第13話

 魔神が駆け出すと同時に、ピー子は弾幕を張った。


 銃弾のように尖った様々な物質が、雨あられと真神に向かって降り注ぐ。


 摩擦の熱か文字通り火を噴くそれらは、光の礫となって彼の肉体を貫ぬこうとする。


 しかし魔神は【喰い者】。言わば全身が胃袋のようなもの。全てを喰らい尽くすのが、彼の信条だった。たとえそれが、降り注ぐ雨であれ。


 私は塹壕に身を隠しながら、彼らの戦いの様子を見守る。


 もし私が前線に出ていれば、一瞬で蜂の巣だ。肉の盾にもなりゃしない。


 だから実戦は魔神に任せるとして、私は私でするべきことをする。


 正面からの殴り合いには勝ち目が無い。


 といったら、もうすることは一つだろう。


 精神攻撃だ。


 彼女のメンタルをゴリゴリ削って、絶望させること。それしかない。


 ピー子は少し、私たちを舐めているから。



《プレイヤー》が羨ましいと思うのは、身体をぐちゃぐちゃにされても再生できる事だ。


 骨を粉々にされようと、内臓をかき回されようと、リソースさえ足りているならば何度でも再生可能であること。それは素直に羨ましかった。


 逆に憐れだと思うのは、再生時に痛みまでは消せないこと。


 魔神曰く、身体は元に戻せても、痛みは消えないのだそうだ。


 だから、戦いの直後はいつも全身が痒くなるのだという。


 だとしたら、今の彼は随分と痒い思いをしているのではないかと心配になる。


 雨あられの銃弾を受けた後魔神は、ピー子へ接近を試みた。


 けれどそこは流石のディフェンス。〝修復〟された瓦礫で構成された巨大な手が、まるで魔神を蚊トンボのようにはたき落とす。


 しかしここで折れる魔神ではない。彼は何度だって立ち上がるのだ。


 血まみれになりながらも魔神は、降り注ぐ瓦礫を華麗に躱すと、かぎ爪ロープのようにしなる影を利用して再度ピー子の本体に迫る。


 だがピー子、自らの身体を拡張している。つまりは手足のように、構成物質を動かせるということ。


 彼女は魔神の影が巻き付いた部位を崩落させ、魔神を近づけさせない。彼は影を巧妙に操り地上にこそ落下しないものの、攻めの一手を欠いている。


 まさに一進一退と呼ぶにふさわしい攻防。だけどこのまま行けば、魔神がジリ貧になって負けるだろう。何せレベルに差がありすぎる。


 だからそこに、私の出番がある。


 私はピー子から抜いておいた一本の髪の毛を取り出す。


 そこからすることと言ったらもう、一つしか無いだろう。


 髪の毛を〝修復〟し私は〝ピー子〟の肉体を作り出す。〝私〟ではなく。


 一体どこで枝分かれしたのかはわからない。だけど、私とピー子は今や明確に別の存在となっているのだった。


 私が彼女を作り出したときか、それとも互いに違う時間を過ごすうち、徐々に形が変わっていったのかはわからない。けれどもう、私からピー子を〝修復〟することは出来ないし、ピー子が私になることもない。


