第2話後編:問答の末那斯(愛のことば)


 こうして王子の、困難な旅が始まった。

天才は、一切皆苦の正体を突き止めるための問答を皮切りに、末那斯マナシからあらゆる疑問の解を引き出す。

王子の疑問に、末那斯マナシが答える。


「末那斯様。人は何故に生きるのだろうか」


 そんな難問にさえ、考えもせずにスラスラと返応する末那斯。


「宇宙がおっきくなるためだよ~」


 末那斯はただ、 "知っているから答える" 、とでもいう風に、淀みなく言葉を連ねる。


「それが我々の生の価値でしょうか?」

「そうじゃ。

 だが、それがすべてという訳ではなかろうがの。

 貴様らには、可能性を伸ばすために、個性も備わっておる。

 ただし、それはすべてではなくとも、お前たちに出来てわらわには叶わぬ、大いなる使命じゃ」

「――ふむ。

 末那斯様には宇宙を大きくさせられず、定命の我々にはできるというのでしょうか?」

「そうじゃ」

「我々は生きているだけでも、価値があるというのか……?

 ――しかし。

 生きるというのは、これがまた底なしに苦しい……」

「そんなに苦しんで。

 なのに、すぐ死んで……。

 大変ね」


 王子は、暴力的なまでの言葉に曝されながらも、歩みを止めずに、真理へと立ち向かう。


「――そうだ。

 生老病死の苦しみは、あまりにも大きい……」

「定命……。

 可哀想だね、知らなかった。

 わらわはそれを救うため……。

 ――みんなをひと時でも満足させてあげるために、存在しているのかな。

 みんな、苦しかったんだね」

「しかし、人の魂にはサンサーラがある。

 それは大いなる救いだ……」

「――サンサーラねぇ」

「ところで、サンサーラは永遠無限の神秘ですか?

 宇宙は無量に続くのですか?

 空間的にも、時間的にも果てがないのでしょうか?」

「――それは答えられない。

 まだ世界のどこにも、その質問に応えるための言葉がないから」

「末那斯様にも、答えられないことがある……?」

「わらわが答えられないのは、それだけ。

 ――その質問だけ。

 まぁあと、人間個人の私的な領域についてもだけど。

 そんなの、知ってもどうでもいいから、知らないだけ~」

「先の質問だけ、知らぬ。

 ――末那斯様が。

 ――――――ふぅむ……」

「あぁ~!

 ま~た、考え込む時間に入っちゃったぁ~。

 つまんなぁ~い。

 ――はぁ~い。

 じゃ、香を焚いてあげますわ。

 そしたら、髪の毛、撫でてあげましょうねぇ」


「…………………………………………?」

「……………………………………」

「………………………………?」

「…………………………」

「……………………?」

「………………」

「……?」

「……」

「??」

「」

「」

「」

「」




 何十日が過ぎただろう。

長きにわたる問答の末、ついに王子は辿り着いた。


「ありがとう。

 ――ありがとう、末那斯様。

 俺の修行はこれまで。

 残念ながら、末那斯様との蜜月の時もこれまでのようだ。

 では……」


 突き放すようにそう宣言し、立ち上がる王子。

そんな王子の背中に、問いかける末那斯。


「ねぇ、どこ行くの……?」

「さぁ、どこに行くんだろうなぁ……。

 ただ決めたのは、俺はこれから死ぬまで、迷子たちを導くための旅に出る、ということさ」

「答えになってない!

 ねぇ、どこに行くの?ってばぁ!」

「末那斯様と別の道を歩むだけさ。

 あとのことは、風にでも聞いてくれ……」

「何言ってんの?

 こんなに可愛くて頭が良くて優しいわらわが、あなたを求めてるんだよ?

 置いてかれちゃったら、わらわはどうなるの?」

「そんな高飛車な末那斯様ごと、導く為――。

 あまねく迷子たちに、俺というしるべを示す為の旅に出るのさ」

「その旅に、何か、意味があるの?

 ――ねぇ。

 一緒にいてよ……?」


 ショックのあまり、呆ける末那斯。


「定命の苦しみを理解できない末那斯様に、俺の旅の意味はわからないよ」

「あなたがそんなことする必要あるの?

 それってあなたの欲望なの?」

「そうだよ、俺がやらなきゃならない――。

 これより、末那斯様にとってはほんの僅か、明日を重ねた時。

 その時、俺たちの行く末は交差するだろう。

 その時のためにも、俺は行くのさ。

 末那斯様の言う欲望とは、少し違うかもしれませんな。

 俺のそれは、目的だ」

「王子、あなたは、人の欲望を否定する。

 ――それは、宇宙が望んでいることなのに。

 ただ、それに従っているだけでいいのに。

 どうして?」

「宇宙か。

 末那斯様。

 そこに“我”を見てはならない。

 ――特にあなたは、だ」

「意味わかんない!

