ハナミズキ、しゃべる
庭にあるハナミズキを、ぼんやりと眺めていた。
私は、この木が、ずっと嫌いだった。
父が植えたものだから――それだけで、なんだか、許せなかった。
父は仕事が忙しくて、あまり遊んでもらった記憶がない。
家にいるときもムスッとしていて、なんだか怖かった。
私は、父に愛されていない。
父はこのハナミズキを、大切にしていた。
私のことは、大切にしてくれなかったのに――。
胸の奥から、重たい気持ちが、ゆっくりとこみ上げてきた。
私は思わず、ハナミズキを軽く蹴った。
「いたいっ!」
……いま、声がした?
気のせいか。
「ちょっとぉ……いきなり蹴るとか、何考えてんのよ」
また声がする。あたりを見回すが、誰もいない。
すると突然、ハナミズキの葉が、不自然に揺れた。
不気味に思い、その場を離れようとした――そのとき。
「逃げないでよ。蹴られたこっちの身にもなってよねぇ」
声のするほうを振り向く。
そこにあるのは、ハナミズキ。……まさか、そんな……。
「もしかして……あなたなの?」
そんなバカな、と思いながら、恐る恐る話しかけてみる。
……返事はない。やっぱり気のせい、か。
「そうよ。いきなり蹴るなんて、失礼ね」
……じゃなかった!
驚きのあまり、思わず後ずさる。
「ふん。わたしが話して、びっくりした?」
私は、思わずコクンと頷いた。
なにこれ、どういうこと……?
「ちょうどいいわ。あんたに話したいことがあるのよ」
「……話?」
「わたしが、なぜここに植えられたか、知ってる?」
……知らない。
私は首を横に振った。父が植えた、ということしか知らない。
「はぁ、だと思った。知ってたら、蹴ろうなんて思わないはずよね〜」
「どういうこと?」
「今から、見せてあげる――」
ふわっと、柔らかな風が吹き、光が差し込んだ。
眩しくて、思わず目を閉じる。
そして、そっと目を開けたその瞬間――私は息を呑んだ。
そこにいたのは――
「おと……うさん?」
父が、目の前にいた。
いるはずがないのに、なぜ……。
「お父さん」と何度も呼びかけるが、こちらに気づく様子はない。
私は、思わず胸が詰まる。
父はスコップを持ち、黙々と土を掘っていた。
(あれ……ここって……)
ハナミズキが植えられていた場所だ。
そこにはまだ木がなく、ぽっかりと穴だけが開いている。
「よし、こんなもんだろう」
そう言って、小さな木の苗をそっと穴に置いた。
その手つきはとても丁寧で、やさしさにあふれていた。
(もしかして、これ……)
ハナミズキ。
私は、あの木が植えられた“瞬間”に立ち会っているらしい。
父は、植え終えた木を見つめ、満足そうに頷いた。
「娘が生まれたら、ハナミズキを植えたかったんだよな……」
え……?
じゃあ、この木って……私のために?
「うちの娘と同じように、すくすく育てよ」
そう言って笑う父は、とても穏やかで、優しい表情をしていた。
こんな父の顔を、私は初めて見た。
「俺……子育て、できるのか不安なんだよ」
ハナミズキに語りかける父の顔が、ふと曇る。
「嫁さんは大丈夫だって言ってくれたけど……。
俺は、親にまともに愛されたことがない。
そんな俺が、子どもを愛せるのか、正直、不安でさ……」
……お父さん。
そういえば、父の両親――おじいちゃんやおばあちゃんの話なんて、一度も聞いたことがなかった。
そういうことだったんだ。
「でもな……産まれたばかりの小さな娘を見て、すごく可愛いと思ったんだ。
ハナミズキは、俺も嫁さんも好きな花だ。春になったら、きれいな花を咲かせる。
ちょうど、娘の誕生日だよな。だから……すくすく育ってくれよ。
俺と一緒に、娘を祝ってやってくれ」
そう言って、父は小さな苗を、そっと撫でた。
その声は、とても優しくて、温かくて――
胸の奥に、じんわりと沁みこんでいく。
私は、思わず父に手を伸ばした。
その瞬間、ふいに風が吹き、まばゆい光が視界を包みこんだ。
⸻
気づけば、私は元の場所に戻っていた。
満開のハナミズキが、風に揺れ、花びらをそっと舞わせている。
私はゆっくりと、その幹に手を触れた。
「……なんで、お父さん……教えてくれなかったのよ」
私の目から、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちた。
もっと、早く知りたかった。
もっと、父と話がしたかった。
「まったく、不器用な親子だね……」
――ハナミズキが、そう呟いた気がした。
不思議と、その声が、胸の奥にやさしく残った。
私は、この木が好きだ。
父が植えてくれた、大切な木だから。
毎年、ハナミズキの花が咲くたびに、
私は、父を思い出す。
そして、静かに空を見上げる。
「お父さん、今年も咲いたよ――」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます