第2話 弱者の最期

「はぁ、ほんとなんでついてきたんだよ」

「私はご主人様しか信用していませんから!」


 父親に“死ね”と言われたあと、なぜかリアと一緒に死の森へ向かっていた。

 本当のところ、一人で屋敷を抜け出すつもりだった。だが父の部屋を出た直後、リアとばったり会ってしまったのだ。

 リアに「父上と何を話したのか」と強く問い詰められ、俺は覚悟を決めて父親とのやり取りを打ち明けた――

「じゃあ、私もついていきます!」

 そんな笑顔を向けられてしまい、拒否する暇もなく彼女は頑としてついてきた。


「お前、分かってるのか?」

「何がですか?」

「俺たちは──いや、俺はまさに死にに行くようなもんなんだぞ」

「はい、承知しております。だからこそ、私がご主人様を守ります」


 さっきまで前を向いて話していたリアが、こちらを振り返り、美しい瞳でじっと見つめ返してくる。

 確かに俺より強い。リアはメイドとして相応しい実力を持ち、もしものときには屋敷もご主人様も守るための訓練を受けている。


 しかし、それは“死の森”の魔物相手に通じる話ではない。多勢に無勢──否、圧倒的な力にはやはり敵わないだろう。

 俺のせいで、彼女の人生を不安に巻き込みたくない──そんな思いが胸を締めつける。


「自分が死ぬかもしれないのにか?」

「ご主人様が死んだら、私も死にます」

「俺より、自分を優先しないのか?」

「ご主人様がいなかったら、私はいません」


 俺が彼女の意思を尊重しようとしても、彼女は“ご主人様”という理由で俺から離れようとしない。

 なぜ、そこまで俺に執着するのか、理解に苦しむ。

 俺は守れる人間じゃない、ごく普通の弱い存在だ。

 ――邪魔者なんだ、俺は。


 何度も問いただす俺に、彼女はふと立ち止まり、小さく言った。


「着きましたね、ご主人様」

「……あぁ、着いたな」


 死の森に着いた。目の前に広がるその恐怖の地を、想像するだけで足が震えてくる。

 もちろん、今なら逃げ出せる。父上からの“死ね”とも受け取れる命令、その後はもう、フォンの名すらないただのアルバートだ。

 それでも、リアがついて来てくれた以上、ここまで来たからには――もう引き返せない。


 俺はゆっくり、しかし確実に一歩を踏み出す。

 さっきは道に沿って歩けた。小さな集落も、田んぼの景色も見えていた。だが今や、頭上に覆いかぶさるように繁る樹々と草の海。

 助けも呼べない。信じられるのは己のみ。


「ご主人様、大丈夫ですか?」

「あぁ……何とか、なるはずだ」


 俺は生き残れるなんて思っていない。それでも、リアを逃すためには、何かしら抵抗しなきゃならない。

 背中にはこれまで感じたことのない冷や汗と緊張の重み。

 俺は異空間バッグから剣を取り出し、腰に構えた――ないよりは、あったほうが何倍もマシだ。


 歩き続ける。5分、10分、20分――何事も起きない。異様な静けさが不安を煽る中で、リアはなぜか明るく

「いけちゃいそうですね!」と余裕な笑顔。

 そうしている間に――


「ウガァァァァァァッ!!!」

「「~っつ!」」


 右手から、凄まじい咆哮が響いた。

 地は震え、樹はざわつき、鳥は一斉に群れをなして飛び去る。

 俺は剣を抜き、右構え、目を凝らす。奥に立つ魔物──討伐ランクS、『フェンリルノクス』だ。

 記録された討伐歴はわずか二例。別名“夜の狼神”。


 漆黒の毛がマントのように身を包み、白銀の斑点が夜空の星を思わせる。

 灰色の瞳、その牙と爪は月明かりにも負けない鋭さ。

 本来、この魔物は夜行性――夜以外での出現は極めて稀なのに、いまの太陽の位置的に時刻は午後3時。確実なイレギュラー。

 他の魔物は逃げ去り、俺たちは障害なくここまで来た。まるで、罠に誘い込まれた――そんな感覚だった。


 逃げるには、あまりに厳しい状況だった。

 リアは俺より強いとはいえ、冒険者ランクはB程度。二人がかりで挑んでも、勝てる可能性はゼロに近い。

 俺が剣を構えると、リアもすぐに構えを取る。しかし、俺は彼女の前に手を出して制止した。


「ここは……俺がやる」

「そんな! ダメですご主人様! 私がご主人様を──!」

「いいんだ。俺は死にに来たんだ。それに、俺より強いリアをここで死なせるわけにはいかない」


 言い終えると、俺は来た道を振り返り、全力で駆け出した。

 少しでも、リアに被害が及ばないように。

 フェンリルノクスはこちらに視線を移し、一歩ずつ俺の方へ迫ってくる。俺は煽るように叫んだ。


「おい、魔獣! こっちだ!!」

「ご主人様っ!」

「リア! 今すぐ森を出て助けを呼んでくれ! 俺を──信じてくれ!!」

「……っ! 絶対、死なないでくださいね!!」


 リアは振り返ることなく走り去っていった。

 たぶん、これが彼女との最後の会話になるだろう。

 でも、まだ終わったわけじゃない。俺は、最後まで抗ってやる。


 走り続ける。五分、十分……リアとは十分すぎる距離ができたはずだ。

 フェンリルノクスの方が速いのは分かっていたが、森という障害がある分、そう簡単に追いつかれはしない。

 俺は立ち止まり、振り返って剣を握り直す。

 怖い。死ぬのは、やっぱり怖い。

 それでも――せめて、誰かのために死にたい。


「来い! お前なんか、ぶっ殺してやるよ!!」

「ウガァァァァァッ!!」


 俺の叫びに応えるように、フェンリルノクスが咆哮する。

 すぐさまその巨体が跳び上がり、口を開けて俺に襲いかかってきた。

 俺は横へ飛び退いて回避し、剣を振り抜く――


 カンッ!!!


 硬っ……なにこれ、鉄か!?

 毛一本すら切れなかった俺の斬撃。

 金属のような甲高い音が、森に響き渡る。


 俺はすぐに剣を引いてバックステップした――その瞬間、フェンリルノクスが視界から消えた。

 どこだ!? どこに行った!?

 だが、本能が告げる。


 今すぐ後ろを振り返って、剣を振れ――!!


 反射的に振り返って剣を振る……だが、手応えがない。

 何かが地面に落ちる音が、左手側から聞こえた。

 視線を送ると、俺の剣が転がっていた。


 ――吹き飛ばされたのか。

 そして、俺は理解した。俺は……負けたのだ。


 その瞬間、俺の視界は暗転した。

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