第29話伝えられない言葉

春休みに入った。

毎朝決まっていた時間に鳴っていた目覚ましを止めると、部屋の中が少しだけ静かに感じる。


制服を着る必要もなくなった日々は、時間が緩やかに流れていく。

けれど、その“余白”のなかで、私は何度も思い返していた。


(あのとき、言えたらよかった)


「来年も、同じクラスになれたらいいな」


湊が言ってくれたその言葉に、私はただうなずいただけだった。

そのとき、ほんの少しだけ、心が温かくなった。


でも――それ以上のことは、やっぱり言えなかった。



春休みのある日、真央とカフェで会った。


「湊くんとは、最近連絡とってるの?」


「……ううん、特には。クラス発表の日に会えるかなって思って」


「そっか。でも、会いたいって思ってるなら、自分から連絡してもいいんじゃない?」


私は答えずにストローをくわえた。

冷たいミルクティーの味が、やけに薄く感じる。


「……詩」


「うん?」


「なんとなくだけどさ、詩って、“好き”って言葉が、ちょっと怖いんだよね」


「……うん。たぶん、怖い」


真央はそれ以上なにも言わなかった。

でも、その沈黙が、私の胸をじんわりと温めた。


家に帰ってから、私は一度スマホを手に取った。

湊の連絡先を開いて、メッセージの入力欄をタップする。


「元気?」

「クラス発表、来週だね」

「……会えるかな」


どの言葉も、途中で消しては閉じてしまう。


(伝えたいのに、伝えられない)


言葉にすれば、何かが変わる気がする。

でも、それが“よくなる”のか“崩れてしまう”のかは分からない。


そして私は、何も送れないままスマホを伏せた。



春の風が、カーテンを静かに揺らしていた。

ほんとうの気持ちは、まだ胸の奥にしまったまま。


次に会うとき、ちゃんと笑えるだろうか。

次に話すとき、少しだけ近づけるだろうか。


答えは分からない。

だけど、時間だけは、確実に春へと向かっていた。

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