第41話 仕込み

「だからって、何故俺に頼る」

「何でもいいから言えと言ったのは貴方でしょう、賢者様?」


 私の言葉に、ユークは返答の代わりか煙草の煙を大きく吐いた。果実の甘い香りに似た風が、締め切った部屋をのろのろと漂う。山積みにされた書類や、分厚い書籍。机の上には、魔法の小道具が所狭しと置かれている。魔法学の教師の部屋は、とても散らかっていた。


「お嬢さんは、女を喜ばせる方法をご存じないほどに初心らしい」


 厭味ったらしい言い方をしつつ、男は椅子にどっかりと座っている。部屋主用と比べて貧相で小さい椅子に腰かけるも、所在ない気持ちで項垂れそうになった。こんな事、誰かに相談すべきではなかったのかもしれない。協力関係を鵜呑みにした私が、愚かだった。


「……もういいわ。自分でどうにかします。聞かなかったことにしてちょうだい」

「あー待て待て、分かった俺が悪かった」


 立ち上がりかけた手首を掴まれる。素早く煙草の火を消し、ユークは座り直すように促してきた。一応は約束を守ってくれるつもりなのかしら。こちらは既に彼を頼ったのを後悔してきているのだけれど。


「あの女なら、何でもいいから贈ってやれば喜ぶだろう」

「適当すぎるわ」

「じゃああれだ。救夜祭に、一緒に遊びにでも行けばいいだろう」


 雑過ぎる回答だわ。しかもデートに贈り物って、ルーリィが言っていた『境界のシルフィールド』での救夜祭イベントじゃないの。ルーリィは私のルートとやらを目指しているから、予言書の攻略キャラと似た行動を取るのは悪くない案かもしれないけれど。そう言えば、あのルーリィが私と一緒に救夜祭で行動したいとまだ言いだしていないなんて、やっぱり何か悩んでいるのかしら。


「そうだ、これをつけてみろ」


 考え込みそうになっていると、ユークから突然何かを放り投げてきた。慌てて受け取ってみると、それは真っ白なブレスレットだった。金属でできているのだろうか、滑らかなふちをなぞり、つい何か仕込まれていないかと確認した。


「警戒するな。悪魔との縁を遮断する効果しかない」

「それは大した効果じゃないかしら」

「俺は賢者だからな」


 ふふんと鼻を鳴らす動作は、子供っぽく見えた。私の悪魔堕ちを本当に防いでくれるつもりなのね。頼もしい……かもしれない。


「ああそうそう、ブレスレットは壊れるまで肌身離さず身に付けて──」


 ぴしり、と。自信満々な説明を、装身具から発した異音が遮った。傷一つなかった表面に無数の亀裂が走り、手作りのブレスレットは装着して数秒後には砕け散った。予想外だったのだろう、ユークは頬をひきつらせて破片を幾つか拾い上げる。


「おいおい、お前の身体は悪魔堕ちでも宿命づけられているんじゃないか。魔界の力に馴染みすぎているぞ」


 残念ながらその通りだとは言い辛かった。ルーリィから得た情報について共有するか迷う所だけれど、異世界転生とか言われても意味不明だろうしやめておきましょう。膝に落ちた破片を指先でつまむと、皮膚に突き刺さってちくりと痛んだ。やっぱり、そう簡単には悪魔から逃れられない運命なのだろうか。


「ユーク、救夜祭で一緒に過ごす場合、普通はどうするものなの」

「はあ? そんなのは人によるだろう」

「……そうよね」


 悪魔堕ちの件も、ルーリィの件も上手い案が思い浮かばない。だって誰かと遊びに出かけた事なんてないもの。今まで誕生日や祝祭日だろうと、勉強に明け暮れていたのだし。手詰まり感で項垂れると、床に映っている男の影がおどけるように揺れた。


