第43話 信じられない、信じたい
エディトが苦渋に満ちた表情で、リリアを庇っている。シエル様が毅然とした態度で、私の身体へ剣を貫き通す。ヒノの制服が、私の返り血で赤く染まる。お嬢様よりも何よりも大事なんだと、幼馴染を抱きしめたエミリオが啖呵を切る。見知った顔の出てくる物語の結末はどれも同じ、私の死だ。回転木馬のように切り替わる光景には、最近見知った顔も登場していた。
『ヴール、この裏切り者!』
『裏切りだと? 元人間如きが吾輩達の同胞になれると、本当に信じていたのか?』
呆れた声が、頭上から振ってくる。ヤギのような角を生やした悪魔が、私を見下ろしていた。体中の痛みに抗い口を開こうとするも、黒い靴に反論ごと頭を踏みつぶされる。
『あの男はこんな小娘のどこがいいのやら。まあ半端者同士波長でも合うのだろうな』
『足をどけなさ……っ』
『ああすまない虫けらの羽音など耳に入らんものでな』
踵で一層強く地面へ押し付けられ、目の前が真っ赤になる。どこから血が出ているのか、もう分からない。
『貴様はもう用済みだ。後は吾輩が同胞達の期待を背負い、魔界を忌々しい人間共から解放するのみ』
頭蓋を苛む痛みが遠のく。褐色の肌を持つ悪魔が軽く指を鳴らすと、凶悪な光を瞳に宿した羊達が周囲を取り囲んだ。
『まあ、今死ぬ貴様には関係のない話か』
どうでもよさそうに呟くと、悪魔は腕を振り下ろし、処刑の合図を送った。
※※※
死の間際はいつだって、見知った顔が纏わりついている。彼らは迷いなく世界の敵に刃を向ける。その度に、私の身体は死に支配される。いつだってそうだ。皆下賤な平民の血を引く女の為に、私を殺す。ああ、悪魔の裏切りにも遭ったのだった。
──でもリデルだけは、私を裏切っていない。
皆私が死ぬべきだと思っている。消える事で世界は救われる。私の役目は、誰かに殺される事なの? 世界の為に死ぬのが当然なの? 私が死ぬ事で、世界の役に立つとでも言うの?
──リデル以外は、皆私を殺そうとする。
もう嫌。誰も信じられない。誰も信じてはいけない。視界に映る全てが敵だ。
──そう、信じていいのは、リデルだけ。
※※※
「クロリンデ、しっかりしろ!」
自分を呼ぶ声に、意識の矛先が向けられる。視界は明かりのない夜のように、黒く澱んでいる。誰かが傍にいるのは辛うじて察せられたものの、内容は良く聞き取れなかった。どうでもいい内容だからだろうか。
「賢者殿、力になれる事はありますか」
「白魔法だ。肌に触れて、できる限り高出力で流し込め」
「それは……人体に悪影響が出る可能性があるのでは」
「言っている場合か、こいつを失いたくないならとっととやれ!」
何かが、控えめに肩に触れてくる。じわじわと闇が薄らいで、辛うじて周囲の状況が浮き彫りになった。カーテンで外から遮断された、見知らぬ部屋。私はどうやら、椅子に座らせられているようだ。澄んだ水が流れてくるように、視界の靄が拭い去られてゆく。私の肩に手を置いて真剣な表情を浮かべたトラヴィス様に、状況を見守っているユーク。どういう状況なのだろう。
──私をまた、殺すつもりなのかもしれない。
幾つも垣間見た夢が、説得力を伴って囁きかけてくる。 衝動のままに指を振り払い、男達を睨みつけた。目の前がまた暗くなる。なおも手を伸ばしてくるトラヴィス様の表情が、分からなくなった。
「触らないで!」
男の動きが止まる。今のうちに逃げないと。誰も信じてはいけない。殺される前に、いっそ。囁きに促されるまま振り回した手で小さな容器を掴み、投げつける。物体が床に落ちる鈍い音と、誰かの舌打ちが微かに耳に届いて。
「もういい、どけ! 俺がやる!」
手首を何かに掴まれ、柑橘類に似た香りが鼻腔を擽る。それに背中を押されるようにして、新たな記憶がフラッシュバックした。
※※※
『悪く思うなよ』
淡々とした声が、身動きの取れない身体に突き刺さる。透明な鎖に巻き付かれ磔となった私は、罰を受ける寸前の罪人同然だった。
『リリアは悲しむだろうが、世界の為だ。ここで死んでくれ、魔界の寵児』
無機質な音を奏でる靴音が、標的の前でぴたりと止まる。光り輝く剣が空中で生成された。こちらを見る賢者の眼には、殺意も侮蔑も憐憫も含まれていない。ただ只管に、どうでもよさそうだった。杖を持つ手が獲物を指し示したものの、不自然に動作を止める。今にも殺そうとしていた相手から視線を逸らし──『私』と視線が合った。
『誰だ』
※※※
「クロリンデ、いい加減幻覚から帰ってこい!」
突風が悪夢ごと強引に吹き飛ばす。視界が何度も明滅して、手首を掴む者の姿が滲む。ユークだ。私と協力を、違う、彼も私を殺す。リリアの為に。爪を立てて、どうにか抵抗しようと足掻いた。
「離しなさい、殺される前に殺してあげるわ!」
「くそっ、普段山積みした理性はどこへ捨てたんだ、大人しくしろ!」
「誰が従うものですか、貴方なんて……っ」
「いいから俺を信じろ!」
背中を掴まれ、引き寄せられる。抱きしめられた場所が、火照るような熱を灯した。大きな手が、もがこうとする私の髪を子供にするように何度も撫でる。微かなそよ風が耳元を擽り、私にだけ届くように言葉を紡がれた。
「この俺は、お前を絶対に殺さない。約束してやる」
「……ユーク」
「だから、安心して俺に身を預けろ」
私の指に、彼のそれが重ねられる。努めて優しそうに取り繕われた声と比べ、私を捉える力は強くて、痛みさえ感じた。絶対に離さないと告げる指に抗えず、私は伝わる熱を享受するように身体から力を抜いた。警戒を促す声より強烈な感情の波が、私を襲う。隠し続けていた奥底の本音が、大声で叫んでいた。
ずっと、誰かにこうしてもらいたかった。
信じさせてほしかった。
傍にいてほしかった。
ルーリィに抱き着かれた時は、抵抗していたけれど。くっついてこられるのが本当は嬉しかったなんて、認めたくなかった。胸元に顔を押し付け、嗚咽を漏らす。勝手に流れ出す涙を、誰にも見られたくなかった。なのに、気付いて欲しいだなんて馬鹿げた発想も浮かぶ。なだめるように触れてくる手が、人の眼から弱い私を隠してくれているようで。
激情が落ち着くまで、私は声も上げずただ身を震わせていた。
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