横恋慕
ゆうき弥生
第1話再会
父さんが死んでから半年が過ぎた。医療班の班長だったユリウスは念願の診療所をレグルス港で始めた。
表向きはレグルス港の医療環境を改善するためのリベルタ医療班レグルス港出張所という建前だが、実際はユリウスの好きにしているのでユリウスは満足している。
すると医療班のもう1人の医者であるミスティアが自動的に医療班の班長となり指揮を取っていくことになった。まだ15歳、医師としての経験も浅いミスティアには重責だが、前任のユリウスが度々顔を出すので少しは気が楽なようだ。そんな毎日に珍客が訪れたのはもうすぐ秋と言ったところだった。
※
ジルバさんからの思わぬ呼び出しに思わずドキリとした。自分の所属する部隊の隊長の呼び出しなのに、変に緊張している。と言うのも午前中に書類を提出したばかりだ。医療班を本格的に任されるようになって初めの頃は提出した書類のやり直しを何度かくらって困らせてしまっていた。だからジルバさんのいる執務室に向かいながらも、なにか不備があったのかと書いた内容を思い返す。
ノックをして入るとそこにはジルバさんと白衣を着た少年が立っている。珍しくジルバさんの機嫌がちょっと悪く、やっぱり不備があったのだろうかと一瞬過ったが、自らと同じ白衣を身に纏った赤毛の少年の存在がこの場に不釣り合いだった。
「えっと、どうしましたか?」
重い空気に恐る恐る聞くとジルバさんは静かに話し始めた。その話に頷いて、時には質問して進めていくとずっと黙り込んで空気と同化しそうな少年のことが分かった。
「つまり、医療実習をリベルタで? 私が指導医と言うことですか?」
なんだかホッとして肩の力が抜けた。ジルバさんの機嫌が悪いのは別件のようだ。
「はい、お願いできますか?」
ようやく少年が口を開く。
そういえば自身もこの時期にユリウスさんの元で実習をしたと思い出す。リベルタの医務室で実習を行ったが多くの級友は国立診療所で実習を行っていた。
「別に私は構わないけど、けどいいの? みんな国立診療所に行くよ? リベルタは怪我とか急病ばっかりだから、国立の方とは全く別物で」
「いいえ、僕はミスティアさんの話が聞きたいんです」
少年の言葉にその意志は固いと感じ入り、もうそれ以上何も言うことがなかった。
「――決まりだな。本格的な実習は明日からで、今日は案内だけ頼む」
ジルバさんは相変わらずむすっとしてるので、言葉が少ない。
「分かりました。よろしくね、名前を教えてくれる?」
床に置いたカバンを持った少年はニキビの目立つ頬を緩めて笑った。
「オリバーです。よろしくお願いします!」
※
その人を初めて見かけたのは1年前、噂になってすぐだった。上級のクラスに隣国ニーズヘッグ王国のルスキニア医学学校の首席が編入してきたらしいと学校中がざわめいていた。ルスキニア医学学校と言えば医学の学校として世界最高峰と名高い。そんな学校の首席が編入なんてと、すぐに噂が広がった。
年は俺と変わらない。年齢としては同じ学年となってもおかしくないが、知識と経験を加味してひとつ上の上級のクラスに振り分けられたらしい。
皆が噂するのでひとり机に向かう俺の耳にも一応話は入ってきていたが、これと言って興味はなかった。
そんなどうでもいいことを気にするのはこの学校にいるのはバカばかりだからだ。大体、あのルスキニア医学学校の首席が何故こんな格下に編入する。絶対になにかある。到底許されないような悪事を働いたか、もしくは首席なんてものは嘘で、不正を働きバレて追い出されたか、どうせそんなところだろう。そんなことが起きるなんてルスキニアも落ちたもんだな。
周りを見るとまだまだ先なのに秋の契りの祭りの話で盛り上がる。どいつもこいつも色恋沙汰にしか興味がない。ここは医者となるべく知識を身につけ、技術を学ぶ場ではないのか。さっさといつもの場所に逃げよう。騒がしい教室から廊下に出ても賑わいは続く。幼年期から通った小学も、
