十二話 血の檻の終わり、獣姫と人の邂逅

 ――爆薬が瘴気の根を裂いた瞬間、

 血の檻に絡め取られていたレオナの意識は、深い赤黒い闇から弾かれた。


 眩む視界に差し込んだのは、森の奥に届くわずかな月光。

 頬に触れる土は、腐臭に満ちた湿った苔。

 自分の血と、誰かの血が入り混じって冷たく肌を伝う。


 「……っ……く……」


 喉を掠らせて呻くと、口の端から血が零れた。

 まともに立つことすら叶わない。

 それでも、レオナは朽ちた幹をつたって身を起こした。


 森の奥に――

 腐狼たちが輪を描いて伏していた。


 月光を受けて白く光る銀毛。

 その中心、黒く濡れた根の上に獣姫メリアが立っている。


 血に染まった白髪が風に揺れるたび、

 その瞳は、獣の獰猛さと、かつての少女の影を同時に映していた。


 「……メリア……。」


 レオナの声に応じて、腐狼たちが牙を剥いた。

 だが、メリアは右手をわずかに掲げると、その牙を制した。


 「檻を……砕いたのね……。」


 微笑んだ唇には、血の滴がまだ乾かない。



 瘴気の根の奥――

 血の王アルスの玉座は、遠いまなざしで二人を覗いていた。


 『檻を失っても……

  なお、獣の渇きは終わらぬ。

  さあ――お前は何を選ぶ? 獣姫メリア。』



 レオナは震える手で剣を引き寄せる。

 血に濡れて刃は鈍く、すでにまともに握る力も残されていない。


 「討つ……討つと誓った……

  私の罪を……私の手で終わらせる……!」


 獣姫は一歩、根の上を踏み出す。

 腐狼たちが影のように後退し、月光が二人の間を照らす。


 「討てるの……?

  私を――人として……?」


 低く囁く声は、獣の呻きと少女の泣き声が絡み合う。


 レオナは剣を構えようとする。

 だが血が滴り、膝が地を叩いた。


 「く……!」


 牙を剥いた腐狼が咆哮を上げるが、

 メリアはじっとレオナを見下ろすと、足元に膝をついた。



 「私を赦すの……?」


 獣姫はレオナの顎をそっと持ち上げた。

 血に濡れた赤い瞳が真っ直ぐに覗き込む。


 「あなたの正義が――

  私の全てを奪ったのに……?」


 涙が零れた。

 それは一瞬だけ、獣ではなく、かつての人の少女のものだった。


 だが、その瞳はすぐに獣の光を取り戻す。


 「なら――」


 爪がレオナの頬に食い込む。

 腐狼たちが咆哮し、血の根が月光を遮った。


 「私を赦した罰として――

  あなたを喰らってあげる。」


 血飛沫の気配に、レオナは剣を振り上げる。

 だが、その剣が届くよりも速く、獣姫の爪が喉元をなぞった。



 遠く――

 血の王アルスの唇に、微かに笑みが刻まれた。


 『いいだろう――

  愛も赦しも喰らい尽くせ、メリア。

  お前の渇きは、まだ終わらせはしない。』



 夜空を貫くように、

 瘴気の森の奥で獣姫の咆哮が轟いた。


 赦しを喰らい、罪を裂き、

 なお獣として歩むことを選んだ少女の咆哮だった。

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