第13話 疑惑を晴らすには


 文化祭二日前の、放課後。

 『二年三組しらうみ天国』の遊具である、輪投げ・ボウリング・スーパーボールすくい・マグネットを使った釣り(キャンディ付き)は、二年の教室が並ぶ校舎の空き教室に保管されていた。

 全て『2-3』という紙を貼っていたため、間違えようがない。ところが姫川さんの絵は、学校に保管されていた大きなベニヤ板を借り、その上にスプレーのりで模造紙を貼ったものに描こうとしていて、のりを乾かすために印を付けていなかった。


 それを、三ツ矢は友人であるバスケ部員から「立て看板に良い素材ないか」と聞かれ、勝手に渡してしまった。板に紙が貼ってある。下地も塗ってある。看板にするならもうほぼ文字を描くだけ、のありがたい状態だっただろう。だがそれは僕たちが頑張ったやつだ。

 当然、文化祭委員であるトワは、三ツ矢を問い詰める。


「三ツ矢くん。なんで勝手にそんなことをしたんだ? 文化祭委員のボクに確かめてくれれば良かったんじゃないか?」

「は? 俺クラス委員だし。ここにある素材はクラスのもんだろ。俺がどう扱おうがいいんじゃねえの」


 僕にはその理屈がまったく分からない。

 今まで何の協力もしておらず、事情も分からずに、どうしてそのようなことができるのか。

 本当にこれっぽっちも理解ができない。理解できないと、言葉も出てこないんだなとぼうっと思った。

 

「もういいよ、天使くん」


 姫川さんは、頭の回転が速い。

 僕がぼうっとしている内に、くるくるっと色々なことを考えて、さっさと結論を出してしまう。僕はいつも置いてけぼりだ。

 

「姫川さん。でも」


 トワは、姫川さんの思考に追いついているに違いない。彼女の結論がどうやって出たのかを見透かしているような顔をしている。

 

「予定になかったことだから。三ツ矢が知らなくても仕方ない」

「しかし」

「だろー? どう見ても予備じゃんよ。だから役に立ててもらったってわけ」

「あの板は、姫川さんに絵を描いてもらう予定だったんだぞ!」

「絵? あー、ポスター選ばれたってやつ?」


 三ツ矢は、心底めんどくさそうな顔をして後頭部をぼりぼりかく。


「あんなん、今はネットでなんか使って簡単に描けんだろ。あ、えーあい? だっけ。使ったんじゃね。ギャハハ」


 三ツ矢に暴言を吐かれた姫川さんの肩が、ぶるぶる震えている。

 今日一日で頑張って描く、とさっきまで笑っていたのに、泣きそうになっている。

 僕みたいな陰キャが、それに寄り添ってもいいのだろうか。

 

 迷っている内に白崎さんが、姫川さんを隠すようにして三ツ矢の前に出た。小柄だから全然かばえていないけれど、態度は強い。頼りになる、さすがギャルだ。


「偉そうに言うけどさ、あんた、なんっにも手伝ってないじゃん!」

「あ?」

「ずーっとさぼってたくせに」

「さぼってねえし。今日と明日やろうと思ってたんだって。なあ?」


 三ツ矢が呼び掛けると、いつもの連中がハイハーイと手を挙げて応えた。

 

「そーそー」

「まっかせーなさーい!」


 二日前に残っているのなんて、ただの仕上げ作業だ。ほとんど出来上がっている。つまりは『美味しいところどり』だ。

 僕は人生で初めて、はらわたが煮えくり返るくらいの怒りを感じた。浅い考えや自分勝手な主張はこの際、いい。けれども、人の努力をそうとは知らず踏みにじるような外道げどうを、平気でしていることに無自覚なんだ、こいつらは。決して相容あいいれない人種。


 一体、どうしたらいい。どうしたら、いいんだろう。


 僕には力がない。発言力もないし、喧嘩も弱い。

 三ツ矢に食って掛かったところで、ボコンと殴られて終わりだ。

 想像すると、怒りで立ち上がったはずの正義感は、たちまちヘニョリとしおれてしまう。情けなくてごめん、と僕は姫川さんの背中を見るしか、できない。

 

「リンカ~、俺とやろうぜ」

「はあ!? やだ!」


 白崎さんは、肩を抱こうとする三ツ矢から逃げ出し僕の背後に回った。

 一番弱い人間を盾にしたのは完全に作戦失敗なので、僕は背中に白崎さんを張り付けたまま、アンジの背中に回る。

 アンジ相手には、さすがの三ツ矢も強く出てこない代わりに、言葉でからかい始めた。

 

「逃げんなよ、リンカ~。やろ~ぜ~」

「なにをやるのかな~?」

「きゃー、やらしー」


 今日居残る予定のクラスメイトたちが、心なしか青ざめている気がする。

 おとなしめのグループからすると、三ツ矢たちと一緒に作業なんてしたくはないだろう。

 姫川さんが、なにもかも諦めた顔で言う。


「……時間ないんだから。ふざけないで。天使くんの指示に従って。いいわね?」

「あやめちゃん、こわーい」


 ケラケラ笑って両手を挙げる三ツ矢の頬を、誰か殴ってくれないだろうか。――自分でできないなら、思っちゃダメだよな。僕は本当に、情けない奴だ。


   †


 文化祭前日の、作業前。

 職員室に空き教室のカギを取りに来たトワと僕を、衝撃的なニュースが襲った。

 

