第3話-同窓会-
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繁華街から少し離れた神社の裏手に、雑木林に囲まれて、小さな墓地がある。
木々の間から月明りが漏れ、淡い光の下、整然と並ぶ墓石が浮かび上がる。
「失礼。そちらのお墓に……何か、ご用で?」
ジャーナリストの加納は、小さな墓標を見下ろす人影に近づき、声を掛けた。
相手が、加納の方を向く。
若く、美しい女性だった。
髪は短めのウルフカットで、それと意志の強そうな目が、彼女に活発な雰囲気を与えている。
「はあ、そんなところです」
加納の問いに、女性は頷いた。「十和成哉の墓。だけど、空っぽなんですよね?」
「……ええ」
加納は唸り、女性の隣に立った。
墓前に花は無い。彼女は供えなかったらしい。
彼は、持参した花束を置き、しゃがんで手を合わせた。
「成哉少年の、お知合いですか?」
「まあ、そうです」
「そうなのですか。はじめまして。私は、こういう者で……」
立ち上がった加納が名刺を差し出すと、女は、どうも、と会釈して、受け取った紙片に目を落とした。
「10年が経ったというのに、捜査は全く進んでいない。それどころか加害者は野放しのまま、事件は世間から忘れられかけている」
そんなのは許せない、と加納は声を震わせる。
「誰かが悪を暴き、十和成哉少年の報われぬ魂を救済しなければ。だから私が糾します。この世には、為されなければならない正義があると思いませんか」
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「え、十和成哉? あの殺された子だよね」
それは地元で起きた、知らぬ者のいない凄惨な事件だった。
10年前、彼らのクラスメイトであった少年・十和成哉が行方不明となった。
5日間の捜索の末、深い山中で見つかったのは大量の血痕と、折られた歯の欠片。
DNA鑑定の末、それらは、いずれも成哉少年本人のものと結論づけられた。
「結局、今も死体は見つかんないままだとか?」
「しかし凄いよなァ。地元で、こんな凄惨な事件が起こったんだぜ? しかも被害者は俺らのクラスメイトだ。つまり──」
「ひょっとしたら殺されたのは私たちだったかもしれないってことよね? 怖い~」
きゃあきゃあと若者たちは声を上げる。
身近な、それでいてすでに過去に遠のいた事件の話題を、この場における絶好のエンターテイメントと捉えたらしかった。
「神崎ちゃんも、憶えてるよね? 十和くんのこと!」
「え? ……まあ、名前は判るよ。変わってるし、当時は、よく聞いたしね」
「でも?」
「……どんな人だっけ? 癖とか特徴とか、どうも頭の中で関連付けられなくて」
「癖ぇ? 憶えてねぇなぁ……おい足立ぃ! お前、何かピンと来ねぇ?」
「いやぁ……普通の男の子だったと思うけどな。記事に写真とか載ってないの?」
それに応えて、事件の記事を検索していた女性がスマートフォンを差し出す。
澪は、つと目線を上げ、画面いっぱいに拡大されたバストアップ写真を眺めた。
「……けっこう、整った顔立ちに見えるね」
「まぁ、よくよく見れば顔は良い、って言う子もいたけどね。でもモテなかったよ。暗くってノリが悪くて、なに考えてるか分かんないし」
「イジメられてたし、下手に関わりたくないってのも、あったよねぇ」
「ねぇ、やめましょうよ、死人の話なんて。そういえば宮内くんがいないわね。彼は来なかったんだ?」
「来ない来ない。っていうか呼ぶわけないよー、人殺しだもん」
「人殺し?」
「だって、あいつが殺したんでしょ? 十和くんのこと」
「少年Aって扱いで、顔にもモザイクかかってたけど……モロに宮内だったよなぁ」
「けど、たしか容疑者止まりで、自白も証拠も取れなくて釈放されてたような?」
「容疑者ってことは、犯人ってことだろ?」
「やたら十和くんを目の敵にしてたよね。何かと因縁つけて、小突き回して」
「つるんだこともあったけど、さすがに毎日毎日で……」
「って、お前もイジメてたんじゃん!」
「若さゆえのヤンチャだよ。宮内の執拗さに比べりゃ可愛いもんだ」
