槙田くんと6人の悪女たち
七草葵
第一話 この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ
1.懐かしい街
自分が善良であると断言できる人間が、この世にどれだけいるだろう。
誰からも好かれることなんてできない。
世の中にはあらゆる人間がいてあらゆる自我があるのだから、その全てに受け入れられるはずがない。
もしもそれが可能な人間がいるとしたら――おそらく、その人こそが悪なのだ。
僕はこの世の誰もに好かれていると考えるほど傲慢ではない。
そして、なるべく善良であろうと思っている。
だからたぶん、僕はそれなりに善良だ。
少なくとも――悪女荘の住人たちよりは。
× × ×
たいがいの荷物は配送してもらったので身軽だった。僕はリュックの紐をぎゅっと握り締め、懐かしい土地へ降り立った。
「昔と全然変わらない……わけないか」
駅前に大量の花輪が飾られていた。何か新しい施設がオープンしたらしく、テレビカメラややじ馬が連なっている。昔そこに何があったのか全然思い出せない。よく考えれば、この町に遊びに来ていた頃のことなんてほとんど覚えていなかった。
スマホを開いてSNSアプリを起動する。
迎えを断ったために気を揉んでいるはずの叔母に駅へ到着したことを報告した後、メッセージの相手を切り替える。
「着きました。やっぱり十年ぶりだと全然思い出せません」
メッセージを送信すると、すぐに返信がきた。
》焦ることはないさ
連続してメッセージが届く。
》その町で、君は運命の女の子に出会う。
》もしかしたらそれは、今日かもしれない。
一瞬、周囲の音が遠のいた。
「新生活1日目で運命の出会いって、ベタすぎませんか?」
》ふふ。信じる者は救われる、だよ。頑張って
画面の向こうで、美女が微笑む幻影が浮かんで消えた。
「……よし、行くか」
スマホをポケットにしまい、歩き出そうとした時――ガシャン!
「えっ?」
何かが割れる音に動きを止める。足元を見ると、ポケットに入れたはずのスマホが地面で無残な姿をさらしていた。
「うわあああ!?」
なぜかジャケットのポケットに穴が開いていた。スマホはその穴からスルッと落ちてしまったらしい。
慌てて拾い上げる。スマホの画面がバッキバキだ。フリックしたら確実に指紋がお亡くなりになる。一応電源を入れようとするが、うんともすんとも言わない。
「う、嘘だろ……」
スマホがないと目的地までたどり着けない。子供のころに来たきりで、場所なんて全然覚えてないんだから。
「あの……大丈夫ですか?」
「へ……?」
強い風が吹いた。
どこからともなく、桜の花びらが舞う。
目の前に、女の子が立っていた。
一瞬、世界中の音が消える。
あの時と同じだ。
――今日、君は運命の女の子に出会う。
そう言われた時と同じ静寂。
胸の上あたりで切りそろえられた黒髪は、絹のように艶やか。つぶらな瞳は陽の光を含んで青みを帯びている。桜を人の姿にしたら、きっとこんな女の子になるだろう。
目の前に立っている女の子は、僕の視線を受け止めて微笑んだ。小さく首を傾げた拍子に、肩口から髪がはらりと落ちる。
それが合図になったように、世界に音が戻った。
「そのスマホが落ちるところ見ていたんです。大丈夫でしたか?」
「あ、いや……その、ダメみたいです。電源つかなくなっちゃって」
「大変ですね。スマホがないと困りますよね」
「いや、実はそうなんです。たった今この街に来たばっかりで」
「そうなんですか? 災難ですね。まさかそんな時にスマホを壊してしまなんて」
「いやぁ……ここ数年ずっと不幸続きなんです、僕。だから結構慣れました」
さすがにスマホを壊したのは半年ぶりだけど。
「不幸続きって……?」
「不幸体質って言うんですかね。こういうこと、本当に多いんです」
じゃんけんをすれば必ず負け、散歩をすれば鳥に襲われ、階段を昇れば踏み外す。
何度確認してもなぜか必ず忘れ物があるし、大事なイベントの日はほとんど雨で中止になる。妹には「お兄ちゃんと一緒だと絶対雨になるからもう一緒に出かけない!」なんて言われるほど。
この不幸体質をなんとかするためにこの街に来たのに……早速発動してしまうとは幸先が悪い。
