作業台の抽斗(140字小説)
キカイ工
第1話『Ambient music』
『小火(ぼや)騒動』
神経回路の一部で漏電があり火が出た。幸い覚醒時で建材の燃える甘い異臭に早く気がづいたためシナプスの天井が僅に焦げて小さな穴があく程度のボヤで済んだ。お陰で身体に問題はないが心配そうに私を見る妻と名乗る女のことが思い出せない。初対面の彼女からは、あの時嗅いだのと同じ甘い香りがする。
『世界五分前仮説』
朝日が眩しいベランダに出て洗濯物を干す。ふと「世界五分前仮説」のことが頭に浮かぶ。一先ずこの世界の善し悪しは別にして良く出来た話ではある。反論のしようがない。五分前に誕生したとは信じがたい思い出を辿りながら、これもまたきっと五分前に神様が洗ってくれたに違いない洗濯物の皺を伸ばす。
『鋼鉄の密林』
廃校になった小学校の校庭の片隅にジャングルジムが取り残された。遊ぶ子もなく、適度に人の手も入らなくなったジャングルジムは瞬く間に自然へと還ると深い森と変わり運動場を占拠してしまった。成長する鋼鉄の青い森の頂から眺める夕日が美しいと噂だが、ジャングルで道に迷い帰れなくなる者も多い。
『Memento Moriを』
亡くなった父は、まだら認知症だったために自分が死んだことにまだ気づいていない。今日も息をするのも忘れ車椅子に座って窓の外、隣家の灰色の壁をただぼんやりと眺めて過ごす。死亡診断書はあるのだから荼毘に付して構わないと葬儀屋はいうが、正気に戻った父が己の死を理解するのを私は待っている。
『Ambient music』
同好の士、環境音楽愛好家のオーディオルームを訪ねた。設備は元より膨大な数の蒐集品に驚く。壁面を飾る年代物のレコードには畏怖すら覚える。椅子代わりに勧められた未加工レコード株に怖々座る。とっておきの一株を、と彼はターンテーブルに切り株をのせる。年輪を針が滑り大樹の記憶が再生される。
おまけ
『夢見』
飼っているメダカが夢の中をスイスイと彗星のように泳ぎ耳元で囁いた。曰く、この水槽は狭くて窮屈だ、知らないだろうけど僕は実はゾウメダカという珍しいメダカなんだ、広い海へ帰してくれ。翌日海まで来たが、メダカを海に放して良いものか悩む。じっと水槽を覗く。きっとこいつも夢を見たんだろう。
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