最終話 夢と現
並木道を少年と少女が腕を組んで寄り添うように歩いていた。
二人とも整った顔立ちをしている。
少年は少女よりも一歳か二歳くらい年上。
少女の顔には暗い影が落ちていた。
「わたしね」
少女が口を開いた。
「どうして、自分が生きているんだろうって考えるんだ」
少年は何も言わない。なんと言うべきか言葉を選んでいるようだった。
「だって、そうでしょう? 二十五人が同じ事故に巻き込まれて、そのうち二十人が亡くなったのに。わたしは生きている。それも無傷で。
亡くなった人たちと生きているわたしとを分けたのは一体なんだったんだろうって」
少女は半分は少年に語りかけるように、半分は独り言のようにつぶやく。
「運が良かった、じゃダメなのか?」
少年は言った。
「運が良かった。そうとしか言えないんじゃないか」
少年は少女に優しく語りかける。
「大事故に遭っての生死の境目なんて大抵はほんのちょっとのことなんだよ。その人のいた位置とか、体勢とか」
「そうかな」
「そうさ」
「うん。そうだよね」
少女は少年の言うことに同意しながらどこか遠くを見ている。
「どうしたんだよ、一体?」
少年は少女に問いかける。
「ずるいって思われていないかな。わたし」
「誰にだよ」
「亡くなったみんなに」
少年はすぐには答えられなかった。そんなことはないよと言いたかった。でも、それは違う気がした。
亡くなった人たちの想いは、その人たちにしかわからないことだから。
「
少女が言った。
人形のような表情をしたボブカットヘアの少女が二人の方に向かって来る。
「
「こんにちは、宝生さん」
「こんにちは」
「
「
「そう」
少女たちは少し立ち話をする。
「蓮華さんは、はっきりと口にしないけど、何を悩んでいるかはボクにもわかる。
ボクは生きるよ。
せっかく生きているんだから。
好きになった人も一緒に生きているんだから。
ボクは
宝という漢字には、かけがえのない人という意味がある。
一途にかけがえのない人と生きる。
それがボクの名前に込められた意味、願い。
ボクはかけがえのない愛する人と生きる」
じゃあボク、敬を探すから。そう言って去って行く。
「強い子だよな。強すぎてああいう風になれとは言えないけど」
「うん。強くて、優しくて、いい子だよ。
あれで一途に想う相手がついこの前一目惚れしたばかりで、思い込みの強いストーカーっぽいところがなければ、何も言うことないんだけどさ」
兄妹は再び歩き出す。
「一途ちゃんの好きな子じゃない方の男の子がさ、前に呟いているの聞いちゃったんだよね。『せめて死んでもおかしくない怪我だったら』ってさ。
言っていたことの意味、分かる気がしたよ。
大怪我して死にかけた上で生きてたら、それは自分の力みたいに思えるもの。
わたしだって、怪我で生死の境をさまよった上で、今こうして歩いているんだったら、きっとずっと気が楽だった」
無傷じゃね、と少女は言った。
「本当に運が良かっただけ。運以外にわたし自身なにか頑張ったから、今生きているんだったらどんなにいいか」
「生死の境なんて、さまよわなくて済むならその方がいいんだ。怪我がないなら、それが一番だ」
「……あの子が、多分一番深く傷ついている。
綿貫くんもあの子ほどじゃなくても、悩んで苦しんでいる。
宝生さんはああ言っていたけど、何も気にしていないわけじゃないことくらい、わたしにもわかる。
事故のことを思い出したくないんだろうね。わたしたちと会ったり話したりしたくないみたい。
……ごめんね、お兄ちゃん。こんなことばかり話してさ。
お父さんやお母さんには話せなくてさ」
「いいよ。おれにはいくらでも話してくれて。
父さん母さんを変に心配させたくなくて言えないのもわかるさ」
「せっかく復縁したんだしね。
わたしも
落合さんって呼ばれても時々自分とわからなかったくらい。
お父さんお母さんが離婚しちゃってさ。お兄ちゃんと離れて暮らすことになっちゃって。毎日会えなくて寂しかったんだから。
お兄ちゃんとまた一緒に暮らせるようになって本当によかった」
妹は嬉しそうな顔で言って、すぐにまた沈んだ表情に戻った。
「喜んじゃいけないよね。
だってそうでしょ? わたしはこうしてお兄ちゃんといられるけど。お兄ちゃんともう会えなくなった子もいるんだよ。お姉ちゃんや弟、妹。お父さん、お母さん。ともだち。
なのにわたしはーー」
「夢、お願いだから自分を責めないでくれ」
兄は懇願するように言う。
「自分を責めたからって、ほかの子達が生き返るわけじゃない。
たとえ、ほかの誰かと、変わってあげたいと思っても、夢が死んだとしても、誰か一人が代わりに生き返ったりするわけじゃないんだ」
「ねえ、お兄ちゃん。わたしに何が隠してない? あの事故に関係あることで」
唐突な妹の質問に兄は答えるべきか迷い、正直に話すことにした。
「あの事故で亡くなった
夢も見たことある。前に二人で歩いている時に、話しかけたら逃げるように走って行っちゃった子」
「ああ、あの子か。なんであの子あんな慌てて走って行ったんだろうね」
「なんでだろうな」
「ねえ」
そう言い合いながら腕を組んで歩く二人の姿は兄妹というよりも恋人同士のようだった。
「あれ? でも、お兄ちゃん、あの子のことをミサトちゃんって呼んでなかった?」
「あの子の名前の漢字だけ見て、『ミサトちゃんでいいのかな?』って訊いちゃったんだ。 そうしたらあの子『ハイッ』って。多分、うっかり返事しちゃって訂正しそびれたんだろうな。
だから、オレはあの子の本当の名前さえ知らなかったんだ」
「好きだったの? ミサトちゃんーーミリちゃんのこと?」
「……わっかんねぇよ。好きだったとしたら初恋さ。
経験したことがないから判断がつかない。
判断つく前にあの子はいなくなっちゃった」
「ねえ、もし生きていたのがミリちゃんで、死んだのがわたしだったら、お兄ちゃんはーー」
「……」
「ごめんなさい」
「いや、怒ってないよ」
兄は妹の顔を見つめる。
「おれは夢が生きていてくれて嬉しい。怪我ひとつなくて本当に良かったと思っている。それじゃダメか?
