トラック姉妹の異世界運送記

倉田恵美

第1話 二人の世界、トラックの夢

 

 春の陽気が柔らかく降り注ぐ、三月の終わり。桜のつぼみがほころび始めた校庭の片隅で、双子の姉妹、彼方(かなた)と此方(こなた)は並んで本を読んでいた。

 

 静かな寮の庭、木漏れ日が揺れるベンチの上。

 二人とも同じ淡い水色のセーラーワンピースを着ていて、膝に置かれた本のページをめくる指先だけが、時折小さく動く。

「ねえ、彼方。次のページ、面白いよ。急に魔法使いが出てくるんだから」

 此方が顔を上げ、隣の姉に微笑む。彼女の声は柔らかく、どこか弾むような響きを帯びていた。

「うん、でも……ちょっと待って。このシーン、なんか切ないなって」

 彼方は少し眉を寄せ、ページに目を落としたまま答える。彼女の手元にあるのは、此方と同じファンタジー小説。

 双子なのに、読む速度は微妙に違う、いつも彼方が少し遅い。

 二人はそっくりだった。肩まで伸びる黒髪、透明感のある白い肌、大きな瞳。

 見分けがつくのは、髪の分け目だけ――彼方が右分け、此方が左分け。

 それでも、寮の仲間や先生たちはよく間違える。

 まるで鏡に映したように同じ顔、同じ仕草。けれど、心の奥には、ほんの少しだけ異なる色があった。

 

 彼方と此方は、名門の一貫校「星見学園」の寮生だ。

 小学校から大学まで続くこの学校は、両親を早くに亡くした姉妹にとって、家族のような場所だった。

 いや、家族そのものと言ってもいい。姉妹には他に頼る親戚もおらず、幼い頃から二人だけで生きてきた。

 学園の寮は、そんな二人を受け入れ、静かな居場所を提供してくれた。

 

 彼方と此方の記憶は、いつも二人で始まる。

 二人が五歳の時、両親は交通事故で亡くなった。詳細は覚えていない。

 覚えているのは、突然訪れた静寂と、二人で手を握り合ったあの夜の冷たい感触だけ。

 親戚の家をたらい回しにされた後、星見学園の特待生制度に救われる形で寮に入った。

 

 学園は、優秀な生徒や事情を抱える子供たちに門戸を開く場所だった。

 姉妹は学力と家事能力で特待生の資格を得たが、その裏には、二人で生きていくための必死の努力があった。

「私たちがしっかりしなきゃ、でしょ?」

 彼方は、幼い頃からそう言って此方を励ました、姉として、たった数分早く生まれただけの自分が、妹を守らなければならないと思っていた。

 だが、実際には彼方の方が気弱で、すぐに不安になる性格だった、夜中に目が覚めて泣きそうになると、隣で寝ている此方の手を握る。

 それだけで、怖さが消えた。

 此方は、姉のそんな一面を愛していた。

「彼方がいるから、私、頑張れるよ」

 此方はいつも笑顔でそう答えた。彼女は姉より少しだけ明るく、好奇心旺盛だった。

 料理や裁縫、掃除――家事全般を率先して覚え、寮での生活を支えた。

 彼女にとって、姉が安心して過ごせる環境を作ることは、何よりも大切な使命だった。

 

 寮生活は厳しかったが、二人にはそれが普通だった。

 朝早く起きて寮の炊事場で朝食の準備を手伝い、授業を受け、放課後は図書室で本を読み、夜は二人で小さな部屋に戻って宿題をする。

 週末には、寮の庭で一緒にケーキを焼いたり、編み物をしたり。

 二人だけの小さな世界は、温かく、壊れそうで、だからこそ大切だった。

 

 彼方と此方の共通の趣味は、読書だった。

 星見学園の図書室は、まるで古い洋館のような雰囲気で、二人にとって聖域だった。埃っぽい本棚の奥、ファンタジーや冒険小説のコーナーに陣取り、時間を忘れてページをめくる。

