた綻ぶまで数百年は先だ。それまで人間と遊ぶのも悪くないんじゃない。手駒を増やしたっていいんだしさ」
「ふむ……人間の娘を懐柔して子孫を作り、悪魔の血を引く手勢を増やすのも悪くないか。非常に不本意ではあるが、その為には人間界への理解を深める必要があるな」
シエル様が、やはり処分した方がいいのではと目線で訴えかけてきた。雲行きが怪しくなりつつある中、トラヴィス様がそっと本を差し出す。
「……コミュニケーション能力を高める本でも読むか」
「何!? そんな便利な教本があるのか!? ククク、悪魔に塩を送るとは愚かな。せめてもの慈悲だ、貴様は殺す時最後にしてやろう」
ヴールは『よい子のお話ハウツー本』と書かれた教本を、ニヤリと笑みを浮かべつつ尊大に受け取った。この悪魔、単純なのかしら。そしてまさかトラヴィス様、この手の本を沢山参考にしているのかしら。
皆の賑わいを遠巻きに眺めていると、ユークが私の隣に並んだ。彼は世界を救った賢者として、学園内でも普通に大人の姿でいるようになっていた。
「調子はどうだ」
「変わりはないわ。教会に送還する手配は結構よ」
「あのぼんくら共にどうにかできるか。勝手に罪状を作って処刑するのが関の山だ」
ブレスレットを撫で、そっと俯く。悪魔になりやすい体質は、そのままだ。つまり今後も悪魔になる可能性がある。
「私はずっと、このままなのかしら」
「方法はなくもないぞ。体質を塗り替えてしまえばいい」
ユークはそう言うと、私の手をそっと絡め捕った。指の合間から滑り込んできた熱に、息を呑む。つい赤くなってしまった頬を、満足そうな瞳が間近で覗き込んだ。
「こうして長い時間をかけて、魔力を注ぎ続けてやる。身体の余すところなく、俺に染まってしまえばいいんだ。……試してみるか」
「……っ、どうせまた私をからかって」
「ストーップ!」
絡み合った手に、強烈なチョップが上から落とされた。不埒な真似をしでかそうとした男から庇うように、ルーリィが間に割り込んでくる。
「すぐそうやってセクハラして、真っ当な手段じゃクロリンデを落とす自信がないだけじゃないですかー?」
「……随分態度がでかくなったな。何様のつもりだ、ルーリィ」
「クロリンデの親友ですけど?」
私の腕に絡みつつ、ルーリィはべーと舌を出した。あれからこの子は、色々と吹っ切れた。皆に自分をルーリィとして呼んで欲しいと頼み、私に対しては、更に距離が近くなった。
「待ちなさい、一体いつから親友になったのよ」
「えっ、嫌だった!?」
「……嫌とは言ってないでしょう」
「もしかして照れてるの? 可愛いー!」
「こ、こら、もう、やめなさい」
やけに可愛いとか言いだしてくるのも、変化の一つだ。人の事を母親呼ばわりしていた癖に、何なのかしら。振り払いきれずに困っていると、ジト目のユークと目が合った。
「おい、俺よりも対応が甘くないか」
「ふふん、これが日頃の行いと好感度の差ってやつですよ」
「……チッ。邪魔者を異世界に送り飛ばす魔法を早急に開発すべきだな」
ルーリィに言い返され、ユークは小声で毒づく。私だって、ユークがもっと普通に、分かりやすく接してくれたら、素直に返せる気もするけれど……いえ、更に羞恥を我慢できなくなるだけかもしれないわね。
彼女は今も、故郷への帰還を諦めていない。八重国は異世界の故郷と様式が似ているから何かヒントがあるかもしれないし、ユークだって協力に意欲的だ。それとは別に、推しの相手を見定めるためと私の傍で目を光らせるようになった。
喧しいけれど、私の意見まで蔑ろにするつもりはないらしいし、反応に困る接触や悪魔のしつこいアプローチに対応してくれるのは助かる。こういう時の生き生きとした彼女は嫌いではないし……。我ながら随分甘くなってしまった。どうやらルーリィとユークが相手だと、気が緩んでしまうらしい。
「大体魔力を注ぐんだったら、私とかシエル様とかトラヴィス様とかでも全然問題ないじゃん!」
矛先を向けられ、空気を読んで黙っていた殿方がこちらに視線を向けてくる。お断りだとでも言われるかと思ったのに、まるでじっくりと今後について考えを巡らせるような、妙な沈黙が走った。
「救世の一員となったハドリー家との婚姻は、王家として悪くない案ではあるな」
「……俺でよければ協力しよう」
「俺も特訓とかで恩があるし、一生面倒を見る位全然いいぜ!」
「ぼ、僕は破談になったから……でも、クロリンデを助けられるなら何だってするよ」
どういう事なの、どうして皆乗り気なのよ。何だこいつらという表情を浮かべているヴールに、今回ばかりは同意したい。まあでも、私だって好きでもない相手と結婚できるもの。彼らにとって、ハドリー家の価値が上がっただけだろう。私より、ルーリィの方が皆に好かれているだろうし……。
「悪いけど、クロリンデはボクという運命の相手がもういるんだ。そういうわけで、今からデートでもしようよ」
「残念でした、今日は私とお出かけなんだから!」
ルーリィは得意そうにリデルの意見を却下した。今でもしつこく絡んでくる悪魔を追い払ってくれるのは、正直助かるわ。
「実は私も救夜祭の時に贈り物を用意してたんだけど、壊れちゃって。だから今度は一緒に買いに行って、購入後即プレゼントしたいなって」
壊してしまったあたり、どうにもしまらないのが彼女らしい。条件があるわ、と腕にしがみ付いたままの彼女を、そっとほどく。
「壊れてしまった贈り物も、くれないかしら。どちらも大事にしたいもの」
「クロリンデ……やっぱ好き! 一生推すからね!!」
「きゃっ!?」
感極まったようにまたも抱き着かれた。癖になってるわね、これ。はいはいと軽く流しつつも、私はつい口元をほころばせていた。
いずれ別れが来るとしても、それはまた別の話。
それまでは、今の賑やかな幸せを噛みしめて。
ハッピーエンド後の人生は、これからも続いていく。
異世界転生妹と行く、悪魔令嬢死亡エンド回避のすすめ 蜜柑の瓶詰め @mikannobinzume
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