二話 血塗れの幕開け ―後編―

 隣村はわずか数刻で血に沈んだ。

 火の手が上がり、遠くから見れば誰もが災厄が訪れたと知るだろう。


 アルスは、血塗れの獣人と魔物たちに命じ、生き残りの村人を数人だけ捕らえさせた。

 泣き叫ぶ老人、失神した若者、目の焦点の合わない少女――

 彼らは縄で縛られ、魔物の爪に引きずられながら、地下へと連れ戻される。


 「……ふふ、声を上げるな。お前たちの嘆きはすべて、俺の力になる」


 階段を下りるたび、村人たちの靴の裏に付いた土が石床に落ちる。

 湿った空気、黒曜石の壁、脈打つように光る瘴気――

 再びダンジョンの心臓部へ戻ると、天井の石版から青白い光が降り注いだ。


 《マスター、初めての供物です。どう扱いますか?》


 ダンジョンコアがアルスの思考を探るように問いかける。


 「決まっている。生かしたまま恐怖を絞り出せ。

  苦しみは長いほど旨いだろう?」


 《……恐怖は魔物を育て、ダンジョンを強化します。

  生命を捧げれば、階層を拡張し、新たな魔物を召喚できます》


 アルスは無造作に一人の村人――まだ息のある若者を、血のにじむ祭壇へと蹴り上げた。

 若者の目は虚ろで、声を出す力さえ残っていない。

 だが、魔物の爪がゆっくりと頬をなぞると、かすれた悲鳴が石室に反響した。


 獣人はその横で、口の端を釣り上げると喉を鳴らした。


 「主よ、我らにもっと糧を……」


 コアが深い赤に光ると、祭壇の床に走った紋様がぐわりと輝きを増した。

 若者の体から立ちのぼる命の光――

 それは真っ黒な瘴気に呑まれ、ダンジョンの壁に吸い込まれていく。


 ギィ……ッ、ギギィ……ッ。


 背後の石壁が軋む音を立てた。

 アルスが振り返ると、これまで塞がれていた通路がズルリと開き、奥へと続く新たな階層が姿を現す。

 黒曜石の回廊はさらに複雑に枝分かれし、どこか獣の喉の奥のように生臭い。


 《新階層の開放、完了しました。

  次なる魔物を召喚可能です。》


 アルスは低く笑った。

 かつて王都で書物を片手に人々を導こうとした青年は、もはやそこにはいない。


 「この血が、新たな軍勢を生む……。

  奪われた土地も家族も、俺が“この巣”で全部取り戻してやる……!」


 魔物たちは飢えた獣のように呻き声をあげた。

 彼らの足元には、まだ生きている村人がいる。

 次に誰を“捧げる”かを考えるたび、アルスの胸の奥で黒い何かが蠢いた。


 《マスター、次の獲物は――?》


 コアの声が心の底を探ってくる。

 アルスは冷たい瞳で、地上の遠い地図を思い描いた。


 「……次は、王国の貴族領だ。

  俺を裏切り、家族を売り渡した裏切り者ども……

  一人残らず、喰い尽くしてやる」


 深淵のようなダンジョンの心臓が、再び脈動した。


 恐怖が糧となり、命が血肉となる。

 新たなる侵略の夜が、またひとつ、静かに生まれ落ちた――。

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