今は暑い夏だが、レンガ造りのこの校舎の壁は冷たく静かに佇んでいて、主に過ごす教室から遠ざかるに連れて、静寂とともに冷たくなっていく。図書室に向かう道はあまり人が通らず、目的地の図書室も今の時期は人が疎らだった。そこがこの校舎で唯一静かで、知的で俺に相応しい居場所だった。
「あの……」
突然消え入りそうな声で呼び掛けられ、肩が跳ねる。振り返ると金髪の女生徒が縮こまりながら立っていた。同級ではあまり見たことがない。上級の生徒は今は医療実習の最中で皆街に出ている。きっと下級の生徒だろう。
「すみません、道に迷ってしまって……図書室はどこですか?」
なんでこんな校内で迷うと内心舌打ちする。今は夏だ。下級にしてもこんな時期まで図書室に行ったことないなんて、怠慢もいいところだ。その女が顔を上げた。そして髪と同じ金の瞳にぎょっとする。
――噂のルスキニアの首席だ。
例の首席はハーフエルフらしいとは漏れ聞いていたので、目を見てすぐに分かった。
「あの、」
「なんで上級の生徒がここにいるんだ」
「え、あの、その……実習で、知りたいことがあって……今日は非番になったから、先生にお願いして、図書室に」
つまり医療実習中だが、熱心にも図書室で知識不足を補おうとここにやってきた。だが、まだ編入して間もない身で場所を把握していなかったというわけだ。
初めて見るそんな心意気の女に、心の琴線が触れた。この学校のどの奴らとも違う。知性に溢れた行動に深く心が揺さぶられた。短く案内すると言うと頭を下げて後ろを追いかけ始めた。同い年だが、ちょこちょこと歩く姿は年下に見えた。
無言で案内する。彼女も一言も話さない。この国のどの女とも違い、彼女は奥ゆかしい。この国の女は総じて気が強くてうるさくて苦手だ。一言男が何か言えば十返ってくる、そんな女ばかりだ。
階段を上って最上階に辿り着くと上階だからか少し暑さを感じる。高窓からは夏の日差しが差し込み、舞う埃が星のように煌めいていた。彼女の金の髪も煌めいている。角を曲がると日差しがなくなり、目当ての図書室の札が下りた入り口が目の前にあった。それを見た彼女が「あっ」とようやく声を上げた。
「ありがとうございます。親切にしていただいて」
「いや、別に」
初めて、彼女の姿をしっかりと見た。金の髪、エルフの血を感じる金の瞳、血色の良い頬が綻んで女神のように美しかった。
彼女はそのまま図書室へ小走りに向かう。その扉を開けると入る直前、もう一度振り返ってにこりと小さく笑って会釈するとサッと消えていった。
心臓がうるさいくらい脈打つ。消えた彼女の残り香が甘く鼻腔に残る。
この
「おい、聞いてるのか」
「はい。本格的な実習は明日からで、薬草の選別などを主にすればいいんですね」
先ほどの部屋を出てリベルタの医務室に案内された。それにぶっきらぼうな声に淡々と答えると、目の前の男はふん、と鼻を鳴らす。俺よりもひと回り上くらいの茶髪の男は着崩してはいるが白衣を身に纏っていて、恐らく医者なのだろう。ミスティアはあの時のような笑みを浮かべながら手渡した書類を確認していた。
「期間は3ヶ月ね。私の時は1ヶ月半だったんだけど、延びてるのね」
「医者の仕事なんて実践あるのみだ。それくらいでいい」
ユリウスと名乗るこの男も同じ国立医学学校の出身のようだ(まぁこの国で医学学校は国立しかないから)。医学学校を卒業したあとの進路は在学中の成績で決まる。卒業するとおおよその生徒は国立診療所に勤める。一部は街医者の子どもで将来親の診療所を継ぐので親元で働く者、そして残りは国立診療所でも役に立たないとされた負け犬だ。つまり目の前の男もそんな負け犬の一人というわけだ。
「これくらいの説明で大丈夫かな? えっと、私も去年医学学校を卒業したばかりで、実務としては全然ひよっこなの。私よりユリウスさんの方が詳しいと思うけど、よろしくね?」
控え目に微笑んだ彼女の愛らしさに嘆息が漏れる。
