単発短編、別時空

次駅スグ

八つ当たり、あるいは玉に瑕

 授業中に、ずっとこちらを睨んでくる生徒がいた。

 ただ単になにか気に入らないことがあったのか。そうは見えなかった。

 教師への反抗期として済ますには、黒板の前の自分だけをきっかりと睨んでくる。

 理由があるのではないか? と、なぜかそう思った。

 けれども、放置をしていた。

 それがある日、自分の靴箱が荒らされるまでは。

 それはひどく幼稚で、嵐でも過ぎ去ったようだった。

 なぜか白紙のままくしゃくしゃに丸められた紙。その代わりに周りにばら撒かれた殺傷力の強い画鋲。

 白紙になにを記入するのか、想像だけの暴言を自分で記入する。

 誰がやったのかは分からないが、心当たりだけはある。




 すぐにできるだけの対応を取った。

 嫌がらせとみられることへの呼びかけ、心当たりのあるもの、または友人がやっているのを見ていたら名乗り出て欲しいこと、もし画鋲が刺さっていたら傷害罪になるかもしれない、しかるべき対応を取らせてもらうぞという脅し。

 なにか心当たりは? と他の教員に聞かれたので、隠すことでもないか、と思い、「ある生徒を疑っている」と口に出した。

 しかし、人を疑うことを知らないのか、それとも頭に道徳の教科書でも詰め込まれてしまったのかわからないそいつは、「その生徒なら、この一週間ちょうど外から登校する姿と、旗上げをする姿を校門で見てますよ。文化部でしょ。当番だそうです」と言った。

 挨拶するので、顔はがっちり見てますと。

 俺は特に運動部や吹奏楽部の顧問もしてないので、朝早く来る用事はない。

 向こうもそれは同じで、運動部や吹奏楽部ではない。

「見守り時間中は私がずっといるから、校門前に立っている時に来ているから、その前にはあなた来てるでしょ。6時よりも早すぎると防犯カメラや警備員がいるし」

 と、こちらを指差す。深くため息をついた。

 その条件はまったくもって生徒一人の出入りに気付くような門番にはならない。

 まあ、それは後で確認するとして。

「ちょうど一週間、やってるわけですね。先週ちょうど」

「そうですね」

「ちょうど靴箱が荒らされた週だけ」

 それはほとんど、自分にはアリバイがあるだろうと主張してきているようなものではないか。

 ただ、一週間で終わったのも事実だった。めっきり嫌な気分にはなったが。すこぶる嫌ではあったが。こっちは働いてるだけなのに。ひとまず根負けするまで続くというわけではなかった。

 ただ、理由だけはどうしても気になった。




 その生徒、高橋と最後に話したのは、普通に世間話だったと思う。面談の最中だったが、こっちからすると、「世間話ができた」という実績解除のような気分だった。向こうとしてはそうではなかったのだろう。

「そういやさ、一個聞きたいことがあって。中学の時の担任、もしかして俺の友達かもしれない」

 するとすぐに、高橋は「あの?」と名前を出した。

 よほど印象深かったらしい。

 高橋は中学受験の学校から、こちらの高校へとやって来た。

「そうそう、その人。大学の事の同期で、今でも連絡とり合うよ。頻繁に。飲みに行ったり」

「ああ……?」

 印象深かった割には微妙な反応すぎる。どう思われてるんだ、あいつ。

「知ってるんですか?」

「面白いやつだよ」

 すると、いくらか重たい沈黙が舞い降りた。

 ああ、これは突っ込んではいけないやつだったかな。

 すると、高橋はようやく口を開いた。

 どうやら、思い出話のようだ。

「昔、2年の頃に交通系ICを失くした頃に、もう一人の子と教室に残って探してたんです。そしたら、あの先生がやってきて」

 現在の自分の交通系ICを見せる。消えた定期券の痕が、刻み込まれている。

「私、その時に『ひょっとして盗まれたのかも?』って言ったんですよ。そしたら横に居た子が、すぐに私の机から取り出して。ノートとノートの間に挟んであったよ~って。さっきそこ調べたんですよ? だけど、担任にめっちゃ怒られたんです」

