『魔導双星のリベリオン』

木徳寺

《第一部》

第一章

プロローグ:選別の夜

 西暦2040年。世界は、終わりなき消耗戦の只中にあった。

 枯渇し始めた化石燃料に代わる次世代のエネルギー。その覇権を巡る国家間の対立は、世界中で大小様々な紛争の火種を燻らせていた。表向きは平和を謳う大国でさえ、その裏では血で血を洗う情報戦と代理戦争を繰り広げている。そんな歪な世界は、俺、黒江 葉くろえ ようのような人間には、格好の稼ぎ時となっていた。


 所属は、世界最強と謳われる傭兵集団『Eidolosエイドロス』。表向きは紛争解決を請け負うプロフェッショナル集団だが、その内実は謎に包まれている。俺たち下っ端に開示されている情報は、あまりに少ない。


「こちらブラボーワン。ターゲットの制圧完了。これより離脱する」


 返り血を浴びたコンバットナイフを無造作に振るいながら、インカムに淡々と報告を入れる。東南アジアのジャングルに潜む武装勢力のアジト。今夜もまた、繰り返される退屈な仕事だった。熱帯特有の湿った空気が、硝煙と血の匂いを纏わりつかせる。撤収ポイントでヘリを待ちながら、俺は一人、組織に纏わる馬鹿げた噂を思い出していた。


 十傑――『Eidolos』の頂点に君臨する10人の化物。

 奴らはただの人間じゃない。異世界で人智を超えた力を得て、この現世に帰還した者たちだ、と。


 そんな都市伝説を、古参の連中が酒の肴にしていた。くだらない与太話だ。だが、映像で見た奴らの戦闘能力は、その与太話に妙な説得力を持たせていた。物理法則を無視したかのような機動力、一撃で戦車を屠るほどの破壊力。それはもはや、兵器ではなく災害と呼ぶべきものだった。

 俺は、任務の合間に、その噂の真偽を密かに調べていた。古代神話、超常現象、最新の量子物理学……。ありとあらゆる文献を漁り、一つの仮説にたどり着いた。『テラ・スフィア』と呼ばれる、魔素(マナ)に満ちた並行世界の存在。もちろん、確証なんてない。ただの、退屈を紛らわすための知的好奇心だ。


『――待機せよ、ヨウ』


 思考を遮るように、予期せぬ指示がインカムから飛んできた。声の主は、アークス・レオン。組織のトップにして、十傑第一席。世界最強の男。


「……ボス直々にどうしたんです?俺みたいな下っ端に」


 軽口を叩いてみるが、内心では緊張が走る。この男が、末端の隊員に直接コンタクトしてくるなど、通常ではあり得ない。


『お前の探究心は、時に面白い結果をもたらす。面白いものを見せてやる。お前にとっての、最終試験だ』


 アークスの言葉と同時に、足元の地面に描かれていたらしい紋様が、凄まじい光を放った。いつの間に仕掛けられていたのか。幾何学的な模様が明滅し、視界を白く染め上げる。


「は……?」


 抵抗する間もなかった。激しい浮遊感と、全身を内側から引き裂かれるような感覚。意識が途切れる寸前、アークスの楽しそうな声が頭に響いた。


『精々、新しい世界で足掻いてこい。お前の才能が本物なら、いずれまた会うこともあるだろう』


(……マジかよ、あの人。俺が調べていたことは、全部……)


 それが、黒江 葉としての、最後の記憶だった。


 ◆


 同時刻、異世界『テラ・スフィア』。

 アーテナ大陸を支配する大国、ガルニア帝国。その聖騎士であるリヒト・フォン・アルクライドは、帝国に反旗を翻した地方領主の残党を鎮圧する任務の只中にいた。


「聖なる光よ、我が剣に集え!ホーリーブレード!」


 白銀の鎧に身を包んだリヒトが叫ぶと、その手に持つ長剣がまばゆい光を放つ。彼はその聖剣を振るい、敵の魔術師が放った闇の魔法をたやすく切り裂いた。若くして聖騎士の位に上り詰めた彼の剣技は、まさに天才の名にふさわしい。


 追い詰められた敵の魔術師が、最後の力を振り絞り、禁断の術式を詠唱する。


「――時空よ歪め!混沌の渦よ、全てを飲み込め!」


 足元に、見たこともない複雑な魔法陣が展開され、空間そのものが悲鳴を上げるように歪んでいく。


「なっ……!転移魔法か!?総員、退避せよ!」


 リヒトは部下に叫ぶが、すでに遅かった。

 強烈な光が彼を包み込み、意識が急速に遠のいていく。故郷の、そして敬愛する祖父と父の顔が、脳裏をよぎった。


(じい様……父上……!)


 それが、彼がテラ・スフィアで発した、最後の言葉だった。


 ◆


 そして、現世。日本の、とある地方都市。

 黒江麗華くろえれいかは、兄の部屋のドアを静かに開けた。ノックはしない。返事がないことを、知っているからだ。


 がらんとした、主のいない部屋。綺麗に整えられたベッド、机の上に並べられた物理学の専門書。全てが、兄――黒江 葉がいた頃のままだ。最後に部屋を出た日のまま、時が止まっている。


「……おはよう、お兄ちゃん」


 誰にも届かない挨拶を呟き、麗華は窓を開けて空気を入れ替える。それが彼女の、この数週間の日課だった。


 兄は、数十日前に突然姿を消した。

 所属していたという傭兵集団『Eidolos』は、「極秘の長期任務だ」としか教えてくれない。警察に相談しても、「海外の民間軍事会社のことまで、我々では……」と、まともに取り合ってはもらえなかった。


(お兄ちゃんは、どこかで生きている)


 理知的で、感情を表に出さないタイプの麗華だったが、その胸の内には確信にも似た想いがあった。ぶっきらぼうで、何を考えているかわからない時もあったけれど、兄はこんな形で、何も言わずにいなくなるような人ではない。必ず、何か理由があるはずだ。


 麗華は、兄が残した数少ない手がかり――自室のパソコンに残された断片的なデータを、独自に解析し続けていた。何重にも暗号化されたファイル、常人には意味をなさない数式と古代神話が混在したメモ。


(必ず、この意味を突き止める。そして、お兄ちゃんを連れ戻す)


 朝日が差し込む空っぽの部屋で、麗華は静かに決意を固める。

 彼女の戦いは、誰にも知られることなく、静かに始まっていた。

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