第22話 止まった時間が、動き出す


 さすがに停学になったのはマズイと思ったのか、三ツ矢の両親が三ツ矢本人と連れ立って、菓子折を持って僕の家まで謝罪に来た。

 

 機械部品の会社を営んでいるという三ツ矢の家は、父親がワンマン経営の社長で、傲慢な態度は遺伝らしい。恐縮する三ツ矢母とは違って、三ツ矢は頭を下げず「さーせんした」と頷くだけの謝罪? だったし、三ツ矢父は終始たかだか学生の喧嘩ごときで、の態度だった。一体何しに来たのだろうか。

 三ツ矢の育ちがサラブレッド(悪い意味で)って分かったぐらいで、僕には何の得もない。お菓子に罪はないから、食べるけど。


「母さん、僕、あんな風にならなくて良かったな。父さんに感謝だね」

幸成ゆきなりは、も少しワイルドでも良いぐらいよ?」


 三ツ矢家を見送り、あまりにもイライラした母のエリコと僕は、父親にケーキを食べに行こうとねだった。ぽっちゃりになるのも、致し方ないわけだ。


   †

 

 一週間の停学明け、教室に再び戻ってきた三ツ矢は、白崎さんに絡まなくなった。

 

 代わりに何も知らない別の学校の、後輩の女の子と付き合い始めたらしい。同学年に相手にされない男子たちが後輩女子と付き合うのは、だ。教室内であけすけに性事情を話されていると知ったら、三ツ矢の彼女はどんな顔をするんだろう。回数とか胸のサイズまで全部バラされているし、なんなら「俺の言うことなんでも聞くから」ってゲスいパーティが開催される勢いだ。今からでも遅くないなら、是非忠告したい。

 

『先輩』というバフ(シャレた言い方にすると、アドバンテージ)がないとダメって、情けないことだと僕は密かに思っている。浮いた話が全くない僕だけど、それはそれ、だ。


 朝のホームルーム前の教室で、いつも通り調子に乗って「いつ家に呼んでヤルか」「おまえも見たい?」と、デカイ声で話す下品な三ツ矢の元へ、トワがすっと近寄っていく。


「いいか三ツ矢。これはボクの心からの助言だが……不同意性交罪は、時限爆弾のようなものだぞ」

「は?」

「時効は十五年。相手が十八に満たなかったら、十八になるまでの年も加算される。つまり君が幸せな家庭を持って何年も経ったころ、いきなり爆発する」

「何言ってんだよ」

「あの時のあのセッ〇スは、同意していませんでした。この男は無理やり私を犯した犯罪者です、って十何年も経ってから家に警察が来る。そしてそれが成り立つのが今の日本だ」


 三ツ矢に対して、トワは同情の目を向けた。


「女性のことは、常にこれでもかと大事にした方がいい。愛する妻や子どもができたころを見計らって、檻に入れられたくなければな」

「いや意味わかんねーし。なあ?」


 さすがゴリラ、本当に意味が分かっていないらしい。他の男子たちは、さすがに青ざめている。クラスの女子たちも、あまりの下品さに毎日ドン引きしていたから、これ幸いとトワに質問し始めた。田舎ネットワーク、今日のホットワードは『不同意性交罪』に間違いない。

 

 僕は彼らを遠くの席から冷えた目で見る。

 三ツ矢のことはどうでもいいけれど、後輩の子は、一刻も早く別れた方がいい。


 三ツ矢父は、会社の若い事務員と不倫している。三ツ矢母と、僕の母であるエリコは、挨拶をきっかけに仲良くなり愚痴を聞くようになり。そりゃあ子どもが同級生なら、ママ友になるのも早い。そうしたら、離婚したいという話まで家のリビングでするようになり。

 なぜかトワが『三ツ矢父・有責』の時限爆弾を仕込むのに協力していて、時々我が家で作戦会議をしている。

 三ツ矢母が会社の金庫や銀行との関係を全て握っているらしい。いなくなったらどれだけ大変か、社長のくせに知らないんだろう。三ツ矢がここで変われなかったら……実はもう人生自体、だ。


「優しいんだね。さすが天使くん」


 僕の前の席に戻って来たトワにそう話しかけると、苦笑された。イヤミっぽかったかな。


「迷える子羊を導くのも、天使たるボクの役目。だろう?」

「子羊じゃなくて、いきり散らかしたゴリラだけどね」

「うは! ユキも結構毒舌だな」

「それほどでも~」


 やはり、謝罪という名のマウントをわざわざ家でまでやられたことが、尾を引いている。

 ちなみに、暴れる三ツ矢を羽交い絞めにして微動だにしなかったと評判の、我らがジェントルゴリラは、あれ以降同級生女子たちからモテまくっている。そんな真のモテ男は、我関せずと、机に突っ伏して寝ているけれど。


「アンジ、また寝てる」

「寝不足みたいだな」

「大丈夫かな?」


 心配する僕を見たトワが、いたずらっぽく笑う。


「夜中、誰かの夢の中で遊んでいるのかもな」

「え?」


 それってどういう意味? と深く聞こうとしたところで、姫川さんが登校してきた。

 ものすごく機嫌の悪い顔をしている。どさ、と乱暴に机の上にリュックを投げ出したことからも、お察しである。

 