 文字通り親離れしてしまったのだな、と少し寂しくなる。が、今はそんな感傷に浸っている場合ではない。


〝修復〟により誕生したもう一人のピー子は、さらにまた別のピー子を作り出す。そうして合わせ鏡のように、ピー子は無限にピー子を作り出す。


 それがどういった意味を持つのかは、ご存じの通りだ。物の価値は、複製されるごとに下がっていく。つまりは彼女自身の価値が下がっていくのだ。


「魔神さん、今です!」


 魔神に呼びかける。


 彼は合図と共にありったけの影を地面に伸ばす。その間もピー子の弾幕攻撃は続いているが、レベルが下がっているので、もう砂埃と何ら変わらない。


 魔神の影が湖のように地面に広がっていく。まるで黒い月のように地面を穿つそれは、中心に魔神だけを残し、周囲のあらゆる物を奪取する。


 あれは奥義のようなものだという。《プレイヤー》が持つ、全開の権能。魔神のそれこそが、あの影なのだった。


「お前は、オレが戴く」


 ゆっくりと、ピー子が飲み込まれていく。溶岩に沈み込むように、時間を掛けて。


「魔神さん、巻きでお願いします」


 しかしピー子も一筋縄ではいかない。彼女が影の中でもがいて抵抗することで、存在の強度が弱いピー子の複製たちが一人ずつ崩壊していく。


 その間も彼女たちは無限に増殖を続けていくが、崩壊するペースがどんどん速くなっていく。


「クソッ!」


 影の範囲が広がる。だが、それでもまだ届かない。ピー子はじたばたと地上へ逃れようともがき続ける。


 見かねて私は走り出す。


「ピー子!」


 沈みかけている瓦礫たちを足場に、私はピー子に近付く。


「馬鹿野郎、何してやがる!」


 魔神が叫ぶが、私は構わずピーコの腕を取り、引き上げる。


 ピー子は元々私だった。だからこそわかる。彼女が何をして欲しいのかが。


「ありがとうピー子。お疲れさま」


 彼女の動きが止まる。


 ピー子は別に、怖がっていたり、嫌がっていたわけじゃない。


 ただ、許してほしかったのだ。壊れた自分を。役割を全うすることが出来ない自分を。


 その結果、自分を見失ってしまっただけだ。


「辛い思いさせたね」


「ごめん……なさい……」


 ピー子が影に飲まれていく。


 これでいいのだ、きっと。


「ここで終わりかよ……クソッ……」


 しかし、影はピー子を完全に奪い去る前に消え去る。


「電池切れですか?」


「ああ。悪いかよ」


 どうやら、魔神の方でも空気を読んでくれたみたいだ。


 そして――


 こういう時に限って、水を差す者というのは現れるものだ。


「悪いが、そいつは我が戴いていこう」


 舞い上がる砂塵の中。軍服を着た一人の女性がこちらに向け歩いてくる。


「おっと、肝心なときに足をすくわれますよ? 最終決戦であなたの中にいるピー子が暴れ始めたりとか」


 何だこのふざけた奴は? と言う視線。


「その前に我が全て奪えば良いだけのこと。そうだろう?」


 地面に転がる魔神を一瞥する。


「どうする? そこの獲物を渡せば、《プレイヤー》の方は見逃してやってもいいが?」


「ラスボスにしちゃ、いまいち風格が足りませんね。最後の最後で召喚された邪神みたいな感じがします」


「我はどちらにするのか? と訊いている。口を慎めよ、【修復者】」


 どうやらこのレベル帯まで来ると、私のことは当然に履修済みらしい。基礎教養レベルになっているのは何だか誇らしささえある。


「第三の選択肢はどうでしょう?」


「ほう。言ってみろ」


「靴を舐める代わりに、今回は見逃して貰うというのは……」


 汚物を見るような女性の視線。


「却下だ」


「ああ、やっぱり」


「貴様が我の下に就く、と言うのであれば考えてやらんこともない」


「その案もあったんですけどね。流石に自分から名乗り出ない人は信用できないって言うか」


「……朧冥夜(おぼろめいや)」


「ありがとうございます」


 名前を教わった手前だが、それでも少し、魔神に対する裏切りが過ぎると思い止まる。


「貴様が来るというのであればお釣りが来る。どうだ? 今からでも転向する気は無いか?」

「やめておきます。ここまで来て鞍替えは、ちょっと自分がなさ過ぎるので」


「そうか。ならば死ね!」サーベルグサッ、返り血プシュー、私死亡。


 なんてことにはならない。どうやら相手さんは、何らかの意図があって、私たちに交渉を持ちかけている感じがする。


「どうしてどちらかだけなんですか? 今のあなたなら、どちらも持って行けますよね?」


「我は、あまりリスクは取らない性質でね。そこの悪食とは違って」


「あー、なるほど」


 二人は流石にカロリーが高すぎたか。


「じゃあ、お好きな方を持って行って下さい」


「どうした? 匙を投げるのか?」


「どの道、ここは選ぶしかない場面でしょう?」


 無駄な抵抗は、却って犠牲を増やすだけだ。


 悔しいがここは、どれかを切り捨てる他ない。


「賢明だな。長生きできるぞ」


 そう言って、軍服の女はピー子を奪取した。


 せめてピー子が、あの女の中で存続し続けられたら、一矢報いるチャンスもあるはずだ。


「君たちは最後にとっておくとしよう。それまで精々、他の《プレイヤー》に奪われないことを祈っているよ」


「お互いにね」


 朧が去って行く。私は捨て台詞を吐くことしか出来ず、悔しかった。

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