「どうしてるんだろう、あいつ? あの後、転校したんだったよね」
「まぁ、あれから生徒も先生も、腫れ物に触るような扱いだったし……」
「私、職員室に鬼のように電話が掛かって来てたの知ってるよ」
「人殺しを庇うな、的な?」
「転校先でもダメだった、て噂あったけどな」
「あー、あいつ彼女を妊娠させたんだよ。それで退学したの、たしか」
「うわークズー!」
「逆に初耳? あの頃、結構ネットに、そのあたりの宮内の情報とか流れてたぜ」
「知ってる、知ってる。写真とか住所とか電話番号とかね」
「親御さんの勤め先とか載ってるのも見たなぁ」
「あー、何回か引っ越したって聞いてたけど、原因それかー」
「てか誰だよ、流したの! ぜってー、この中の誰かだろ、それ!」
「手ェあげなよ、ここだけの話! そもそも宮内の自業自得なんだし!」
「あいつ、そもそも生きてんの? 私だったら、世間からあんだけバッシングされたら、死んじゃいたいって思っちゃいそうだけどなー」
「関係ないんじゃん? そんな感覚、持ち合わせてないからこそ人殺しできんだよ」
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「宮内洋太の、インタビュー記事は読まれましたか?」
加納が訊くと、女は首を横に振った。
「言い訳に終始した、最低の内容ですよ。殺人の否定は勿論、クラスメイトの証言で明らかとなっていた激しいイジメの数々には卑怯にも触れず、世間で言われていることは悪意を持って装飾されているなどと、ぬけぬけと言い放っている」
「それで?」
「宮内洋太は、反省などしていないということです。日頃から、学校の机を振り回して相手の頭を殴りつけるような人間ですよ? むしろその延長として殺人に及んだという方が、よほど説得力がある」
「うーん、説得力と事実は別物じゃないかな」
「いいえ、十和くんを殺したのは宮内洋太ですよ。何故なら十和成哉はリンチに遭ったんだ。多量の出血、折られた歯……これは怨恨が動機と考えるのが自然だと私は思います。それほど彼に入れ込んでいたのは、宮内洋太を置いて他にはない。何より彼にはアリバイが無い。事件の当日、彼は、父親の車を運転して遠くへ行っていた。無免許の中学生が、何のために?」
「たしかに無免許運転は褒められたことじゃないけれど、車から十和成哉のDNAは検出されなかったんでしょう? そして必要性だけで全てを語れるわけでは、必ずしもない」
「……しかし他の人物に繋がる証拠は、見つからない」
「消されたのかも」
「は?」
「証拠」
「……失礼、どうも先ほどから宮内洋太を庇おうとしているように見受けられますが?」
それは加納にとり、一種の警告だった。
ソレをそれを認めるということは、彼の信じる人として正しい道を踏み外すことであるのだ、と。
しかし、それにも関わらず、女は首肯を返した。
「恥を知りなさい! 殺人犯の肩を持つなど! 正しい判断とは言えませんな!!」
「あたし、客観的な事実を述べているつもりなんだけど……どうやら、あんたの中では、もう答えが凝り固まってるみたいね。その憤りの出発点は正しいものだったのかもしれないけど、どうも、途中で間違ってしまったみたい」
女は首を振り、溜息交じりに言った。
「宮内洋太は犯人じゃないですよ、加納さん」
彼女が放った、その一言に、加納は唖然として固まった。
「何を……根拠に?」
「根拠っていうか……本人に聞けば、そう言うと思うけど」
「っははははは! これだから素人は! 宮内洋太に聞けば、そりゃあ犯人じゃないと答えるでしょうよ……! あなたが、いったい何を知っているっていうんです? そもそも、今さらですが、あなた本当に十和成哉くんの知り合いですか? どういう関係で、ここへ何しに?」
「仕事仲間」
女は、面倒くさそうに頭を掻きつつ答えた。
「6年前に、知り合ったんです」
「…………………は?」
「自分は宮内洋太に殺されたんじゃない。そう、彼自身が言っていました」
「……何を言ってるんだ、あんたは? 正気か?」
