第9話 第一章 至上神と天麗神(8)
「それでさ。立ち入りすぎかもしれないとは思ってるんだけど」
言いにくそうにノールが言って、リュースが初対面のときの態度に戻す。
どうやら完全にではなくても、警戒は解いてくれたらしい。
「伯父上たちのことについては聞かない。さっきまでの会話で、大体のことは俺にもわかったし、俺に言わせても悪いのは、伯父上たちだと思うから」
「‥‥‥」
「でも、そこでどうしてセインに絡むんだ」
「セイン?」
怪訝そうな声に一言だけ答えた。
「おまえの双生児の兄貴の愛称だよ。セインノーアっていうんだ。セインノーア・ラリューズ・デ・セシーラ。で、おまえがセインリュース・メサイアナイト・デ・セシーラ。ふたりは至上界セシーラ皇家の正当な世継ぎの君だ」
おそらく彼の境遇を思えば、自らの正式名すら知らないだろうと思い、兄の名を教えるときにさりげなく教えておいた。
ノールの気遣いに気づいたのか、リュースは複雑な顔はしたものの、兄の話題を出したノールを責めるようなことはしなかった。
「俺もよく状況がわかってないし、こういうことをおまえに訊ねるのって非道だって気がしないでもない。でも、気になるから訊くよ。セインがおまえからすべてを奪うってなんのことなんだ? 今更、迷惑だって、どうしてセインにいうんだ? セインだってあの日まで、お前のことは伏せられていて知らなかったんだぞ?」
それなのにそんなことをいうのは酷過ぎないかと、ノールの声音に出ていた。
あの日の絶望が胸によみがえる。
「双生児ってどういう意味だと思う?」
「どういうって」
「この際、常識的な意味合いは無視だよ。普通なら子供が何人いても、同一視なんてできない。でも、面影を重ねるのにちょうどいい双生児なら? 顔も声も似てる子供なら、傍にいないもうひとりの子供の面影を重ね、自分たちの罪悪感をごまかすためには、最適だったんじゃないのか? 界星夫妻にとって至上神はちょうどいい身代わりだったんだよ」
「リュース」
両親を界星夫妻と言いセインを身代わりだといったリュースに驚いた。
でも、そんな寂しいことを打ち明ける、リュースの細い肩の方が震えている。
「俺もどのくらい似てるのか知らないけどさ、界皇夫妻にとっては至上神は、自分たちの罪悪感を消してくれて、虚栄心を満たしてくれるちょうどいい身代わりだったんだ」
「虚栄心を満たしてくれる身代わり」
それがなにを意味しているのか、ノールはわかった気がした。
リュースの問題が明らかになる前、セインは両親の愛情を一身に受けて育っていた。
少し甘やかしすぎではないのかと、ノールが呆れるくらいには、伯母夫妻は彼に甘かったのだ。
そのころ、リュースは苦しんでいただろう。だれかの手が欲しくて、泣きたいほど嘆いたこともあるだろう。
そんなときも伯母夫妻はセインを溺愛していた。
まるで傍にいないもうひとりの皇子の身代わりのように。
リュースに注ぐはずだった愛情まで彼に注いでいた。
それは事実だった。
「あいつが俺からなにも奪ってないって? それ、おまえの口からもいえる?」
「リュース」
「俺がどれほどの絶望を乗り越えて、今こうしているのか知ろうともしないで、今更掌を返されても迷惑なだけなんだよっ。傲慢な人々の自己満足に付き合うほど、俺は暇でもなければで酔狂でもないんだっ」
我慢できないと叩きつけるリュースの顔色が、あっというまに悪くなっていった。
「おい、リュース?」
腕の中で荒い息をついている細い従兄弟の身体を、そっと抱きしめる。その手が溺れかけた人間が必死に縋るように、ノールの二の腕を掴んでいた。
「生き地獄を見ているときも、俺はひとりぼっちだったんだから」
意識を失う直前、消え入るような声でそう言って。
「お下がりくださいっ。早くお手当てをしなくてはっ」
なにも合図をしていないのに、リュースが昏倒した途端、塔長をはじめとする医師団がやってきて、ノールは部屋の隅に追い込まれた。
憶ただしく動く医師たちを見ていて、そうして気づいた。
細く小さな手。
女の子よりも細く繊細な手が、なにかを求めているように彷徨っている。