 その話に、思わず笑った。

「それはよく探すべきだったのかもな」

 すると、しばらく問いかけにも応じないような長い沈黙がやって来た。

 思わず、どうした? と聞くと、ようやく高橋は口を開いた。




 現在。振り返ってみて。

 素直に受け取るならば、彼女は「本当に盗まれていた」と感じていて、ずっと中学の担任を恨んでおり、それの関係で肯定した自分にも不信感が芽生えた。と、捉えられる。

 けれども、どうしても気になるのが、その次に高橋が発した言葉だった。

 奇妙な会話だった。

「あの、馬場くんに心当たりはありますか」

 二人が同じ学校出身ということは一応知っている。

 けれども、心当たりもなにも。

「心当たりというか、お前ら、今同じクラスだろ」




 それから、もう一つだけ。

 それは初めて、高橋が睨んだ時だ。

 自分の科目は現代文だが、科目が現代文というだけで恨まれる要素はあるか。よほど解釈が違うだとか、そもそも読み方を指定されたくないというこだわりがあったとして、その科目の先生にじゃあ嫌がらせをしようと思いつくのか?

 そもそも、最初に高橋が睨んだ時、その日は現代文から外れて軽い雑談をしていた。

 どういう流れだったかは忘れたが、クラス替えについてだったと思う。

 大体生徒にばらつきが無いようになってるとか、まあ、突っ込んだ話まではしていない。

「大体は、問題が起こった生徒同士はクラスを離す」

 とだけ。

 その授業の後に、彼女がやって来た。

「私が高校に上がる時のクラス替えの時は、関わってましたか?」

 言い忘れていたが、高橋も馬場も一年だ。

 さすがにそんなことを答えるわけにはいかない。

「いや、うーん」と、曖昧な鳴き声みたいなものだけを発して、高橋から離れた。

 まさか、それでちゃんと受け答えしなかったからか?




 馬場がなにか知っているのだろうか。

 幸いなことに、馬場ともう一人の女子、田中と世間話をするタイミングがあった。

 俺のことを毛嫌いしてるやつもいるらしくて、という話から話を変え、それとなく高橋のことについて書き出した。その流れはまずいか? と考えたが、意外に馬場と田中は勘付かなかったらしい。

「今は同じクラスだったけど、中学の頃は違うクラスだったから、高橋のことはそれほど知りませんよ」

 と、馬場は早口で言った。

 こうも馬場は続けた。

「高橋が完璧主義らしいとは聞いてる。修学旅行の時とか、班長とはいえ栞の一言一句に沿って動いてて、融通が利かないって」

 それはすごく高橋のイメージに合う。まあ、同じ学校ならそれくらいは知っているか。

「同じ学校だったもんな。帰り道とかも会わないか」

「俺はめちゃめちゃ遠くから来てたんで、そもそも会いませんね」

 そうだった。そういえば、馬場は中学受験組だった。そうなると公立中学よりも必然的に遠くに通うことになるだろう。

 馬場は肩をすくめた。

「そのせいもあって俺はぼっちだったから、中学の頃は辛かったな。まあ、教師不信という意味じゃ、毛嫌いしてる生徒の気持ちもわかる」

「なにかあったのか」

「俺、結構ひどいいじめを受けてて、担任が向こうの味方みたいに気付かないフリを続けて、俺をキチガイ扱いするから、めげそうだったんだけど。頑張って証拠集めて担任に突き出して。巧妙に隠してたし、バレても『そんなのされる方が悪い』って感じだし。でもさすがにここまでされる謂れは無いし。でもなんとかやめるまでやって。そこまでこぎつけるのがほんと大変だった。どこもこんなだと思うと、根本的に人間不信になっていく」

 俺は顔を顰める。

「よく証拠集めまでやったな」

 根気強さの方を言ったつもりだったが、

「証拠を残さないようで実害は与えてきてたんで」

 とさらりと言った。実害。

 その場にいた田中が笑いながら言う。

「ぼっちって言っても、一人はいたでしょ、友達」

「あいつは……人間不信の頃に友達にはなってくれたけど、3年の終わりごろだったし。多分気を遣って、他のやつの話はしないで音楽の話ばっかしてたよ。俺もずっと3年間イヤホンしてたから、音楽好きだと思ったんだろうな」

 俺は腕組みをして、嘆息した。

「……最後に、質問していいか」

 その質問を聞いた馬場は、気まずそうに目を逸らした。

 嘘をついたことがバレたから。

 馬場は、今度は正直に答えた。



 次の日。

 招き猫のように校舎の影から高橋を手だけで呼ぶ。

 あっさりと高橋は歩いて来た。

 ただし、顰め面で。

 適当に応接間に入る。一応他の人が入って来れないように。

 足を組むと、氷点下の視線で見られたので、そっと足を戻した。

 一言目は、

「証拠もないのに疑うんですか」

 と、ほとんど自白のようなセリフだった。

 犯人が「証拠は?」と真っ先に確認するような。

 ので、こちらも、ほとんど疑ってる前提で話した。

「それが高橋って確証は無い」

 件の別の教員には、再度別の質問をした。


  見守りの時間は何時ですか?

