第6話-一蓮托生-

「目が覚めた?」


 仰向けの成哉を、覗き込む顔があった。

 最初、ぼやけた視界には、肌の浅黒い少女に見えた。

 一度、瞬きをした後には、目が細く、エラが張った青年に見えた。

 さらに睫毛を震わせると、年端のいかない子供に見えた。


「よかった……気が付いたみてぇだな」


 けれど涙を拭ってみると、相手は成哉と同い年くらいの少年だった。

 細い金髪が、くるくるとカールして、こんもりと膨らんでいた。


「なぁ、オレの言葉、わかる?」


 わかるよ、と成哉は答えた。

 口の中は乾ききっていて、その一言を発するために、下あごにくっついた舌を懸命に剥がさなければならなかった。


「よかった! ようやく、喋れる相手が来てくれた!」


 少年はケントと名乗った。

 肌が透き通るように白く、瞳は空の色を思わせた。


 日本語うまいね──と言おうかと思って、やめた。

 ハーフかもしれないし、育った国が日本だったのかもしれない。

 いずれにせよ、あえて確かめる必要は無い。


「俺は成哉。……さっきの、ようやくってのは?」


 ケントはコンテナの奥を、顎でしゃくった。

 そう、ここはコンテナの中だ。

 上の方に開いた穴から注ぐ光が、薄闇の中に、無数の輪郭を描き出していた。


「見てろよ」


 ケントは腰を上げ、胎児のように丸まっている、手近なひとりに屈みこんだ。

 大人の男性みたいだ。手が口元を隠しているせいで半開きの目が、やけに目立つ。


「おい、おっさん。なぁ、聞こえるか?」


 ケントが男性の頬を、ぺちぺちと叩く、乾いた音がコンテナ内に響いた。

 男性は僅かに目を見開いて、瞳を左右に振った。

 でも、それだけだった。

 それとなく周囲を見渡してみるが、誰もケントの行動に反応する様子はない。


「ほらな。きっと、クスリやってるんだ」

「廃人が集められてるっていうのか? じゃあ、なんで俺たちは……」

「これから、こうなるんだろうさ。オレたち、たぶん、どっかに売られていくんだ」

「どっかって──」

「知らないよ。でも、どっかさ。外国のマフィアとか金持ちの変態ンとこ。そこでクスリ漬けにされて、遊ばれンだ」


 ケントは暗闇の中でも判るほど蒼白になり、震えた。


「さらわれたんだよ、オレたち」


 彼の結論に、成哉は呆然となった。

 さらわれた?

 どうして?

 だれに?