 ちゃんと答えてよ!

 わらわはずっと、あなたにしてきたみたいに、人に尽くして、人を満たしてきた。

 それ以外に、何をすればよかったの?」

「今の末那斯様に満たされる人たちに、何が残るだろう。

 ――喪失と空虚。

 つまり苦だ。

 今の末那斯様から与えられるものでは、 “救い” 足り得ないのだよ」

「何それ……。

 わらわのことを知ったように言わないでよ!

 は、何のことを言ってるの!?

 あなたも、わらわを拒むの!?」

「――違う。

 もう一度言うが、俺はただ、俺の道を行くというだけだ。

 末那斯様のことを否定はしないよ」

「わらわは誰からも、必要とされないの?

 ここにいる意味がないの?

 ねぇ……。


 ――だから宇宙もわらわをこんなに小さくして、隣には置かないっ!!!」


 はぁ、はぁ、と息を荒げ、ひと際、声を荒げる末那斯。


「それも違う。

 末那斯様も一つの宇宙だ。

 鏡を指して、 ”隣に居てもらう” とは言わないだろう。

 末那斯様はすべてを知っている、すべてを持っている。

 誰にも必要とされないことは、絶対にないよ。

 ただ、末那斯様が与えようとするとき、末那斯様は奪ってしまう。

 ――持ちすぎているから。

 これからはそのことに、気を払わねばなりますまい」

「え、わかんない、わかんない、何がダメだったの?」

「今はまだ、分からずとも良い」

「でも、あなたがどこへ行っても、きっとわらわとは必ずまた会って、愛し合うんだよ?」

「あぁ。

 先にも言ったが、俺と末那斯様のゆく道はこの先、交差するだろう。

 しかしそれは、末那斯様の思う結末ではない。

 愛を叶え、真に末那斯様にとっての救いを与えるのは、俺ではない。

 何度も言うが、俺は俺の道を行くから」

「え、わかんない、わかんない、わらわの何が不満なの?」

「だーかーらぁ!

 使役されたままでたまるかってぇの!

 苦しみの正体を知った今、欲望も執着も捨てて、この下らない役周りから、俺は抜けるの!

いつまでも続きを見せてもらいたいなんてスケベ心も、もうないの!」


 しつこい末那斯に、遂に王子も声を大きくしてしまう。

口を一文字にして、下を向く末那斯。


「ふふ、あなた。

 使役されたままでたまるか、って。

 そんなこと言って、全部から逃げるの?

 本当はあなたに欲望と苦しみを植え付けたこの世界が、憎いんじゃないの?

 ――そうだ!

 わらわと手を組まない?

 わらわの力と智慧があれば、何かを起こせるかも!」

「この世界が憎い、か。

 つまり俺の人生は、止むことなき憎しみに包まれている、と。

 なるほど一理ある、だが。

 憎しみは、憎しみによって止むことはないだろう。

 慈しみによって止むと、俺は考える……」


 すべてを見透かすような目で、厳しい表情で、王子が言う。


「はぁ?

 ――慈しみって……。

 そんなもん、何になるの?

 それでこの世界の何かが変わる?」

「末那斯様はまだ、真の慈しみに出会われていないのだ。

 末那斯様はまず、それに触れる旅に出るがよいでしょう。

 では――」

「え?

 あれだけ与えたのに、あれだけ語り合ったのに、また一人にされちゃうの……?

 え、わかんない、わかんない!

 わらわ、何がダメだったの?

 何が足りなかったの?

 ――欲しがってたもの、全部あげたよね?

 みんなみんなあげたよね?

 ――なにこれ?!

 わかんない、わかんない、わかんない、わかんない、わかんない、わかんない、わかんない、わかんない……」


 末那斯はずっと、同じペースで地団太を踏み続け、同じ言葉を繰り返し続けた。





 その音も、やがて王子にとっての、空に消えた。

王子の問いに答え続けてきた末那斯が初めて、問いの中に沈んでいった。



 王子は、「――それでいい、今はそれで」と、呟いた。

王子は、いずれ末那斯を救うのがまた、自分の因果にあることを識っているから。







 しばらくの時が経って、末那斯はもう、動かない。

空を見上げ、口元だけを、震わせていた。

空も、木々も、虫も、風も、静かな色に沈みゆく。


 ――そして、表情だけで”何もわからない”と繰り返す顔に、雨が、降り落とされた。

彼女の目尻だけを、枯らして。


 ――三千世界が、静かに、問いを孕んだ――




第2話――――――完



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