  一番早くて8時から8時半まで。まあ早いと7時半開始ではありますが、一応。

  7時ぴったりから校門前に居ることはありますか?

  無いですね。

  運動部や吹奏楽部などは、まあもっと早いですかね。

  大体7時前後ですね。

 これのどこが、その時間に来ていない証明になるんだ。

  それは運動部も同じくらいですよね。その時間も校門前にいますか。


 一応その後、用務員の人に確認した。

「7時よりも前に来ている人は居ますか? "体操服"で」

 すると彼は簡単に答えた。

「ああ、ちらほらいますよ。少ないから分かります。」

「その中に、髪の長い、こんな髪型の子、いませんでした?」

「こんな髪型かは分からないけど、最近髪の長い子はいましたよ」

 そこで、顔写真を見せようかと思った。

が、なんとなくやめた。

 恐らく、『確認すればすぐに分かる』というのが前提で、彼女は動いているのだろう。

 それに、そこまで明らかな犯人探しをしたいわけではなかった。



「が、確認したいことがあるので、いくつか聞きたいことがある」

 という建前で、高橋に話し出す。

「高橋と馬場が“前に”同じクラスだったのは、2年の時。修学旅行も同じ班だった。間違いないか?」

 一拍遅れて、高橋は首肯。

 馬場は確かに、「中学の頃は違うクラスだった」と言った。

 けれどもすぐに、高橋の修学旅行の時の印象を口にした。

 誰が教えたのか。

 馬場は「友達がいなかった」と漏らした。完全に誰もいなかったわけではないだろう。一人はいたようだ。けれども、その友人は馬場を気遣って他の人の話をしないようにしていたらしい。教えたとは思えない。

 それに、馬場は中学の3年間で外から遮断するようにずっとイヤホンをしていたらしい。他人の会話など聞こえないようにしていたのだろう。

 わざわざ、馬場が嘘をつく必要があった理由。

「馬場のいじめは、その2年の頃で間違いないか?」

 首肯。

 馬場は高橋の話題になった時、咄嗟に自分の過去と高橋が結びつかないようにした。それが、反対にその同じクラスであった時がいじめの時期だったという証明をしている。

 馬場にいじめの内容は確認した。

 彼は気丈に振る舞っていたが、首の汗と沈んだ目がスリッパのあたりをウロウロしている仕草を長続きさせるのが辛かった。

 後でなにかできたらいいが。

「いじめの内容は、ひとつは交通系ICを長期間盗んだうえで、新しく買い直したところで発見させる。ただ失くしたのを本人が勝手に大騒ぎしたかのように見せかけて、信用を落とす。定期券も買い直しになり、誰からも信じなくさせる。