「医者にも考え方の相違がある。ここにもな」
ユリウスが彼女と自身を指して言った。
「色んな医者の考えを聞いて己の信じるものを決めたらいい。俺はレグルス港の出張所にいることが多いが、週に1度は顔を出すからよろしく」
ぶっきらぼうな言い方をしたユリウスはすぐに彼女に向き合って話し始めた。
「それはそうとして明日は奥方の診察か?」
仕事の話になり、彼女もハキハキと答えていく。
「はい。もうそろそろかと思ってます。産婆さんにも確認して貰って、私が見ても下がってきているので」
「気が抜けないな。奥方の様子は?」
「相変わらずです」
少し浮かない顔をして息を吐き出した。
「明日の診察はこいつも連れていくのか?」
ユリウスの言葉にムッとしながらも彼女の言葉を待つ。
「――その方がいいかなって。経験あるのみですし。同行してもらってもご挨拶くらいでいいかと。やっぱり同性の方が安心されると思うので。診察中は外に出て貰います」
「あの、奥方って」
どうやら妊婦を診ていて、その妊婦はもう産み月に入っているのだろう。妊娠と出産は医者の管轄外だ。しかし目の前の2人はそれに深く関わっている。
「あぁそうね。ジルバさんのお母さんのことなの」
ジルバさん、彼女の言葉に考える。少ししてようやくあの難しい顔をした隊長だと思い至った。
「半年前に隊長さん――ジルバさんのお父さんが亡くなってから気落ちされてるし、出産も15年ぶりだから、ユリウスさんと二人でお産に向けて準備してるところなの。明日は奥方様の診察に行く予定なのよ」
隊長の年は知らないが顔つきからして成人したかしていないかと言ったところだ。それを考えると母親も相当高齢なはず。そんな年で身籠っているのは正直気味が悪い。
「ユリウスさんもお産に立ち会ったことは数えるだけだし、私も初めてで、産婆さんが来てくれる手筈だけど、別のお産が入るとそうもいかないから。……もし誰も産婆さんが捕まらなかったら最後は私が取り上げることになるかな?」
少し唸って顔を擦った。
「とりあえず産婆さんにはある程度教えて貰ったんで大丈夫、だと思います」
最後は消え入りそうな言葉だった。
「どうにかなる。大丈夫だ」
ユリウスの力強い言葉にミスティアが少し明るい顔をした。心がざわつく。そこにいて良いのはお前ではない、と叫び出しそうになった。
おまけ
目当ての本を借りてそれを抱えると図書室から足早に去る。「リベルタで過ごすならしばらく護衛はいらないな」とジルバさんに言われていたのに、指導医をしてくれているユリウスさんの治療方針にどうしても納得がいかなくて、休みの日に無理を言って付いてきてもらった。
だから早く済ませたいのにまさか迷子になってしまうとは思わなかった。すぐ終わるならここで待つと言ったジルバさんの言葉が頭の中でぐるぐると巡って親切な人に案内してもらえたのにあまり精査しないまま必要そうな本を粗方抱えて出る羽目になってしまった。
「お、やっと――どれだけ借りてんだ!」
「だってぇ」
足早に出てきたのでもうヘトヘトでジルバさんの顔を見たら力が抜けてへたり込んでしまった。
「いくつか返してきたらどうだ。実習しながらじゃこんなに読めないだろ」
「もう一回あそこまで行くのは無理! 3階だよ?」
「それ抱えてこっからリベルタまで帰る方が無理だろ」
馬で来れば良かった、とジルバさんがぶつぶつ言いながらも腕の中から奪っていく。
「また迷子になってたのか?」
意地悪く笑った顔が痛いところを突いてきた。
「ゔっ、そうだけど、案内してもらえたから大丈夫。レグルスの人はハーフエルフにも優しいんだね、嬉しいなぁ」
「そりゃよかった。じゃあ帰るぞ」
立ち上がると先に歩き始めたふわふわの黒髪の後に続く。夏の日差しの下、溶け込むような思い出だった。
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