03
翌朝、葬儀場に現れた兄は、大きな紙袋を提げていた。
「兄さん、それ何?」
「編みぐるみ。家にあるやつ全部持ってきた」
愛生が一つ一つ、紙袋から取り出して確認し始めた。
「……ふふっ、可愛い」
兄が言った。
「気に入ったやつは持って帰ってもいいぞ」
「ううん、あたしは家にうさちゃんがいるからいい。あたしが産まれた時に作ってくれたやつ」
「そんなのがあったのか」
「そうだよ。白くて目が赤いやつ」
伯父と姪の対面も数年ぶりのことだったが、スムーズに会話ができていることに僕は驚いていた。父親の僕より口数が多いのではないだろうか。
納棺が行われ、棺に編みぐるみを入れていった。優しいパステルの毛糸が多かったこともあり、棺は柔らかい印象になった。母の表情も心なしか晴れやかだ。
それから、僧侶が来ない代わりにお別れの会が始まった。葬儀場の職員が母の略歴を読み上げていった。
「……冬人さん、秋生さんという二人のお子さんを授かりました。さらに、愛生さんというお孫さんにも恵まれました。今、ご家族に見守られ、安らかなる時を過ごされていることでしょう」
面食らったのが、その後軽快な音楽が流れたことだ。イントロだけで一発で何かわかる。西城秀樹の「ヤングマン」だった。
僕は横に座っていた兄の顔を伺ったが、彼は真っ直ぐに前を見つめているだけだった。
火葬は明日の朝一番。まだ今日は余裕がある。僕は兄に詰め寄った。
「なぁ、あの曲のチョイスは兄さん……?」
「ああ。母さん、西城秀樹好きだったろ?」
「そうだけど。他になかったの? 葬儀っぽい曲……」
「傷だらけのローラよりはいいだろう?」
「確かに、まあ……」
愛生が口を挟んだ。
「凄くいい曲だったじゃん。しんみりしててもおばあちゃん面白くないって。あたし、さっきの曲好きだよ」
「ほらな? 愛生だってこう言ってる」
「じゃあ、いいか」
葬儀というのは死者ではなく遺された者のための儀式だと聞いたことがあった。兄なりの気遣いがこれだったのだと僕は自分を納得させた。
愛生が宿泊室に引きこもってゲームをしている間に、僕はさらに兄を問いただした。
「金の話をしようか。兄さん、これからどうするつもり? 母さんの年金なくなって、貯金はあとどれくらいある?」
「正直、心もとないな。介護も終わったことだし、自分一人食っていけるだけの仕事を探すよ」
「仕事っていっても……五十歳でしょ。しかも左手動かないんでしょ。雇ってくれるところなんてある?」
「何とかする」
それは、ほんの思いつきだったが、勢いに任せて口に出した。
「一緒に暮らす? うち、部屋空いてるし。いくら市営とはいえ家賃払うのキツいでしょ」
「いや、そこまでは……」
僕は保健福祉課に配属された時の知識を持ち出した。
「兄弟には生活扶助義務があるんだよ。できる範囲で面倒見るっていう意味。うちから仕送りするより一緒に住んだ方が生活費も浮く」
「本気で言ってるのか?」
「当たり前じゃないか」
兄はすっと立ち上がった。
「どこ行くの」
「タバコ」
「じゃあ僕も行く」
「はぁ……一人で考える隙もくれないのか、お前は」
喫煙所は建物の陰になっていて、ひんやりとしていた。兄は右手だけでタバコに火をつけ、煙を吐き出して言った。
「愛生はどうするんだ。いくら親族だからといって、思春期の女の子が受け入れられるか?」
「そこは説得する。それに、兄さんと愛生、会話成り立ってたじゃない。僕より楽しそうだった」
「愛生も気を遣ってるんだろう。あの年頃の女の子はお前が思ってるより大人だぞ」
「だったら尚更、同居にも納得してくれると思うよ。あの子は理由さえ説明すればわかってくれる」
「……三年前は違ったろ?」
「それは……」
三年前。妻は不倫相手と心中した。相手は当時の僕の上司だった。
愛生は小学四年生だった。不倫という言葉も、その具体的な意味も既に知っていて、自分の母親を口汚く罵り、暴れた。
「あの時は……僕の伝え方も悪かった。愛生を混乱させただけだった。今はもう、大丈夫だよ」
「そうか。俺もじっくりと考える時間が欲しいし、愛生の気持ちも尊重したい。焦らず考えよう」
母の火葬は滞りなく終わり、すっかり小さくなった母を兄が抱えて解散となった。帰りの車の中で、僕は愛生に切り出した。
「なぁ……伯父さんと同居する、ってなったらどうする? 伯父さん、手のこともあるし、再就職は難しそうなんだ」
僕はあらゆる言葉が返ってくるのを身構えたが、愛生はあっけらかんと言った。
「いいんじゃない? パパだっておばあちゃんの介護を伯父さんに押しつけてた罪悪感あるんでしょ?」
自分の中でも言葉にしていなかった想いを、見事に言い表されてしまった。
「……正直、そうかもな」
「ママの部屋使うんだよね? 片付けしないとヤバいよ。パパったらあそこ物置きにしてるでしょ」
「……そうだな」
そうして、同居の話は進められていったのだ。
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