「とりあえず、修理屋に持って行ってみようと思います。このあたりって、そういう店はありますか?」
「近くの商店街にならありますよ。よかったら案内します」
「えっ」
いいんだろうか、こんな美少女に道案内を頼んでも。
スマホは壊れたけどそれ以上の幸運が降ってきたような感じだ。
「遠慮しなくても大丈夫ですよ。困ったときはお互い様ですから」
天使だ。天使がいる。
いきなりの出会いに感動しつつ、僕は彼女と歩きだした。
彼女が運命の女の子だったらいいのに、なんて思ってしまう。……まあそんなことは、彼女が天使である時点でありえないんだけど。
× × ×
「荷物、重そうですけど……大丈夫ですか?」
持ちましょうかと言う勇気がない自分が憎い。ピンチの時に道案内を買って出てくれた恩人に、重たい思いをさせたくないのに。
「大丈夫ですよ、慣れてますから」
「慣れてるって……?」
「ええ。私、図書館が好きなんです。だからお休みの日はいつも市立図書館に行くんです。だから、本の重さには慣れてるんですよ」
こんなに美少女で、しかも文学少女。ますます素敵だ。本を読んでいる姿はきっと絵になるだろう。
まるで漫画やアニメの登場人物みたいだ。いつも市立図書館にいる――ってセリフも、どこか懐かしいような、聞いたことがあるような感じがする。
「あなたは、どうしてこの街に?」
店まで歩く道すがら、彼女が首をかしげる。
「引っ越してきたんです。椿荘っていう場所に住むことになっていて」
言ってからしまったと思う。
このあたりで「椿荘」という名前を聞いて怖がらない人はいない。せっかく親切にしてくれた女の子に見捨てられたら、この先やっていく自信もなくなりそうだ。
「そうなんですか。それじゃあ、転校ですか?」
「いや、進学で。真野愛学園の高等部に入るんです」
「それじゃあ私と一緒ですよ、私も明日から一年生」
「そうなんですか!?」
「同い年なら敬語じゃなくてもいいですよ……ぁっ、じゃなくて……いいよね?」
「そうですね……あ、じゃなくて……そうだね」
「ふふっ……なんだか緊張しちゃうね」
彼女がふわりと笑うだけで、周囲が華やぐ。素直にかわいいと思ってしまう。妹以外の女の子に免疫がない身としてはなおさらだ。
「同じクラスだといいね。ほら、真野愛学園は中等部からの内部進学組が多いでしょ? 高等部からの知り合いがいると、心強いもの」
天使と同じクラス。そんな奇跡が起きたら最高だ。
僕の不幸体質が発動しなければいいんだけれど……。
「私、
「あっ、僕、槙田です。
「くすっ……また敬語使っちゃってるね、私たち」
照れたように笑う赤津さんは最高にかわいい。
どうしてこんなに心惹かれるんだろう。
天使な彼女は、運命の女の子ではありえないはずなのに――。
「お店着いたよ」
言われて気づく。いつの間にか商店街に入っていたらしい。
赤津さんの指さす先に「スマホ修理」の看板があった。
「ありがとう。助かったよ」
「ううん。言ったでしょ? 困ったときはお互い様だよ」
「そ、そっか」
「それじゃあ、また明日学園でね。槙田くん」
「う、うんっ。また明日」
赤津さんは何度も振り向いて手を振りながら、立ち去って行った。
天使の羽が生えていそうなその背中が見えなくなるまで、僕は陶然として店の前に立ち尽くしていた。
× × ×
修理には五日ほどかかるらしい。スマホを預けて、店を出る直前。
そうだ、スマホを修理してもらうだけじゃだめだった。
目的地への道順も聞いておかなければ。
「あの、スマホとは関係ないんですが」
店員さんが営業スマイルを浮かべる。
「いかがなさいました?」
「椿荘に行きたいので、道順を……」
「つっ……椿荘!?」
店内中がざわつく。
「椿荘に、一体なんのご用事で……?」
営業スマイルは完全に凍り付き、店員さんの顔は真っ青になっていた。
「これから入寮するんです」
店内のざわめきがさらに大きくなった。店員どころか客まで驚愕の目で僕を見ている。
そうだよな。普通、椿荘と言えばこんな反応になるよな……。
先ほどの女の子の反応の方が珍しいんだ。
きっと赤津さんは心が清らかな女の子なんだ。そう、さながら聖女のように。
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