第19話美羽の本音

風邪は数日で治り、私はいつものようにB組の教室に戻った。


机に座った瞬間、なんでもないはずの椅子の感触に、

「ああ、戻ってきたんだ」と実感が湧いた。


その日の昼休み、プリントを提出しようと廊下に出たとき、

向こうから歩いてきたのは、美羽だった。


「あっ、詩さん。久しぶり」


「あ……うん。おはよう」


美羽は相変わらず、整った顔で優しげに笑った。

だけど、その笑顔の奥には、なにか言いたげな気配があった。


「ちょっとだけ、話せる?」


その一言に、私は思わずうなずいていた。


案内されたのは、校舎裏の中庭のベンチ。

文化祭の準備で生徒の声が響く中、そこだけが少し静かだった。


「風邪、大丈夫だった?」


「うん。もう平気」


「よかった。……相澤くん、心配してたよ」


「……そうなんだ」


沈黙が落ちる。


私は言葉を探していた。

だけど、それより先に、美羽が口を開いた。


「詩さん、さ。相澤くんのこと、好きなんだよね?」


心臓が、跳ねた。


「えっ……」


「ごめん。いきなり、ストレートに。

 でも、なんとなく分かってた。視線とか、空気とか、全部」


私は、言葉を失ったまま、うつむいた。


「……わかりやすいよね、私」


「ううん、すごく自然だった。だからこそ、ちょっとだけ……羨ましかった」


「……羨ましい?」


「相澤くんって、誰にでも優しいでしょ? でも、その中でちゃんと詩さんだけを見る瞬間があるの。それ、気づいてた?」


私は、首を横に振った。


「そっか。でもねわたし、あの人のこと、好きだったの。ずっと前から」


静かな声。けれど、確かな決意が込められていた。


「だから、文化祭のメインに選ばれたとき、正直ちょっと期待してた。

 “もしかしたら距離が縮まるかも”って。

……でも、違った」


「……違った?」


「相澤くんは、いつも通りだった。

 優しいけど、どこか線を引いてて……その線の先に、詩さんがいる気がしたの」


私は驚いて顔を上げた。


「私に……?」


「うん。だから、今こうして話してるの。……わたし、負けたくなかった。

 でも、無理に取りに行くことじゃないって、やっと気づいたんだ」


「……ごめん、私、なにも……」


「謝らないで。詩さんは、ちゃんとした人だって思ってる。

 ……だから、好きって気持ち、大事にしてほしいな」


笑った美羽の横顔が、とても大人びて見えた。


「じゃ、行くね。練習あるから」


そう言って立ち上がると、美羽は背を向けて歩き出した。


私は、動けなかった。

まるで、自分の中で何かが大きく動いた気がして。


美羽が、あんなふうに言ってくれるなんて。


嬉しいというよりも、

胸の奥が、ぎゅっと切なくなった。


帰り道、夕焼けの中で、私はひとりでつぶやいた。


「……私も、ちゃんと向き合わなきゃ」


そう思えたのは、きっと、美羽のおかげだった。

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