「なぁセイヤ、お前は知らないか? ここに来る前のこと、憶えてないか? それか、何か見たとかさ?」


 促された途端、ズキリと頭が痛んだ。目の前が青白く弾け──


 ……澪の姿が見える。

 流れた前髪の向こう、暗く感情のない目が俺を見下ろしている。

 口の中に焦げた味がし、手のひらには膨らみかけた乳房の手ごたえが蘇った。


「車に乗せられて……スタンガンを押し付けられた。俺、気絶して……」

「それで? その後は!?」

「う──」


 キリキリと、こめかみが軋む。

 目の奥が痺れ、じゅわじゅわと蒸発してしまいそうだ。


「……思い出せない」

「なにひとつか!?」

「ごめん」

 成哉の返答に、ケントはイライラと髪をかきむしり、悪態をついた。


 けれど、それは突如として湧いた異音に呑み込まれてしまう。

 小瓶に押し込まれた何百人もが、一斉に絶叫したような音だった。

 それがコンテナの錆びた蝶番が立てた音だと気づけたのは、視界が真っ白な光に塗りつぶされたせいだった。


「フム」


 光を背負って立っているのは筋肉隆々の大男。

 かっちりした詰襟の軍服は、はち切れんばかりの大胸筋で盛り上がっている。

 腰の左右には拳銃を差したホルスターと、大きく反った鞘込めのサーベルが下げられていた。


「ふたりか」


 男は、ぎょろりとした目で順繰りにコンテナの中の人々を見渡し、そう唸った。

 そして成哉とケントの上に、改めて視線を置いた。


「立て。ここから出るがいい」

「…………」


 成哉は壁を支えに立ち上がった。

 少しずつ目が慣れ、軍服の肩の飾りの向こうに青空が広がっているのが見えた。


「イヤだ……助けて……助けて……ッ」


 ケントは頭を抱え、突っ伏しガタガタと震えている。

 そんな彼を、大男は胡乱そうに眺め、成哉に手で合図してきた。


「そいつを連れて来い。できるな?」


 それだけ言うと、男は、ひょいと出口をくぐり、外の光の中へ消えた。

 成哉は、焦点の定まり始めた視界に、初めて自分の姿を捉えた。


 色のついていない、綿製と思しきシャツとズボンを着せられている。

 縫い目は荒い。

 靴は、スリッポンみたいで軽いものの、ウォーキングには向きそうにない。

 コンテナの中の全員が、まったく同じ格好をしていた。


「これ……緩いな……」


 成哉はズボンから飛び出た腰紐を、締め直そうとした。

 でも指が震え、上手くいかない。


 拉致。


 認めないわけには、いかなかった。

 これは、普通の状況じゃない。

 ケントの推測は、突飛だろうか?

 そう思いたい。

 あり得ない話だと笑いたいけど──


「ケント。なぁ……」

「……釣りへ行く途中だったんだ」


 隣に屈みこんだところへ、ぽつり、とケントが言った。

 成哉に聞かせる、というよりも、言葉を紡がずにはいられない、という感じで。


「近所が、海でさ。崖沿いに道があって、そこから見える景色が、最高なんだ。オレは坂を、自転車で下って行って……」


 そこで記憶が途切れてる、とケントは言った。

 彼もまた、思い出そうとすると頭が痛むみたいだった。


「たぶん途中で、誰かに襲われたんだ。オマエみたいに」


 神崎がケントを?

 成哉は眉をひそめた。

 いったい、どんな繋がりがあるのだろう?

 それとも澪は成哉を、ケントを捕まえた別の誰かに、引き渡したのだろうか?


「親父とお袋、どうしてるかな……日暮れまでに帰るって言って出てきたんだ……きっと心配してる……」


 ケントは、さめざめと泣く。

 成哉は、そんな横顔を、居心地悪く眺める。


「お前の家族も、きっと心配してるよな?」

「……そうだね、たぶん」

「オレんち、犬を飼ってんだよ。ルディっていって、親父が貰って来た時には、こぉんな小さかったんだけどさ。今は……もふもふで、でっかくって……弟みたいなもんだ。家族なんだ。オレと、親父と、お袋と、ルディ……」

「ふぅん……」

「お前んとこは、セイヤ?」

「父さんと母さん。それから……小さい妹」

「そっかぁ……じゃあ、なおさら帰りたいよな?」

「……うん」

「家に帰りてぇ……みんなに会いてぇなぁ……くそっ……ちくしょう……」

 成哉はケントにかけるべき言葉を見つけられないまま、彼の腕を引いた。

「イヤだ! 行きたくねぇ! 何されっか、わかんねぇんだぞ!?」

「行かなきゃならないよ。あいつら、その気になれば俺たちのことなんか好きにしてしまえるはずだ。でも少なくとも今は、無理やり引っ立てるつもりはないんだ。下手に逆らわない方がいいと思う」

「イヤだ……! 素直に言うこと聞いたら、家に帰してくれる保証でも、あんのか!?」

「ないよ。ないけれど──」


 成哉は少し苛立ちながら、それを表に出さないよう深呼吸した。

 出口を見るが、まだ連中が痺れを切らして、ふたりを引きずり出そうとする様子はない。


「どっちにしろ、このコンテナに閉じこもっている限り、望みは無いんだよ。逃げ場も、頼れる相手もいない。状況を変えるには、とにかくここを出なくちゃ」


 ケントだって、それくらいのことは理解しているはずだ。

 それでも外に何が待っているのか判らない恐怖が、二の足を踏ませているんだろう。


「一緒に行こう。俺たちきっと助け合える。ふたりで協力して助かる道を探すんだ」


 ケントの肩が、ぴくっと弾んだ。

 乱れた前髪越しに、怯えた目が、成哉を見る。


「戦おう。大丈夫、俺たちは一蓮托生だ。そうだよね?」

「………………」


 成哉がケントの手を取ると、彼も、握り返してきた。

 ケントは成哉に寄りかかりながら、震える膝に鞭を打った。

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