慣れた光景なのか。
塔長が痛ましそうにその手を見て、一度だけぎゅっと握りしめる。それでもその手は彷徨っていた。
たったひとつの「なにか」を求めて。
瞬間、ノールは理屈でも建前でもなく、本能で自分がなにをするべきか悟って、医師たちを振り切って寝台に近づいた。
そこでは昏倒したリュースが、相変わらずその小さな頼りない手を彷徨わせている。
ノールは黙ってその手を握った。
「ここにいるから。傍にいるから、だから、頑張れ。負けるな、リュース」
震える声でそういった。このとき、はっきり理解した。
夢現に支えを求めて差し出されていた幼い手。
そんな簡単なことに気づくこともせず、見捨ててきた両親。そしてそんな両親に、なにも知らない傲慢さで愛されて、その愛情を一身に受けることを、当然だと思ってきた双生児の兄。
リュースには一体どう見えていたのだろう。
それはセインの傲慢に映っていただろう。
ただの同情に過ぎないと。
セインがリュースを不憫だと思うのは、ただの傲慢だ。優位な位置に立っているから、無責任に「可哀想な弟」だと思える。
その「可京相な不憫な弟」に自分がなにをしてきたのか、そのことには気づくこともせずに。
リュースが生き地獄を味わっているとき、一番欲しかった心の支えを奪っていたのはセインだった。
それが自分のものだと疑いもせずに、その影で泣いている弟の存在を踏み躙ってきた。
知らなかったでは通らない。
過去はすでに現実で夢にも仮定にもならないのだから。
知らなかったのだから自分のせいではないと、だから、恨むなと、兄として受け入れろというのは、リュースにとって徹慢な要求だった。
知らなかったから?
それを認めたとしても、セインがリュースが受けるはずだったすべてのものを独占していた現実は消えない。
これを「知らなった」の一言で片づけられては、あまりにリュースが報われない。
リュースが一番欲しかったものを生まれつき手に入れていた双生児の兄。
愛されること気遣われることを当然のこととして、疑問すら抱かなかった。
そのセインがリュースの存在を知ったからと、憐れむのはあまりに傲慢というものだ。
バカにするのもほどほどにしてくれと、リュースが爆発する気持ちもよくわかる。
彼らのやっていることは自己の正当化だ。
リュースに許されることで、自責の念から解放されたいのだ。
大人たちのあまりに利己的な考えにノールは吐き気を覚えていた。
華奢で小さなこの手を守りたいと、心の中で誓いながら。
ただ今ではまだ無理でも、いずれ精神が大人になれば、セインだってそういって拒絶してしまう弟の気持ちが、理解できるときがくるだろう。
だけど理解できても理不尽だと思う感想を打ち消せないかもしれない。
セインに言わせれば、そうなることを望んだのは自分ではないということになるのだろうから。
どちらにも譲れない主張がある。
だが、セインが味わった理不尽な怒りと、リュースが長いあいだ味わってきた孤独、死んだ方が楽だと願うような苦しみ、生き地獄に身をおいていた幼い日々。
そのどちらが悲惨で、どちらに正当性があるかと言われれば、ノールにはリュースだとしかいえない。
できればセインには、悔しい気持ちはわかるが、リュースの辛さもわかってやってくれと辛抱強く接していたら、いつか態度も変わってくるからと、そう説得して受け入れてほしかった。
そのことに不安を抱くのは、彼があまりにも唯我独尊を地でいくタイプだったからだ。
愛され大切にされることを当然の権利として受け止めてきたセインは、箱入りの世継きの皇子らしく我儘で徹慢な一面がある。
リュースが味わった辛酸を理解する前に、自分の感想を優先するような気がして、仕方なかった。
ふたりは神だ。
そうなったらとんでもない事態を招きそうで、ため息が止まらなかった。
なにがあろうと孤独を秘めたこの小さな手を離すまいと、力の及ぶ限り守り抜くと誓ったままで。
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