毒の花は凛と咲く
毒の徒華
咲村 雫
第1話 私、恋をしています
私、
まるで絵本の中に飛び込んだみたいに、私の世界はキラキラと色付いていきました。
それまでの私はモノクロの景色の中で、教室の片隅で誰にも気づかれないように息を潜めて生きるだけの存在でした。
透明な空気のように、そこにいてもいなくても変わらないような……そんな毎日。
私の日常には「いじめ」という言葉は存在しませんでした。
なぜなら私自身が、いじめられていると感じないからです。
教科書や持ち物を隠されたり壊されたり、提出物をシュレッダーにかけられても、それは「不思議な出来事」でした。
机の中に死んだ鳥が入れられていた日も、私はただたまたまそこに入ってしまっただけだと、そう信じようとしました。
不思議な出来事と信じることで心は傷つかない。
そうやって私の心は少しずつ、硬い殻に覆われていきました。
けれど、そんな私の世界にある日たった一輪の花が咲いたのです。
それは春の陽光のように眩しくて私の凍てついた心を溶かしていくような、そんな花。
同じクラスの
初めて彼を意識したのは高校一年生の春でした。
クラスで自己紹介が始まり、蓮くんが立ち上がった瞬間に教室の空気がパッと明るくなったのを覚えています。
「この高校の強豪バスケットボール部で俺は世界一になります!」
誰もが彼に注目し、彼の笑顔に吸い寄せられていく。
そんな彼の視線が一瞬だけ、本当に一瞬だけ私の席の方を向いた気がしたんです。
その瞬間、私のモノクロの世界に彼の瞳に移っている空の色と同じ、吸い込まれるような深い青色が差しました。
それから私の毎日は蓮くんを中心に回り始めました。
彼が笑うと私の心にも花が咲くようでした。
彼が少しでも困っていると、私も胸が締め付けられるように感じました。
でも、私は蓮くんに話しかけられなくて、陰ながら蓮くんを見つめる日々を送っていました。
彼の好きなもの、嫌いなもの、放課後の過ごし方、どんな音楽を聴くのか、どんなテレビ番組を見るのかとか。
私はこっそりと「蓮くん観察日記」をつけ始めました。
それは私にとって世界で一番大切な宝物になりました。
蓮くんは本当に優しい人です。
ある日の放課後、私はまたいつものように誰もいなくなった教室で一人、教科書を探していました。
ロッカーの奥、下駄箱の裏、どこにも見当たらなくて……諦めかけていたその時でした。
「あれ? 咲村さん、何か探してるの?」
まるで、どこか遠い場所から聞こえてくるような、けれど確かな彼の声。
顔を上げると蓮くんが教室の入り口に立っていました。
部活に向かう途中だったのでしょう。
彼は少し困ったような、でも優しい目で私を見ていました。
私の心臓はドクンと大きく鳴りました。
まさか、蓮くんから私に声をかけてくれるなんて……それに、私なんかの名前を憶えていてくれてて、まるで夢の中にいるかのように思いました。
「あ、えと、数学の教科書が……」
かすれて、蚊の鳴くような声しか出ませんでした。
上ずった声が出て恥ずかしいなと思っていた矢先、蓮くんは不思議そうな顔で私の机の引き出しを指さしました。
「これ? ここにあるよ? 見落としちゃった?」
彼が指さす先には、確かに私の数学の教科書がありました。
私が何度探しても見つからなかった教科書が、まるで最初からそこにあったかのように。
私は顔が熱くなるのを感じました。
なんて間抜けなんだろう、私。
蓮くんはそんな私を見て、優しく笑いました。
その笑顔は太陽みたいに眩しくて、私の心に深く刻み込まれました。
「見つかってよかったね。じゃあ、俺、部活だから」
そう言って、彼は教室を出て行きました。
去っていく彼の背中を見送りながら、私は確信しました。
こんな私の事を蓮くんは少しでも「日常」に組み込んでくれているんだと。
そう思うと本当に嬉しかったです。
そう考えると、私が授業中チラチラ蓮くんの方を見てたのも気づかれているのかも!?
蓮くんの日常に私がいる。
それが凄く嬉しかったのです。
あの日から、私の「蓮くん観察日記」はより一層、輝きを増していきました。
私は蓮くんの好みに合わせて、お昼休みはいつもパンを食べるようにしました。
彼が購買でよく買うクリームパン。
私も毎日それを買って彼が少し離れた席で食べているのを、こっそり見つめながら同じように食べる。
蓮くんが所属するバスケットボール部は、この地域では有名な強豪校です。
体育館での練習風景はいつも熱気で溢れていました。
私は、彼の練習風景を見るのが大好きでした。
バスケットシューズが床を擦る「キュッ、キュッ」という音、ボールが弾む心地よいリズム、そして高く跳ね上がって放たれたボールが、吸い込まれるようにネットを揺らす時の「ザシュッ」という音。
その全てが、私には蓮くんの奏でるメロディーに聞こえました。
ある日の昼休み、私は廊下で蓮くんとすれ違いました。
彼は友達と楽しそうに話していて、私のことなど視界にも入っていないだろうと思っていました。
けれど、彼が私の横を通り過ぎる瞬間、ふいに彼の声が耳に届いたのです。
「今日、咲村さんそのパンなんだ。そのパン好き?」
彼は私をまっすぐに見つめ、にこやかにそう問いかけました。
私の全身が、まるで雷に打たれたように痺れました。
彼は私のことを見ていてくれたんだ。
私が毎日クリームパンを食べていることに気づいてくれていたんだ。
「は、はい! パン、好きです!」
私は精一杯、笑顔を作って答えました。
蓮くんは「そっか」とだけ言って、また友達との会話に戻っていきました。
その何気ない一言が、私にとっては最高の贈り物でした。
彼は私が彼と同じパンを食べていることを知っている。
それだけで、私の心は幸福感で満たされました。
私と蓮くんの恋は、まだ始まったばかり。
これからたくさんの甘い思い出を重ねていくのでしょう。
そう信じて疑いませんでした。
私の世界はこれからも、蓮くんの色で彩られていくはずだから。
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