目を剥く加納の前で、女は頭上の月を見上げながら、ふぅ、と溜息をつく。
「何故ここに来たのか? もちろん彼を弔うためなんかじゃないですよ。単に待ち合わせ場所として、ここを指定されたんです。ぶっちゃけ、悪趣味ですよね。何より、ここで独り待つ、あたしの気持ちにもなってみろっていうか」
呆れたような文句は虚空に溶け……そして。
「そりゃ悪かったな」
そんな声が、雑木林の奥から投げられた。
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1時間後、居酒屋の2階では、最後の乾杯の音頭がとられていた。
一同はご機嫌に、赤ら顔で立ち上がり、あるいは座り込んだまま、手にしたグラスを振り回している。
「んじゃー、みんなの今後に~!」
「あと、カワイソーな十和成哉くんにもね~!」
そして全員がグラスを合わせようとしたその時、店員が座敷に踏み入ってきた。
「失礼します! 少々お待ちください!!」
「は? ……あの、何すか? 見て判んないかな、乾杯するとこだったんすけど」
幹事が不機嫌そうに唸ると、店員が恐縮しながら言った。
「すみません。お連れ様がいらっしゃいましたので、ご案内差し上げました。飛び入りだそうで、よろしければご一緒に──」
「連れェ?」
あまりのことに、若者たちは互いに顔を見合わせる。
すでに全員に近いメンバーが集っている以上、心当たりの人物は、ひとりしかいない。
「……へぇーえ、面白れェ。そいつ、ここに通してくれよ」
不穏な雰囲気に動揺しながら店員が奥へ目配せをすると、それを合図に、廊下に黒い人影が現れた。
「おー、よくも顔を出せたもんだなァ? どうやって同窓会のこと嗅ぎつけやがったんだぁ、ええ、殺人犯の宮内洋太さんよォ――……」
だが、立ち現れた人物に、宮内洋太の面影は無かった。
それでいながら誰もが、その憂いを帯びた表情に懐かしいものを覚えたようだった。
「洋太じゃなくてガッカリか?」
青年は、その場に立ったままひとりひとりの顔を覗き込んだ。その度、大口をポカンと開けた間抜け面が返される。
先の店員が、おそるおそる訊く。
「お間違いございませんでした?」
「ああ、はい。確かに俺の同級生たちです。ありがとう」
青年は店員に会釈を返し、呆然と固まる若者らに向き直った。
「どうした? 歓迎してくれよ。今さっき、俺のために乾杯しようとしてくれたんじゃないのか? せっかくこうして……十和成哉が、化けて出たっていうんだぜ」
――えっ、誰なのこいつ?
――生きてたのか?
――双子?
「……バッカ、違うよ。化けて出たって言っただろ。間違いなく俺は十和成哉で、確かに俺は殺されました」
忘我の呟きを漏らす元クラスメイトらに嘯きながら、成哉は座敷の奥へと踏み出した。
「どうして来たかって? そりゃ死人が化けて出る理由なんて、ひとつしかない」
成哉は立ち止まる。
その視線の先には、ある人物が座っている。
「人殺しの顔を、拝みに来たのさ」
「あぁ――そうだったわね」
〝彼女〟は俯いて、くつくつと笑った。
「そう、あなただったわね。どうも、あなたという人間だけは、記憶するのに苦労した。顔も生き方も特徴が無くて難儀させられたわ。でも、そんなあなたでも死の間際、苦しみの果てにはチラリと見えた。そのとき垣間見たのと同じものが、あなたにも備わってる。あなた間違いなく……十和成哉ね」
「お墨付き、どうも。染みついた癖や雰囲気で、相手を確実に判別できるんだって? さすがだね。話が早くて助かるよ」
不敵に笑む成哉に対し、その人物は、ゆっくりと立ち上がりながら返す。
「特に、私にとっては初めての殺人だったから、ひときわ印象に残っているのよ。念入りに、執拗にやった……うん、そうよ。それだけに解せないわね。あなたのことは確かに殺した。確かに死んだわよね? それなのに、どうしてあなた、そこに立っているの?」
「同窓会だからだよ」
「ああ、そうか、なるほどね」
頷いて、神崎澪はアハハと笑った。
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