輝夜姫と魔法使い

しもん

第1話

「いつかね」

 

 少女が外を眺めながら言った。傍らの少年は彼女を見つめ、続く言葉を待っている。

 

 縁側には少年と少女が座っている。

 外には庭が広がっており、すぐ側に緩やかに曲がった楓の木がそびえ立っている。

 別れた枝の一つが屋根のように広がり、紅葉は夜風が吹く度ゆらゆら落ちていった。


 少年少女は美しかった。

 少年の色白の肌は透き通るようで、色素の薄い髪や瞳によく馴染んでいる。

 彼は丸い金縁の眼鏡をかけており、それが小さくも高い鼻を際立たせていた。

 少女の腰まで伸びた黒髪が月光を反射して煌めいている。

 まろいピンクの頬を持つ顔は幼くも整っていて、まるで輝夜姫のようであった。

 

 「いつか、おつきさまにいきたいの。きっと、そこがわたしのかえるところだから」

 

 少女は紅葉の隙間から覗く大きな満月を見ながら呟いた。

 その姿は呼吸を忘れるほど幻想的で、少年は彼女に釘付けであった。

 美しさは、時に説得力を持つ。

 彼女の「月が帰るべき場所」というとんでもない発言も、少年には納得できるものだったのだ。

 だから、少年も突飛のないことを言えた。

 

 「……じゃあ」


 少女は五度目、少年は七度目の十五夜の日である。

 少女はキラキラ光る目で少年を見た。

 

 月に帰るとき、きっと自分は一緒に住むことはできない。彼女がいない人生は、果てしなく寂しいものだろう。そんな寂しい表情を隠すように、彼はおみつから顔を背けた。

 

「いつか、魔法使いになって、おみつを月に帰してあげる」

 

 庭の小石だとか盆栽だとかを見つめながら、少年が言う。

 彼女のために何ができるだろうと小さな頭で考えた結果、なんでもできる魔法使いなら可能だという結論になったみたいである。

 

 彼は実際に魔法使いと会い、魔法を見たことがあるので、それが一番身近な選択肢だったのだ。


 「月に帰す」と言った顔は逆光となって少女には見えなかったが、言葉には幼い故の固い決意と、寂しさが見えた。

 おみつと呼ばれた少女は五歳に見えぬほど綺麗に笑うと、彼にぴたと寄り添って

 

「そのときは、ゆうくんもいっしょよ」

 

 と。長い睫毛を伏せ、一際深い夜の色みたいな声で言った。

 

 *

 

 平屋建ての広々とした日本家屋の一室。障子によって仕切られた部屋には背の低いたんす、ちゃぶ台、ハイカラな色の座布団、大きな姿見、そして膨らんだ布団が置かれている。

 布団は時折もぞもぞ動いていて、部屋の主が使用していることが窺えた。

 障子を通り抜ける柔い朝日と、ちちちと鳴く鳥の声でおみつ…望月 光世が目覚めた。

 ひょこっと布団から顔を出し、ぐだぐだと布団の中で蠢いている。しばらくしてぐーっと伸びをすると、のっそり起き上がった。

 

 まだ覚醒しきっていない脳で、起きる前のことを思い出す。

 どうやら昔の夢を見ていたようだ。夢の内容は朧気であまり思い出せないが、なんだか恋しいものな気がした。

 もう少しぼんやり夢のことを考えていたかったが、名残を振り切って、おみつは居間へ向かった。

 今日は学校も部活も無い土曜日。いつもより遅起きしたので、母も父も既に朝食をとっただろう。

 うがいを済ませてから机に着けば、案の定一人分の朝食がちょこと置かれていた。

 ニュースを見ながらご飯を食べていると洗濯カゴを持った母が通りかかる。

 

「あら、おみつ。おはよう」

「おはよう、お母さん」

「今日はお寝坊さんですね。いい夢でも見たの?」

「ふふ、覚えてないけれどきっとそうよ。あっ、お参り間に合うかしら!」

「まあ、もうそんな心配する程の時間なのですか」

「うん。寝過ぎちゃったみたい……」

 

 おみつは眉を下げて笑う。

 母は薄く微笑んで「では急いだほうがよろしいわね。出る時は一声くださいね」と優しく言った後、また慌ただしく家事をこなしに向かった。

 おみつは時間がないと分かったので急いで朝ごはんを飲み込んで、小さく汗を飛ばしながらのろまに急いで支度する。


 お参りとは、彼女の日課の一つである。午前中のうちに近所の神社へ行き、大切なお願いごとと日頃の感謝を静かに伝えるものだ。

 なぜそんなことをするのか。それはゆうくんが関係している。


 ゆうくん。正式には橘 優。おみつにとっては、血は繋がらずとも兄のような存在であった。

 だが彼は今ここに居ない。彼は行方知れずになったのである。


 ゆうくんが行方知れずになったのは、二年前の春。早咲きの桜がちらちら花弁を散らす頃だった。

 大学の入学式を控えた前日、ヘアワックスが足りないからと近所の薬局へ出かけたのが最後だった。


 薬局は徒歩十五分の距離だ。すぐに戻ってくるはずだった。

 けれど、待てども待てども帰ってこない。

 最初は家族も「どこかで寄り道しているのだろう」と楽観していた。だが、連絡が取れない状態が続き、次第に家族、そしておみつの胸の中に不安が広がっていった。

 やがて警察にも連絡を入れ、捜索が始まった。けれど、家から薬局への道にある防犯カメラには途中までしか映っておらず、それ以降は跡形もない。まるで風に紛れて消えてしまったようだった。


 ゆうくんは月のように静かで美しい人だった。だから誘拐なども疑われたけれど、結局分からずじまい。あの日彼はまるで神隠しにあったかのように、さら、と姿を消してしまったのだ。


 当時はネットニュースにも書かれるほど騒がれたが、次第に熱も消えた。

 未だに彼を探しているのは、彼の家族と、おみつくらいだろう。だからおみつは毎日、社の前で手を合わせているのだ。

 またあの人に会えますように、と。


 急いで支度したおみつは、最後に洗面台で髪を整え、麦茶が入った小さな斜めかけの鞄にスマホを入れて肩にかけた。

 玄関で白いスニーカーを履いたら、振り返って母と父に聞こえるように「行ってきまあす!」と言う。すると「あ、はあい」と母がスリッパ特有のぱたぱたとした足音を鳴らしながら玄関までやってきた。

 

「気をつけてくださいましね。必ず防犯カメラがある道を歩くのですよ」

「うん。ありがとう」

 

 母は念押しするようにニコ、と笑うとまた居間へ戻っていく。いつもの恒例行事であった。

 おみつは微笑みながら母を見送ると、スライド式の扉を開け、鍵をかける。

 一度引っ張ってみてちゃんと鍵がかかってるか確認し、いざ行かんと振り返ると、

 

 

 

「っ、」

「……久しぶりだね、おみつ」

 

 

 

 恋い焦がれていた彼の人が、キャメルのコートを揺らして立っていた。

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