「優等生もこの手の才能はからっきし、か」

「先ほどから喧嘩を売っているのかしら」

「いいや、何事もそつなくこなす人間なんて、つまらないだろうが」


 回収し終えた残骸を隅に押しやると、ユークは机に肘をついて、にやりと頬を釣り上げてきた。


「仕方ない、予行演習といくか」


 モスグリーン色の瞳が、新しい悪戯を思いついたと言わんばかりに輝いていた。




※※※




 救夜祭の起源は、白魔法の使い手達が魔界と人間界の間に結界を構築したのが発端だ。平和を祝う式典は時が経つにつれて大衆向けとなり、今では賑やかなお祭りとして市民に親しまれている。学園からほど近い街でも、祭りに向けてあちこちで準備が進められていた。


 まだ準備中とはいえ、テストが終了したばかりなので羽を伸ばす絶好のタイミングなのだろう。待ち合わせ場所の広場では開放感に浸りつつ街を散策している学生達がちらほら見受けられた。私は精々ルーリィに連れられて訪れる位だから、休日の賑わいには未だ慣れない。落ち着かない気持ちで待ち人の姿を探した。


「……早く来すぎたかしら」


 立ったまま、腕を組んでぼやく。待たせては悪いと思って約束の時刻の一時間前に到着したのだけれど、考えてみれば、あの適当賢者が時間きっちりに到着するかどうかも疑わしい。ルーリィと出かける時は、いっそ部屋まで迎えに行きましょう。早速勉強になったわ。


「ごめんごめん、待たせちゃったね」


 明るい声に、肩が跳ねる。ひきつりそうになる頬を堪えて振り向くと、リデルが手を振っていた。いかにも約束したのは自分です、と言わんばかりの態度だ。あまりに自然な態度で声をかけられたから、普通に学生同士で今から出かけるという錯覚さえ芽生えそうになった。


「いい加減ストーカー行為はやめてくれないかしら。こんな所にまで現れるなんて、自分の立場を理解しているの?」

「ボクを心配してくれるなんて、うれしいな」

「断じてしていません!」


 話の通じない悪魔に頭痛がしてきそうだわ。こんな人の往来がある所へ白昼堂々と現れるなんて、余程無事に逃げられる自信があるのだろうか。いいえ、私が助けを呼ばないと、見抜かれているんだわ。悪魔と関りがあるなんて、噂されたくないから。


「他の男とデートなんて、嫉妬しちゃうな。どうしてあんな男達と仲良くするの?」

「そもそも貴方とは、他の人との関係をとやかく指図されるような間柄ではないわ」


 苛々しそうになるのを堪えつつ、そっけなく返す。この悪魔、どこで嗅ぎ付けたのかしら。デートって、ただの予行演習なのだけれど。大体、リリアやルーリィじゃあるまいし、必要以上に仲を深めているつもりはないのに。


「クロリンデ、信用したらダメだよ。アイツらは綺麗な口上を盾にして、キミを裏切り、殺すような連中なんだから」


 悪魔は両肩を掴み、心配そうに眉を顰める。いつもの手口だ、騙されてはいけない。それにしても、やけに確信をもって警告してくるわね。まるで、ルーリィの予言書の内容を知っているような物言いだわ。ストーカー男が私達の会話を盗み聞きしていてもおかしくはないけれど、用心に越したことはない。あくまでそ知らぬふりをして、肩にかかる手を払いのけた。


「名誉棄損で訴えるわよ、失礼ね。目の前にいる悪魔の方が余程疑わしくて危険な敵じゃないの」


 予言書では仲睦まじいとしても、この私は悪魔の同族にはなっていない。警戒を保つ私を見て、リデルは悲しそうに首を横に振った。


「そうだよね……このキミは、まだ何も知らない。ボクの力で見せてあげるよ」


 しなやかな指を揃え、悪魔は私の視界を覆った。闇に閉ざされた視界の中、小さな声が鼓膜を震わせる。嫌気がさす程甘く、そしてどこか、冷ややかな声音だった。


「真実を、教えてあげる」

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