CINDER CODE(シンダーコード)
清水 臥龍蛇
第1話
暖炉の灰は、まだ熱を残していた。
静かに掃き寄せる箒の音が、屋敷の広間に反響する。
灰にまみれた薄布のエプロン、煤けた袖口、床に擦れた膝。
まるで童話の頁から抜け出たような“灰かぶり姫”が、そこにいた。
だが、その瞳は静かに火を灯していた。
透き通るような蒼の奥には、灰に埋もれない確かな意思がある。
「……よし。掃除完了」
彼女は囁くように言いながら、暖炉の掃除を終え後片付けをした。
カツ、カツ――
階段を降りてくるヒールの音がした。
現れたのは、ドレスに身を包んだ継母。
漆黒のロングドレスにルビーの首飾りを添え、白磁の肌には年齢の影もない。
言葉遣い、歩き方、すべてが“大人の気品”に満ちていた。だが、見る者によっては冷たい仮面にも見えるだろう。
「シンデレラ? お屋敷はお願いね。私たちは、ちょっと“お出かけ”してくるわ」
「はい、継母(おかあ)さま。どうか、お気をつけて」
続いて現れたのは、義姉たち。
長女のソフィアは華美なサファイアブルーのドレスを着こなしつつ、その眼差しは一切の甘さを許さない。
次女アリサは胸元のフリルをつまみながら「ねえ、あたしのリボン、ちょっと曲がってない?」と文句を言っている。
屋敷の外に、豪奢な馬車が待っていた。
街の広場へ向かう名家の淑女らしい姿――
しかし、誰も知らない。
その背中に、別の“顔”が隠されていることを。
◆ ◆ ◆
馬車は、屋敷から数百メートルほど離れたところで停車した。
馬が嘶き、御者が合図を送ると、車内の気配が一変する。
「よし、ドレス脱ぐわよ。アリサ、着替え急いで」
「もう〜こんな窮屈なのやだ〜!」
衣擦れの音。絹とレースが乱れ、フリルが脱ぎ捨てられる。
三人は手際よく、華美な衣装を脱ぎ、下に仕込んでいたスチームパンク調の戦闘服へと姿を変えていく。
継母は黒と金の装飾が施されたパンツドレスに、魔法使いのローブを腰にパレオのように巻きつけた。
布の揺れがまるで炎のようにたなびく。手には仕込み杖型の魔導具。気品の中に漂うのは、長年の修羅場を潜った者だけが持つ静かな威圧感。
ソフィアは、剣士然とした姿に変わる。
片腰にサーベル、背に細身剣、太腿には短剣――計五本。どれも使い込まれた鞘に収められていた。
髪を結い直しながら、「今日の敵は斬って済むのかしら」と無表情で呟く。
一方のアリサは、ミリタリー寄りのスタイル。
ガンベルトに弾帯を巻き、腰にはリボルバー式拳銃。
背中には改造型の散弾銃を背負い、あどけなさの残る顔で頬を膨らませる。
「銃、ちゃんと全部持ってきたからね。あとで貸してって言っても、あげないから」
「貸さないなら、先に使わせてって言うだけよ」
「ソフィアの剣より、私の銃のほうが早いもん!」
姉妹のやり取りに、継母は軽く微笑んだ。
「はいはい、仲良くして。今日は依頼案件よ。“歯の妖精”」
空気が、一瞬だけ重くなる。
「また子供を狙う系? うわ、めんどくさ……」
「依頼人は若い夫婦。娘が“歯が抜けた”夜から、おかしな現象が続いてるらしいわ」
「でたよ……またあの“夢”の御伽話?」
継母は魔導具のストッパーを解除しながら、静かに告げる。
「忘れないで。“あれ”らは――
自分たちで“優しい妖精の話”を広めたの。捕食対象である子供に近づくために」
馬車が再び走り出す。
窓の外には、夕暮れの街並みが広がっていた。
街の片隅に佇む、何の変哲もない一軒家。
だがその玄関先には、震えた足取りのまま出迎える若い夫婦と、その背後に怯えた顔を覗かせる幼い娘がいた。
「お、お待ちしておりました……ハンター様」
「お困りとのこと、拝命しておりますわ」
継母は淡く微笑みながら答えたが、その瞳はすでに状況を見通していた。
ソフィアとアリサも後ろで無言のまま、家の全体を鋭く観察している。
応接間に通され、家族から事情を聞くとすぐに“それ”が表に出てきた。
「娘の乳歯が……数日前に抜けたんです」
母親が震える声で語る。
「それから毎晩、部屋の中で……ギリギリと、歯ぎしりのような音が……」
「窓を締めても? 鍵をかけても?」
「はい……それでも、音だけは。どこからともなく聞こえるんです」
父親が硬い顔でうなずいた。
「夢ではない、と……?」
「ええ。私も一度、娘の部屋に入って、その音を確かに聞きました……!」
アリサが首をかしげる。
「ねえ、乳歯って……そんなに大事なの?」
「目印よ」ソフィアが低く答える。「あいつらは、子供の歯が落ちるタイミングを“香り”で察知する。狙うのはその時だけ」
「……“あいつら”って、妖精のこと?」
小さな声で娘が口を開いた。
「本で読んだことあるよ。“いい子にしてたら、抜けた歯を枕の下に置いておくと、妖精が金貨をくれる”って……違うの?」
アリサがしゃがみ込んで、娘と視線を合わせた。
「それ、妖精が自分で広めたウソよ」
言葉の端に、ほんの少しだけ怒気が滲む。
「子供を騙すために、おとぎ話を使ってるの。“優しい妖精”なんて、便利な仮面よ。近づいて、食べやすくするためのね」
「た、食べる……?」
「そう。歯を……骨を……それから、全部」
少女の顔が青ざめる。