「あーちゃん、どしたの?」

「……ユキくん……」

「あとで、聞こうか?」

 

 途端に姫川さんは、眉尻を下げた。


「ありがと。お昼、いい?」

「うん」


 幼馴染のためなら、僕のしょうもないイライラなんて、どうでもいい。


   †


 ランチタイムに、いつも通り体育館裏のベンチへとやってきた僕は、姫川さんと並んで腰かけた。

 トワとアンジは、白崎さんと一緒にどこかで食べると言っていたので、問題ないだろう。

 

「ごめんね、わざわざ」

「ううん、全然」

 

 膝の上でお弁当箱を開けると、エリコのいつもと変わらないおかずが並んでいる。


「おばさんのお弁当、懐かしい」

「ああ! あーちゃん、僕んちの卵焼き好きだったよね。食べる?」

「いいの? んじゃ交換しよ」

「やった、甘いのも好きなんだよね~」


 僕の家のは出汁巻き。姫川家のは甘い。家によって卵焼きの味が違うのもまた、面白い。


「よかった……ユキくん、もう元通りだね」

「え?」


 元通り、ってどういうことだろうか。


「中学の……あの時以降、他人に関わろうとしてなかったでしょ」


 ――図星だ。

 姫川さんは、僕のことをずっと見守っていたんだな、と気づいて恥ずかしくなる。


「……あの事件は、ひどかったものね」


 あれは中学二年の時。

 僕は、クラスメイトの財布を盗んだ犯人に、仕立て上げられそうになったことがある。

 結局無罪を証明できたけれど、犯人は一番仲の良かった、親友と思っていたクラスメイトだった。彼は当然この辺では暮らしていけなくなり、どこかへ引っ越していった。僕への謝罪は、一言もないままに。

 

 以来、人と親しくなるのが怖くなって、人間関係からは一歩引いていた。ネトゲフレンドの方が気楽だから。

 

 僕が黙りこくっていると、姫川さんが

「ごめんユキくん。最近楽しそうなのが嬉しくって、思わず」

 とごにょごにょ言い訳をし始める。

 その尖った口が可愛くて、僕は笑ってしまう。


「はは。……うん。天使くんのおかげだよ。勝手に巻き込んでくるし、ハラハラするし」


 何よりも、僕を信じて、自分の中身を全部さらけ出してくれた。

 また人を信じてもいい、と思えたのは、紛れもなくトワのお陰だ。

 

「ふふ。暴走天使だもんね」

「ほんとだよ」


 世間話をしながら、話すタイミングを見計らっているのかもしれないと思い至った僕は、姫川さんが話しやすくなるためにはどうしたら良いだろうかと考える。

 秘密にするよとか、誰にも言わないよ、と言ったところで胡散臭うさんくさいだろうしなと首をひねっていたら、話し始めてくれた。

 

「昨日ね……ママと派手に喧嘩しちゃったんだ」

「え? 喧嘩? 珍しいね」

「うん。進路のことで」

「……そ、か」


 高校二年生の十二月は、大学受験や就職が視野に入ってくる時期だ。

 しらうみ北高校は県立の普通高校とはいえ進学校なので、二年生は文系理系クラスの配分がされていて、三年になるとさらにそれが進路別になる。

 一組が文系特進、二組が文系普通、三組が理系特進、四組が理系普通、五組が就職・短大だ。

 

 今の僕らは理系のクラスで(三ツ矢は会社を継ぐため工学部に行くと豪語している。無理だと思うけど)、僕は何となく数学の成績が良かったから、こちらに来た。

 姫川さんは姫川神社の跡取りとして、神道しんとう学部へ行けと言われている。

 

「ほんとは、どこへ行きたい?」


 僕は、あえて前を向いたまま尋ねる。

 

「美術系」

「やっぱりそうだよね」

「ふふ」


 また、笑われた。何かおかしいことを言ったかな、と空を見上げる。冬空は雲の色が灰色がかっていて、寒々しい。


「ユキくんは、絶対否定しないし、口も堅い。だから安心して話せるの」

「……臆病なだけだよ」


(僕は全然、大した存在じゃない。すごいのは僕の周りのみんなだ)


「そんなことないわよ? 三ツ矢にあんなに怒ったの、ユキくんだけ。みんな見直してるよ。すごいって」


(すごくない。全然すごくないんだよ。ひとりじゃ、何にもできないんだから)


「私も、ちゃんと本心をぶつけないとね」

「うん。おばさんなら大丈夫。ちゃんと聞いてくれるよ」

「……ん」


 姫川さんの上には、お兄さんがいたらしい。いたらしい、というのは、生まれてすぐに亡くなったから。

 だから姫川さんは、神社の跡取りというプレッシャーをずっと両肩に背負って、まっすぐに生きてきた。僕にとっては、そんな姫川さんの方がよっぽどすごいし、尊敬している。

 

「まだ、時間はあるよ。急がないで、ギリギリまで悩もうよ」

「そだね」


 今の僕はこんな、ありきたりのことしか言えない。でもそれじゃダメだと気付いた。みんな、僕にたくさんのことをしてくれたんだから。

 

 ――臆病で、ごめん。今からでも間に合うのなら。僕は、僕にできることを……しなくちゃ。

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