第7章:赤き王の使徒
風が止んだ。
深い森の奥で、時間がひとつ息を飲む。
その瞬間、焚き火の炎が揺らぎ、光と影の輪郭がねじれた。
ジョナサンは立ち上がり、周囲の気配を読む。
誰も気づかぬような静かな圧――しかし、確かに“夜”が近づいていた。
「……来るぞ」
アッシュが低く唸るように言った。彼の片目が、ただならぬものを捉えている。
霧が、森の奥から静かに押し寄せてくる。
火の粉が逆流し、灰が宙を踊り始める。
その中央に――“それ”はいた。
黒衣を纏った長身の影。
人間の形をしているが、輪郭が常に揺れていて、見ていると頭痛を誘う。
まるでこの世界に存在すること自体が間違いであるかのような、そんな不快な気配。
「……ジョナサン・クロウ」
その声は風と混じり、耳ではなく“心臓”で聞くような響きを持っていた。
「まさか……」
アッシュが目を見開く。「あいつ……死んだはずじゃ……」
ジョナサンは一歩、前に出た。
「……ミラール」
影は笑ったように見えた。
しかし口元は動かず、代わりに焚き火の影が嘲るように揺れただけだった。
「お前は俺が殺した」
ジョナサンの声は冷たいが、どこか迷いがあった。
「死んだよ。確かに、あの夜……俺は終わった」
ミラールの声は森の木々を這いながら染み込んでくる。
「だが、“赤き王”は俺を拾った。夜の声として」
焚き火が消えた。
瞬間、世界がモノクロになる。白と黒しか存在しない、夜の断片。
「お前はもう、ただの影ってわけか」
ジョナサンが問う。
「影と呼ぶにはまだ意志がある。だが肉体はもうここにはない。
俺は、死の先にある“王の意志”の一部だ」
そのとき、背後でシエナが震えた。
彼女は頭を押さえ、低く呻いた。
「痛い……頭が……!」
アッシュが駆け寄るが、ミラールの影が伸びた。
手でも足でもない、ただ“気配”が一瞬、彼女の額を撫でるように通った。
「……その子は、“扉”だ」
ミラールは言う。
「お前が開けた、過去と未来を繋ぐ扉だ、クロウ。
赤き王は、そこから世界を呑み込む」
ジョナサンの瞳が細くなる。
「何を知っている?」
「すべてだよ。
だが、その答えを知る覚悟が、お前にあるか?」
影が霧に溶けていく。
言葉も、足音もなく、ただ世界から消えていくように。
「待て」
ジョナサンが声をかけた。
「このまま消えるな。お前が“まだいる”ってことは……お前にも、終わらせたいものがあるんじゃないのか?」
その言葉に、わずかに空気が止まった。
霧の中に、小さな沈黙が残る。
「……近いうちに分かるさ。
誰がこの夜を継ぎ、誰が“王の血”を裏切るか」
そして影は完全に消えた。
焚き火が突然、何事もなかったように再点火した。
森の匂いと、夜の静けさだけが残る。
「……ジョナサン」
アッシュが振り向く。
「“王の血”って、あいつ、何の話をしてた?」
ジョナサンは答えなかった。
ただ、霧が消えた空に浮かぶ月を見上げていた。
その胸の奥で、何かが目覚めようとしていた。
“群れの王”としての本能か、それとも――別の何かか。
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