アリサは表情を和らげると、そっと笑った。
「でも大丈夫。あたし達がいるから、今度は妖精の歯を吹っ飛ばす番よ」
◆ ◆ ◆
深夜。街は静寂に沈んでいた。
だが、一つの部屋――子供部屋の中にだけ、異質な音が響いていた。
ギリッ……ギリギリ……
まるで歯を擦り合わせるような、不快な金属音。
窓の外、風もないのにカーテンが揺れる。
そして、部屋の中に“何か”が立っていた。
目を凝らして見れば、背は低く痩せこけた女のようなシルエット。
だが、顔はあまりにも不自然に長く、無数の歯が笑っているかのように並ぶ。
小刻みに震える背中の羽からは、歯のかけらがぽろぽろと落ちていた。
ギリギリギリ……
ベッドに近づくと、その影は静かに布団を引き剥がした。
その瞬間――
「おしかったね、ばーか」
ベッドの下から、声が弾けた。
小柄な影――アリサがベッドの下から飛び出し、構えていた散弾銃が火を噴いた。一瞬の轟音とともに、妖精の上半身が爆ぜた。
火花と煙が閃光のように弾け、妖精の上半身が吹き飛ばされた。
「ったく、歯ぎしりがうるさいっての」
反動をかわして飛び退くアリサ。
だが、妖精は吹き飛ばされながらも咄嗟に羽を使って浮き上がった。
「逃がすと思った?」
その空中を、ソフィアの鋭い一閃が切り裂いた。
剣は二刀。連撃が交差し、妖精の羽根を斬り落とす。
羽は白く砕け、妖精は悲鳴を上げながら墜落した。
「空は封じたわ。さあ、どう逃げる?」
だが、妖精も一筋縄ではいかない。
半狂乱のまま床を転がり、部屋のドアを蹴り開けて別室へ逃げ込む。
そこには、怯える依頼主一家がいた。
父と母が娘を背に隠し、部屋の隅で震えている。
妖精は血走った目でその子供を見た瞬間――
「ッ……ああああァァァ!!」
興奮と執着に満ちた声をあげ、飛びかかる。
「目をつぶって!」
継母の声が響いた瞬間、部屋のドアを蹴破って彼女が突入。
掌に込めた一振りの灰が、部屋中に舞い上がる。
灰は空気中に広がり、目に見えるすべてをぼやかせる。
同時に、妖精の“視認力”と“対象認識”を奪っていく。
「……どこだ……どこ、子供は……」
錯乱したように空を探す妖精。
しかし、次の瞬間――
ギュゥン……ッ!
拘束魔法の紋が空間に浮かび、妖精の体を縛り上げた。
動きを封じられ、もがくその影に、二つの影が近づく。
アリサが、焼夷弾をリボルバーに装填しながら言った。
「歯の神様によろしくね」
引き金が引かれる。爆ぜる炎。
そして、ソフィアの剣がその灼熱に包まれた体を突き刺し、
焼け焦げた歯の化け物は、火と灰の中に消えていった――。
炎が妖精の体を蝕み、焼け爛れる皮膚の隙間から、白く並んだ歯が崩れていく。
その口からは、甲高く、耳障りな断末魔が響いた。
「ィィィイイイイイアアアアア……!!」
家の中に満ちていた恐怖と緊張が、ようやく煙と共に薄れていく。
けれど、継母と義姉たちは誰ひとり安堵の表情を浮かべなかった。
その目は冷たく、妖精の燃え尽きる様子を最後まで見届けていた。
やがて、炎の残滓がゆっくりと黒い灰に変わり、そこにあった“存在”は痕跡だけを残して消えた。
「終わったな」
ソフィアが刀を鞘に収めながら呟く。
「ふああ〜眠い。帰って甘いミルクでも飲みたい……」
アリサが大きく欠伸をしながら、銃の安全装置を戻す。
継母はただ、ひとつ深く息を吐いた。
「……これで、今夜は守れたわね」
◆ ◆ ◆
馬車が石畳を走る音が、夜の街に静かに響く。
月が雲間から覗くころ、三人のハンターたちは屋敷へと帰路を急いでいた。
しばしの沈黙ののち、継母が口を開く。
「最近……“奴ら”の動きが活発になってきている」
「わかるわ。以前なら、単独で家を襲うことなんて、滅多になかった」
ソフィアは窓の外を見ながら答えた。
「街にも出てるんだよね、妖精にまつわる変な噂。“金貨が落ちてた”とか、“見えない誰かが頭を撫でてきた”とか」
ソフィアは顔をしかめる。
継母は頷いた。
「兆候としては確か。**今、“あの子”を狙っている者も、きっといるわ」
声に、わずかに怒りが滲む。
ソフィアとアリサが、顔を見合わせる。
「あと……どれくらい?」
アリサが尋ねた。
継母は、目を伏せることなくまっすぐ前を見つめて答えた。
「……あと3ヶ月。シンデレラが成人すれば、奴らの“資格”から外れる。
だからこそ、今が最も狙われやすい」
「つまり……その3ヶ月を、守り切ればいいのね」
「ええ。何があっても、絶対に」
揺れる馬車の窓の向こうに、遠く屋敷の灯が見えてきた。
その家には、今も“灰かぶり姫”が帰りを待っている。
それは、世界が気づかぬまま守られていることの証だった。
継母は静かに言葉を続けた。
「シンデレラは、ただの灰かぶりなんかじゃない。
彼女は……娘は私達が守ると誓ったのよ。あの人の前で」
その言葉に、ソフィアもアリサも何も返さなかった。
ただ、三人の視線は同じ方向に向けられていた。
夜はまだ長い。
だが、彼女たちは信じている。
この灰の向こうに、必ず新しい光が待っていると――。
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