ハイル・ブルーダー
かしゆん。
チュース 壱
時は西暦一九四二年、独ソ戦後半。
齢二十五の狙撃兵ヴィルフリートは、可愛い弟みたいな相棒のフロレンツと共に狙撃につく位置を探していた。目的は歩兵達のサポート。敵の将校、砲兵や機関銃手、対戦車犬の狙撃を担っていた。
「ここら辺なら狙いやすそうじゃないか? フロリー、どう思う?」
敵兵が慌ただしく準備をしている様子が目視でも視認できる。
「そうだね、良さそう! 後は開始の合図を待つだけかな」
「あぁ。簡易的な偽装だけ組み立てて後は待つだけだ」
小丘になっている林を見つけ、簡易的な偽装をする為に辺りに在った茂みを引き抜きながら二人は話していた。
戦闘が始まる前の束の間の休息、数刻後には戦闘地帯になるはずの場所で緩やかな時間が流れているのを感じていた。
「まだ侵攻開始までは時間があるだろうし、ほらこれ」
「お、これチョコじゃないか。良いのか、貰っても」
「良いよ、その代わり夜戻ったらちょっとだけ燻製魚の缶詰を分けてほしいな?」
「もちろん良いさ。ありがとう、丁度甘いものが欲しかったんだ」
「ういー! ラッキ~、全部もらっちゃうぞー!」
「おいおい、全部は上げないからな?」
パキッと割って半分を渡し返す。
耳障り良い音が、食欲をそそり立てる。
「ほらこれ、半分はフロリーが食べな」
「え、全部食べて良いのに。いいの?」
「あぁ、一人で食べるより美味しいさ」
「ふふ、ありがとうヴィルフ! やっぱ缶詰も二人で食べようねーっ!」
ヴィルフリートは隣を見る。
笑顔を零す相棒を見て、二人で絶対に生き残ろうと思った。
「じゃ、待ちますか」
「そうだな、少し早めに位置に着いたし。チョコ片食べて待っていよう」
「んー! やっぱり美味しいねこれ、聞いた話だと
「チョコがマズいのか? 何のために作ってんだか」
「茹でたジャガイモよりましか、それよりマズいらしいよ。しかもレンガ割れるくらい激堅。まぁただのエネルギーが高い食べ物としか見てないんだろうね」
「はぁ、これだからあいつらの考えることは分からんな」
「……」
「……」
お互いが無言。狙撃兵には何度もある時間だった。
その空気間は寧ろ彼らには居心地が良かった。
会話が楽しくない訳では無い、この時間が安心できるのだ。
狙撃兵にとって無言の時間とはまるで自分の生き様であった。
余計なものを無くしてただ只管に自分と向き合う。
何も喋らずに過ごせるこの時間は、いつも過去を振り返っていた。
戦争は人々を疲弊させる。それは身体だけでなく、心も。
戦争している意義を忘れない為に。彼にとって重要なルーティーンとなっていた。
「――――」
ヴィルフリートがまだとても小さかった頃、誕生日プレゼントに妹か弟を欲したことがあった。親戚の家に行った時に見た赤子が余程可愛かったらしい。両親も二人目を生むこと自体は相談して決めていた為、その翌年弟が新しく家族の一員となった。
弟の名前はヴィルヘルム。ヴィルフリートはそれはもう愛情をかけた。両親は自分の頼みを忘れているのかと思っていたが、無事に弟をくれたことに感謝していた。いままで貰ったどのプレゼントよりも嬉しいようだった。
でもそんな日々が毎日続くわけではない。ヴィルヘルムが成長し反抗期を迎えると、その日学校で友達と喧嘩をした弟は、機嫌の悪さをそのままに優しかったヴィルフリートに缶を投げつけた。弟が投げた缶はギザギザの切り口が運悪く頭にあたり、彼は一滴二滴と床に赤い染みを作った。
驚いたヴィルフリートは顔をあげると、酷く怯えた表情をしている弟と目が合った。震えながら口を開かないヴィルヘルムに段々と怒りが込み上げてきた彼は、そのまま取っ組み合いの喧嘩を始めた。五歳も差のある二人には歴然とした力の差があった。結局、取っ組み合いをしている最中に転んだ弟は、右の中指を折ってしまった。
二人とも両親にこっぴどく叱られて、その日以来仲の良かった兄弟は居なくなった。目を合わせると、どちらともなく一瞬で目を逸らし、口も利かなくなった。
時が経ち、ヴィルフリートは大学生。ヴィルヘルムは高校生になっていた。二人の間の関係は以前よりはギスギスとした雰囲気は取り払われていたが、かといって口を利くようなものでも無かった。長年続いた険悪な雰囲気も、一通の手紙だけで一変することになる。
ある朝起きると、なにやら沈痛な面持ちで両親が机についていた。なんだか嫌な予感がしたヴィルフリートは極めて明るくその日最初の言葉を放った。
「おはよう~! いやぁなんかめっちゃお腹空いたな、今日の朝食はなに? なんか昨日珍しいパン買ってたよね、それ食べようー?」
「……お父さん、軍人さんになるって」
返ってきた答えはまるで質問の内容に沿っていなかった。
「……っ」
でもその返答は朝のぼやけたヴィルフリートの頭を一瞬で覚醒させた。
何を言えば良いのか分からなかった。けれど、何か言わないといけないと思った。
口にできたのは一言だけ。
「そっ、か」
あぁ、もっと他に言う事が出来ただろうに。
でも彼の父はそれに内包された様々な感情を汲み取れたようで、一言だけしか言えなかった彼に言及することは無かった。
きっと彼がそれ以上言葉にすると感情が決壊してしまうと分かっていたのだろう。
「すまないな。 ヴィルフリート、大学は順調か」
「……」
彼は黙って頷いた。
父は満足そうに「そうか」と微笑んでから、真剣な表情に戻った。
「俺が帰ってこなかったら、母さんとヴィルヘルムを頼むぞ」
「そんなっ、それは」
「大丈夫、きっと帰って来るさ。安心しておいてくれ」
そう言ってはにかむ父の表情は翳りがあった。
きっと覚悟していたのだろう。そう思うと、やはりやるせない気持ちもこみあがってくるものだった。
父が帰ってきたのは軍役に出てから四カ月後のことだった。胸にぽっかりとあいた銃創は見るに痛々しい眺めだった。顔が綺麗なのがせめてもの救いだった。
父は生きて帰ってこなかった。
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