第3話 お祓いデビュー
その日、俺は――
夜勤明けで病院を出たあとのことを、あまり覚えていない。
いつものように職場を後にして、
トボトボと歩いて帰った……はずなんだけど、記憶がふわふわしている。
俺が住んでいるのは、病院から徒歩5分ほどのところにある看護師の独身寮。
小さなワンルームだけど、家賃は格安で通勤も楽。
まあ、疲れを癒すには悪くない場所だ。
――その玄関を開けた瞬間だった。
力尽きたように、そのまま床に倒れ込んだ。
ベッドにたどり着くことすらできず、靴も脱がずに、そこで眠ってしまったらしい。
気づけば、もう朝。
けっこう寝たはずなのに、全然疲れが取れていない。
しかも――
(あの夜の夢を、見た。)
あの倉庫に残されていた心電図モニター。
浮かび上がる白衣の少女。
そして……「また今度ね」と、微笑みながら消える声。
「……っ!」
目を覚ました瞬間、心臓がドクンと跳ねた。
夢の中にまで出てくるなんて……どう考えても普通じゃない。
看護師という仕事をしていると、
急変や緊急入院が続くとき、同僚たちはよく「なんか憑いてない?」なんて冗談を言う。
けれど中には本気でお祓いに行く人もいるくらいだ。
――でも。
まさか、本当に幽霊に取り憑かれて、お祓いに行くことになるとは。
俺は車を走らせ、片道1時間ほどかけて地元の八幡宮へ向かった。
「……マジで俺、何してんだろ……」
人生初のお祓い。
こんな形でデビューするとは、思ってもみなかった。
神主の大きな声が境内に響く。
「かつらぎのー! そうまのー!」
――恥ずかしっ!!
俺の名前、全力で叫ばれるとは思ってなかった。
けど背に腹は代えられない。
“見えるはずのない幽霊医師に取り憑かれた”とか、もう訳がわからないし。
恥ずかしい思いをしたけれど、それであの幽霊に会わずに済むなら、安いものだ。
だが、もしかすると――お祓いがちゃんと効いたのかもしれない。
それからというもの、彼女の姿を見ることはなかった。
* * *
そして今日。
あれ以来、初めての夜勤がやってきた。
(……大丈夫。今日は“あの人”が一緒だし)
「葛城くん、今日はよろしくねー♪」
そう声をかけてくれたのは、病棟のマドンナ・佐伯さん。
仕事もできて、いつも穏やかで、そして何より綺麗な人だ。
(はあ……癒やし……)
夜勤の不安なんて、一瞬で吹き飛んだ。
幽霊? カレン? そんなの、もう関係ない。
――そのくらい、浮かれていた。
* * *
――時間は深夜2時。
ナースコールもようやく落ち着き、
俺はナースステーションの片隅で椅子に腰を下ろした。
「ふぅ……やっと一息……」
今日の夜勤も、なかなかのハードモードだ。
さすがに体力が限界。意識がふわっと浮きそうになっていた、そのとき――
「……ちょっと、聞こえる?」
静かに、でも確実に、あの声が耳をくすぐった。
「……え?」
体に鳥肌が立つのを感じながら、ゆっくりと振り返る。
そこに――いた。
白衣の裾をふわりと揺らしながら、あの少女が立っていた。
水色の髪に、青みがかったワンピース。白衣を羽織ったその姿は、まるで夢からそのまま抜け出してきたようだった。
だが、他の誰も気づいていない。
やっぱり、見えているのは俺だけだ。
「……うそ、だろ……」
「そんなに驚かなくても。久しぶりに顔を出しただけよ?」
あどけない見た目に似合わぬ口調。
かつて“天才”と呼ばれた循環器医師――カレン。
例の心電図モニターに宿っていた、その幽霊医師だ。
「……お祓いしたんだけど……!?」
「うん、してたわね。しかも八幡宮なんて、本気じゃない。ちょっとびっくりしたもの」
にこやかに言いながら、俺の精神を削ってくる。
「……じゃあ、なんで……また出てきたんだよ……」
「え? だって今日も夜勤でしょ?
せっかくあなたに取り憑いたんだから、出てきてあげたの。」
出てきて“あげた”って、
こっちは一度たりとも来てほしいなんて頼んでないぞ!
「……いや、むしろ遠慮してほしかったんだけど……」
「もう、ツンデレね~。素直になりなさいよ」
誰がだ。
「それに――」
白衣の裾を軽やかに揺らしながら、悪戯っぽく微笑む。
「私、お祓い程度でいなくなったりしないしねー♪」
……強すぎる、この幽霊。
「え、じゃあ本当に効いてなかったのか……?」
「うーん、ちょっとは効いたかも。
でも、あのあと少しだけ離れてあげてたじゃない」
「“あげてた”って……まさか自主規制……?」
「そうよ。私は空気が読めるタイプなの」
「そんな幽霊、聞いたことない……」
* * *
こんな深夜のナースステーションで、俺だけが幽霊と会話してるとか、ヤバすぎる。
「それに……今日は、ちょっと気になる波形があるのよね」
ふと、彼女の表情が変わった。
さっきまでの無邪気な笑顔が消え、
どこか真剣な眼差しで、ナースステーション奥のモニターをじっと見つめている。
――その眼差しは、まるでかつて現場にいた頃の“医師”のそれだった。
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