美しさの果て

赤澤月光

第1話

# 美しさの果て


私は鏡の前に立ち、自分の顔を見つめていた。完璧な鼻筋、大きな瞳、ふっくらとした唇。すべては手術によって作られた美しさだった。


「また何か変えたいの?」


美容外科医の藤原先生は、診察室で私の顔を見ながら尋ねた。私はこの10年間で20回以上の整形手術を受けてきた。最初は鼻、次に目、そして顎のライン。一つ直すと、別の部分が気になり始める。終わりのない追求だった。


「もう限界です」と私は言った。「どれだけ変えても、満足できないんです」


藤原先生は黙って私を見つめた後、引き出しから一枚の名刺を取り出した。


「これは通常の患者には紹介しないんだが…」


名刺には「極限美容研究所」とだけ書かれていた。住所は都内の裏通り、電話番号もない。


「彼らなら、君の望みを叶えられるかもしれない」


---


研究所は古いビルの地下にあった。インターホンを押すと、無機質な女性の声が応答した。


「どのようなご用件でしょうか」


「藤原先生からの紹介です」


ドアが開き、白衣を着た女性が現れた。彼女の顔には何の特徴もなかった。まるで誰かの顔を思い出そうとしても、具体的な特徴が思い浮かばないような、不思議な印象だった。


「お待ちしておりました。院長がお会いします」


案内された部屋で、私は高齢の男性と対面した。彼の顔も同じく、記憶に残らない顔だった。


「藤原君からは聞いています。あなたは美の限界を感じているのですね」


「はい…どれだけ美しくなっても、満足できないんです」


院長は微笑んだ。


「それは当然です。なぜなら、あなたは『顔』という概念自体に縛られているからです」


彼は立ち上がり、壁に掛けられた絵を指さした。それは日本の伝統的な妖怪、のっぺらぼうの絵だった。顔の特徴がなく、ただ平らな面だけがある。


「美の究極は、顔という概念からの解放です。私たちの研究所では、その先の美を追求しています」


「顔がない…?」


「いいえ、むしろ無限の顔を持つのです。必要なときに、必要な美しさを選べる。それが私たちの提案する『極限美容』です」


---


手術の準備は一週間かかった。私は恐怖と期待が入り混じった気持ちで、最終日を迎えた。


「この手術は二段階です」と院長は説明した。「まず、あなたの顔の特徴をすべて取り除きます。次に、特殊な細胞を移植し、あなたが望む顔を自在に形成できるようにします」


手術台に横たわりながら、私は考えた。これが本当に私の望むものなのか。でも、もう引き返せない。麻酔が効いてきて、意識が遠のいていく。


---


目が覚めると、私の世界は変わっていた。鏡を見ても、そこには顔がなかった。ただの平らな肌の面があるだけ。恐怖で叫ぼうとしたが、口もない。


「パニックにならないでください」


院長の声が聞こえた。


「あなたの脳と新しい組織は今、適応過程にあります。集中してみてください。顔を形作ることを想像するのです」


私は必死に集中した。すると、肌の表面がゆっくりと動き始め、鼻、口、目の形が浮かび上がってきた。


「素晴らしい」と院長は言った。「あなたは適応が早い。これからは練習あるのみです」


---


退院して一ヶ月、私は自分の新しい能力に慣れてきた。朝起きると顔はなく、出かける前に意識を集中させて顔を形成する。最初は自分の元の顔だったが、やがて雑誌モデルの顔を真似ることもできるようになった。


ある日、街で見かけた美しい女性の顔を記憶し、家に帰って鏡の前でその顔を再現しようとした。すると驚くべきことが起きた。私の肌が異常に熱くなり、体が震え始めた。鏡に映る私の姿は、その女性そのものになっていた。完璧なコピーだった。


しかし、それだけではなかった。私の中に、その女性の記憶の断片が流れ込んできた。彼女の名前、好きな食べ物、恋人の顔…


恐ろしくなって、すぐに顔を消した。何が起きたのか理解できなかった。


---


翌日、研究所に駆け込んだ。


「何が起きているのですか?他人の記憶まで取り込んでしまいます」


院長は平然としていた。


「それは予想通りの進化です。あなたの細胞は他者を模倣するだけでなく、同化する能力を獲得しました」


「同化?」


「そう、あなたは他者の一部を取り込むことができるのです。それは美の究極形態です。一人の美ではなく、すべての美を内包する存在へ」


私は震えていた。これは美の追求ではない。何か別のものだ。


「私はこんなことを望んでいません」


「もう遅いでしょう」院長は冷たく言った。「あなたの体は既に変化を始めています。止めることはできません」


---


その夜から、私の体は制御不能になった。眠っている間に、無意識のうちに他人の顔を形成していた。朝起きると、知らない女性の顔で目覚めることもあった。


さらに恐ろしいことに、私は他人の顔を見るだけで、強い飢餓感を覚えるようになった。特に美しい女性を見ると、体が熱くなり、彼女たちを「取り込みたい」という衝動に駆られた。


一週間後、私は最初の犠牲者を出した。美容院で見かけた若い女性。彼女の美しさに耐えられず、閉店後に彼女を追いかけ、人気のない路地で彼女に触れた。


私の手が彼女の顔に触れた瞬間、恐ろしいことが起きた。私の肌が溶けるように広がり、彼女を包み込んだ。彼女は悲鳴を上げる間もなく、私の体内に吸収されていった。


その後、私は彼女の顔、彼女の記憶、彼女のすべてを持つようになった。恐ろしさと同時に、言いようのない満足感があった。


---


それから私は止まらなくなった。世界中を旅し、美しい女性たちを探し、彼女たちを取り込んでいった。モデル、女優、一般人…美しさの形は様々だった。


私の体は変化し続けた。もはや人間の形すら維持する必要がなくなった。必要なときだけ、取り込んだ女性たちの顔や体を再現する。それ以外の時は、ただの白い塊として存在している。


時々、取り込んだ女性たちの意識が私の中で目覚め、叫び声が聞こえることがある。彼女たちは完全に消えたわけではない。私の中で生き続けている。


私は今、何百もの美しさを内包する存在となった。もはや人間ではない。美の概念そのものとなった私は、さらなる美を求めて世界を彷徨っている。


鏡を見ると、そこには顔のない白い姿がある。でも、意識を集中させれば、無数の美しい顔が浮かび上がる。これが私の望んだ「美の極限」だったのだろうか。


もう戻れない。これが私の新しい姿。美しさを追い求めた果てに、私は美そのものを飲み込む怪物になってしまった。


そして今夜も、新たな美しさを求めて、私は街へと出ていく。


あなたの顔も、いつか私のコレクションになるかもしれない。

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