罪悪感で苦しむくらいならいっそ死んでしまいたかったと思うか?
オレはユメが死んでしまうなんて嫌だ。ユメと永遠に別れなくちゃいけないなんて嫌だ。 ユメは俺と会えなくなっても良かったのか?」
ユメは首を振る。
「いいわけないよ。死んじゃってお兄ちゃんに会えなくなるのは死ぬより辛いもの」
チグハグなことを言い切る妹に、兄は少し安心した様子だった。自分のよく知る妹らしくなってきたとでも思っているかのように。
妹は俯いて少し沈黙した後、口を開いた。
「夢を見たんだ。わたしのそっくりさんじゃないよ。眠って見る夢」
「それくらいわかっているよ」
「全然どんな内容なのか思い出せないけどさ、一つだけはっきりと覚えていることがあるんだ。夢の中で言われたこと。
『生きたいと強く思っているやつが生きた方がいいよな』って。
なんだか、わたしにすごく都合のいい言葉だよね。
まるでわたしが生きているのは生きたいって強く思っていたからみたいでさ。
神様がわたしを生かしてくれたみたいで。
ほかの人たちの生きたい気持ちが強くないわけないのに。
みんな死にたくなかったはずなのに」
「夢、ちょっとおかしなことを言うぞ」
少年は言葉とは裏腹に真剣な顔と声で言った。
「どうぞ」
「おれはさっき、夢が生きている理由は、運が良かったからと言ったけどさ」
「うん」
「夢は、夢の中で聞いた言葉を神様か何者かが、この子の生きたいと言う気持ちは強いから救ってやろうって言っているみたいに思ったんだよな」
「うん」
「でも、おれにはその言葉の主は、『お前の方が自分よりも強く生きたいと思っているからお前が生きろ』とそう言ってくれているように思える」
「……」
「まるでその言葉の主が、自分の生きる権利を夢に譲ってくれたようにおれには思えるんだ」
「自分は死んでもいいから、お前は生きろって?
どこの誰がそんなことを言うの?」
「亡くなった人たちの誰かさ。
二十人のうちの誰かが、本当はお前の代わりに生き残るはずだった誰かが。お前に生きる権利を譲ると言ってくれたんだ」
「それはーー一層わたしに都合のいい解釈だよね」
「だとしたら、おれはその子に感謝しなくちゃいけない。二十人のうち誰だかわからないけど。その子は自分の代わりに大切な妹をおれの元に生きて帰らせてくれたんだから」
「……お兄ちゃん。そんなバカな話ある?」
妹は少し呆れたように言った。
「自分で、言ったでしょ。わたしが死んで誰かが生き返るわけじゃないって。
誰かが死んだからって、それでわたしが生きているわけじゃない」
「でも、もしさ。あの事故で死ぬ人数と生き残れる人数が決まっていたのだとしたらさ。
亡くなった人はみんな、夢たち五人に生きる運命を譲ってくれたようなものさ。
夢の中で聞いた声の主だけじゃなくてさ。
おれはみんなに感謝しなくちゃ。
都合のいい話だって言うのなら、おれの言っていることも都合がいいことはわかっている。
夢の言うように兄弟を亡くしている人もいるんだし。
でもおれは、夢が生きていてくれて心から嬉しい。
それだけは本当だよ」
「うん、さっきは変な質問しかけたけど。それは疑っていない。
でも、そっかあ。
誰かがわたしのために自分の生きる権利をくれたかぁ。
もし、そうだとしたら、わたしはその誰かさんのおかげでこうしてお兄ちゃんと歩いていられるんだ」
少女は腕を組んでいた兄により密着した。
「そう言えばさあ、宝生さんが自分の名前の由来を話してくれたじゃん」
ガラッと話題が変わった。
「わたしは夢で、お兄ちゃんは
でも、お兄ちゃんを先に現って名付けるの変な感じじゃない? 順番が逆でさ。
長女に夢って付けて、後から弟を現にしたんなら違和感そんなにないけどさ。
なんで、こんなネーミングになったんだろうね?」
「おれじゃなくて、父さんと母さんに訊けばいいだろう?」
「それもそうだよね。
帰ろうか、お兄ちゃん」
兄妹は家路に着く。
風の中にかすかな声が聞こえた気がした。
夢の中で聞いたのと同じ言葉。
「生きたいと強く思っているやつが生きた方がいいよな」
空耳だと思うけど。
夢で聞いた時とは違って、どこか問いかけるような響きを持っている気がした。
お前は今、生きたいと強く思っているよな? 遠回しにそう聞かれている気がした。
心配しないで、ぶっきらぼうだけど優しい誰かさん。
夢は小さな声で、だけどはっきりと応える。
「生きていくよ」
FIN
25分の5の シンサク @sin-saku
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