 同時並行で、白紙と画鋲を靴に紛れ込ませ、先生が来る前に掃除する。

 そういうことを、何度も繰り返した」

 しっかりと、首肯。

 何度もは繰り返せないが、しっかりと、証拠は出にくいまま実害が出る。

 それが、『修学旅行があった時期』のいじめ。交通系ICを失くしたのは2年の時。

 そして、俺の友人が担任を続けていたのは、ICを失くした時の話で2年の時だとわかる。

「なあ」

 と、慎重に語りかけた。

「お前が交通系ICを盗まれた時は、あいつも」

 一呼吸。

「担任も、別に『目の前でいじめを見過ごしたかった』というわけでは」

「確かに気付いていたはずなんですよ!」

 空気を切り裂くような声で彼女は言った。

「いきなり本人が画鋲を入れられたと騒いで、行ったら無いなんて、立て続けにそんなことあるわけないでしょうが。なにか起こってる、そう疑い始めるはずなんです」

 なんでターゲットが馬場から高橋に移ったか。

「庇ったのか。馬場を

 首肯。

 一瞬だけ、彼女はいじめのターゲットを変えられた。

 一つ勇敢だったのは、盗まれた時にすぐに教室で主犯格と話していたことだろう。

 これから靴に画鋲を入れ続けられるかもしれないのにも関わらず、彼女は直接主犯に尋ねた。

 すると、担任が来た。

 明らかに、放課後仲良く失くしものを探すとは思えない組み合わせが教室に残っていた。

 片方は「盗まれた」と主張している。

 それは必死になって主張したはずだ。

 ところが、担任は彼女を笑い始めた。

 それを見て、察したのだろう。

 誰も助けないと。

 そして、高橋は馬場を庇うのを止めた。

 だから、馬場が一人で解決する必要があった。

 証拠を集められて開示された程度で、気が狂ったガ……子供が素直に止まるとは思えないので、そこまで無敵の子供ではなかったのだろう。無敵というのは皮肉だ。


 高橋は、昔は成績がよかったらしい。100点に固執するような。

 それが今は見る影もない。


 ただ、なぜ高橋が俺に対して突然態度を変えたのか。

 それから高橋は、すー、はーと深呼吸をした。

 それから、一つだけ質問をした。

「最初は単なる疑問だったんですよ。なんで、またあの子と同じクラスになったんだろう? って」

 初めて睨まれたのがクラス替えの話の後だったのを思い出す。

「最初は、一瞬だけ私が庇った側だったから。同じようにいじめられかけた経験があるから。でもあの先生が、直接高橋に尋ねられていないようなそこまでの件を把握して、それを情報共有するとか考えられないなって。

 そうじゃないなら、主犯格以外は特に、クラスをずらそうとかは考えていないだけなのかなって」

 まあ、それもありえる。

 30人分を、必ず人間関係の上で配置できるかは分からない。片方が無害だと思ったら、もう片方にいじめられた経験があっても同じクラスにくらいするだろう。

 ただ、それは俺の方から違うと分かる。

「交通系ICを盗まれた時の話をしたら、同じように先生が、あの担任と同じように、笑った。

 彼と全く同じことをされたのに。

 もし私が彼と違って、ただ盗まれたと騒ぎ立てるだけの異常者と思ってたら、もしくは他の生徒を見て同じように自分も騒ぎ立ててみる子供と思っていたら、画鋲を靴に入れられるような生徒と同じクラスにするだろうか? 少なくとも無害だと思うか? それまではまだ、ただの疑惑で終わる。

 だから、質問してみた。『馬場に心当たりはありますか?』

 これなら、内容を知らなくても、注意が必要かどうかは知っているだろうと。例えば、『過去にトラブルがあった』くらい」

 俺はそのまま顔に出る方だということは、多分バレている。

「最後は、さっきまでの話の反応ですね。いじめの内容を再確認した件」

 これを知りたかったのだろう。

「知らなかったのではなく、中学のいじめの件は、そのまま揉み消されて、一切高校側に伝わってないのでは?」

 無言は肯定と捉えてよかった。

 昨日の夜に、彼に電話をして、彼女と同じことを聞いた。

「馬場に心当たりは?」

 ……おお、同じ高校に行ったか! どうだった?

 いじめの件には一切触れなかった。

「馬場くんがしてきたのは無駄だったんだって」

 高橋は、誰にも聞こえないような声でぽつりと呟いた。

「あのまま、なあなあにならなければ、私は庇うのをやめたりしなかったのに、私が全部やめるきっかけにはならなかったのに……」

 その声が、あまりにも寂しかった。寒さに凍えて丸まった犬のような声だった。

 靴が荒らされた時、嫌な気持ちになったといえば簡単だった。ショックはもちろんある。一番は、「一日で終わらなかった」という点だった。5日目になると、「いつまでやるつもりだ」と鬱々としてきた。

 俺に当たったのは、それを友人に伝えると踏んだからか?

 睨んだのは、「自分だ」と、あえて伝える意図があったのでは?

 でも、それはいじめた奴らと同じではないだろうか?

 そう言うつもりだった。

「それでも、やっぱり靴箱を荒らした意味がわからない」

「それは、確かめたかっただけですよ」

 肩を落として、高橋は言った。

「あの担任、ずっと『証拠が無いから』って言ってたけど、調べようともしていなかった。気づかないフリで誤魔化してたから」

 ただね。

「“先生らって、自分が同じことされたら、必死になって犯人探しを始めるんだなー”って、そう思っただけです」

 個人に恨みはありません。ごめんなさい。

 想定外に謝られたので、面食らって俺は二の句が継げなくなった。

 外に雨が降って来た。傘を持っているのか。そう質問したくなったが、今ではないだろう。

 本当は、このまま、この生徒を報告し、反省文などの処置をする気でいた。

 そしてこうも言うつもりだった。

 だとしても、これは八つ当たりじゃないかと。

 だが、そういう処分を下すことが、正論をぶつけることが、本当に良いのか分からなかった。

 途方に暮れて、高橋の心臓のあたりをぼーっと見た。

 次になんと声を掛けるのか、誰かに話せるのならば、いっそ全て誰かに託したいとさえ、願った。

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