<序章 第1話を読んでのレビューです>
冒頭の一文は、詩のように静かで、祈りにも似ている。「1789年、私はミクサスの地で女神の天啓を受けた。」物語の奥底に広がる神話的な影を、わずかな言葉で読者に差し出している。この出だしだけで、世界がどこか不可思議に反転して見える。
一転して描かれるのは1896年の首都。夜を歩くのは、解決組合ルーゾン・ギルドの所長、ルドルフ・ケルナーだ。彼は「何でも屋」と呼ぶにはあまりに矜持を持った人物である。例えば、劇場を出た後に夜の街を歩きながら「人の闇は必ずしも暗い所にあらず、また光も明るいところにあらず」という師の言葉を思い返す場面。そこには、ただのハードボイルドではない、彼の生き方そのものが滲んでいる。
作品全体に流れるのは、静かな夜気の手触りだ。ビルの灯りや月明かり、雑踏や無言の階段。そうした細部の積み重ねが、ルドルフという男の孤独を際立たせている。中でも「年期の入ったライダースジャケットを羽織っているが、残念ながらバイクは持っていない」という一文には、滑稽さと哀愁が同時に宿り、読者は思わず彼に親しみを抱く。
やがて物語は「トランクケースの中の少女」という鮮烈な場面へと収束する。静かな夜巡りは一気に非日常へ反転し、ページを閉じてもなお残像が瞼に焼き付いて離れない。
全体を通して、派手な仕掛けよりも、人物の立ち姿や街の気配を丁寧に描き込むことで、独特の余韻が生まれている。これは、始まりの序章でありながら、既に一つの完成された物語としても楽しめるほど豊かだ。