「えっ、どういうことですか」

「俺も何度も確認したんだが」


 急遽きゅうきょ、姫川さんのポスターが使われなくなったという。職員室の掲示板を見ても、一年生と三年生の作品だけが貼られている。


「AI疑惑だなんて、バカげてますよ!」


 さすがの僕も、椅子に座って後ろ頭をかいている橋本先生の胸倉に掴みかかりそうな勢いで、詰め寄る。

 

「ああ、分かっている。だがあいにく美術の先生が感染症で欠勤していてな……判断できる先生がいないんだ」

「判断なんて、必要ないです!」

「姫川の作品は他の生徒と違って、デジタルだ。原画を見てすぐ分かれば良かったんだが、先生たちもその判断がだな……」


 発言を渋る橋本先生を、トワの冷えた目が見る。

 

「今の状況では、リスクを取れないってことですね」


 姫川さんが、トワの家でもタブレットにペンで直接描いていたのを、僕はこの目で見ている。

 そもそもAIイラストなら複雑な構図を描けるわけがないし、絵柄も似たり寄ったりになるはずだ。

 姫川さんの絵には独特のタッチがあって、柔らかな雰囲気もある。これがAIだなんて、冗談じゃない。


「力のある人間が無責任な発言をした。それがあたかも真実のように流布るふされる。なんて程度が低い。だが風説ふうせつとはそういうものだ……行こう、ユキ」

「え、ちょ!?」


 天使の横顔が、怒りに満ちていた。

 

「姫川さんを、救わねばならない」

「! うんっ」


 教室に戻ると、姫川さんは静かに立っていた。黒目がちの瞳に、涙が溜まっているのが遠くからでも分かる。その前には、めんどくさそうな顔で立っている三ツ矢がいた。

 

「いいじゃん、ポスターぐれえよ~。てかデジタルとAIて何が違うん? 一緒じゃねえの?」

 

 ああ。なんて無知で暴力的で、無神経なんだろう。

 

 さらに僕は、なぜ姫川さんがわざわざ僕に相談したのかを察した。いつも仲良くしていた(ように見えた)女子たちが、誰も姫川さんの味方をしない。むしろコソコソと陰口のようなものを言いながら、三ツ矢のグループに迎合げいごうしているように見える。優等生ってストレス溜まってんのかな、とか。内申良くするためにそこまでする? とか。

 なるほど、二年三組の絶対王者は三ツ矢だ。王様に君臨している奴と親しくするために、周囲と仲良くしておく。そんな考えの人間もいるんだろう。全く理解ができないが、僕は前にそれと全く同じことを学んでいた。やっぱり、誰も信じられない。一人でいた方がいい。


「無知も大概にしたまえ」


 トワが、鋭い言葉で不穏な空気を切り裂きながら、教室内に切り込んでいく。華奢なのに覇気に溢れていて、僕はそれに引っ張られた。

 さながら、切り込み隊長の背中を追う、刀持ちだ。


「姫川さんはボクの目の前でイラストを描いてくれた。素晴らしい技術だ。真実であると天に誓おう」

「出たよ、意味不明天使~」

「三ツ矢。からかうのはいいが、発言が間違っていた場合、どう責任を取るつもりだ?」

「責任て。俺はただそうじゃねえの~? て言っただけだっつの。あたしはできるって態度のやつに限って、後ろ暗いことでもあるんじゃねえ~?」


 はあ、とトワが大きく息を吐く。言っても無駄だ、とアプローチを変えるかのように、姫川さんを振り向いた。


「姫川さん。ボクには考えがあるんだが、協力してもらえないだろうか」

「え?」


 絶望に打ちひしがれていた姫川さんが、ようやく顔を上げる。


「ネットではタイムラプス時間経過と言ってね。AI疑惑に抵抗するイラストレーターさん達が、実際の作業を動画で流すんだが。ほら、こいつらは馬鹿で浅はかでどうしようもない馬鹿だから、理解すらできないだろう」


(さりげなく馬鹿って二回言った!)

 

「おいゴラ、今なんつった」


 途端に激高した三ツ矢の出鼻を、トワは鮮やかにくじく。

 

「ああ。定期テストで三ツ矢がボクの順位を上回ったら、いくらでも抗議は受け付けるし土下座もする。なんなら一万円つけてやるから、今は黙っててくれ。で、姫川さん」


(一万円恐喝されかけたの、根に持ってる!)

 

 にっこりと、天使が微笑んだ。けれども僕は、悪魔の微笑みだと思った。


「しらうみ天国で、リアルラプスしないか?」

「え?」

「あ!」


 僕は、思わず声を上げた。その手があった!

 

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