 魔法の国、剣とモンスター、旅する英雄たちの物語。

 二人はそんな世界に憧れ、物語の中に入り込むようにして現実を忘れた。

「彼方、もし私たちが魔法の国に行ったら、どんな冒険すると思う?」

 ある日、此方が本を閉じながら尋ねた。彼女の瞳は、物語の続きを夢見るようにキラキラしていた。

「うーん……私は、たぶん、魔法の図書館でずっと本を読んでるかな」

 彼方は少し照れながら答えた。

 彼女は冒険よりも、静かな場所で知識を深める方が好きだった。

「えー、それじゃつまんないよ! 私は、ドラゴンと戦ったり、魔法の馬車に乗って旅したりしたいな!」

 此方は笑いながら、両手を広げて馬車の動きを真似た。彼女のそんな仕草に、彼方はいつも心が温かくなるのを感じた。

 そんな二人の日常に、変化が訪れたのは、中学一年生の秋だった。

 ある夜、彼方が見た夢、広大な平原を、大きなトラックが走っている、運転席には彼方自身がいて、隣には此方が座っている。

 

 荷台には色とりどりの荷物が積まれ、遠くに見える城壁の都市を目指している、風が髪を揺らし、トラックのエンジン音が心地よく響く。

 不思議なことに、夢の中の彼方はトラックの運転が完璧だった。現実では免許も持っていないのに。

「ねえ、此方。変な夢を見たんだ」

 翌朝、彼方がその夢を話すと、此方が目を丸くした。

「え、うそ! 私も同じ夢見たよ! トラックに乗って、二人で旅してた!」

 二人は顔を見合わせ、驚きと興奮で笑い合った。同じ夢を見るなんて、双子ならではの奇跡だと思った。

 

 それから、夢は毎晩のように続いた。

 トラックで森を抜け、川を渡り、モンスターを避けながら荷物を届ける。

 時には魔法使いや騎士が現れ、二人に感謝の言葉をかける、夢の中の異世界は、中世ヨーロッパのような石造りの街並みと、魔法で輝く水晶の塔が共存する場所だった。

 衛生観念は驚くほど整っていて、街の市場では日本のようなおにぎりや甘い菓子が売られていた。まるで、二人の好きなものが混ざり合った世界。

「この夢、なんかリアルすぎない?」

 此方が言うと、彼方は少し不安そうに頷いた。

「うん……でも、なんか、楽しくない? 二人で旅してるの」

 彼方の言葉に、此方は笑顔で同意した。二人の夢は、まるで現実の続きのようだった。

 

 

 中学二年生への進級を控えた春休み。

 彼方と此方は、寮の部屋でいつものように本を読んでいた。

 窓の外では桜が満開で、風に花びらが舞っている。部屋には、二人で作ったクッキーの甘い香りが漂っていた。

「彼方、春休み、何か面白いことしようよ。図書室以外で」

 此方が少しふざけた口調で言うと、彼方は笑って答えた。

「え、でも、図書室が一番落ち着くじゃん。新しい本も入荷したみたいだし」

「もう、ほんと彼方ったら! たまには冒険してみようよ、夢みたいに!」

 此方の言葉に、彼方は少しだけ目を輝かせた。

 冒険。夢の中のトラックでの旅、現実ではありえないけれど、なぜか心が躍る。

 その夜、二人は同じベッドで眠りについた。

 いつものように手を握り合い、互いの温もりを感じながら。

 そして、夢が始まった――はずだった。

 目を開けると、そこは見知らぬ場所だった。

 

 広々とした草原、遠くに石造りの城壁が見える。

 空は青く、風は涼やかだ。だが、いつもと違うのは、夢特有のふわっとした感覚がないこと。

 肌に触れる風の冷たさ、草の匂い、遠くで鳴る鳥の声、すべてがあまりにもリアルだった。

「ここ……夢、だよね?」

 彼方が呟くと、隣にいた此方が首を振った。

「ううん、なんか、違う気がする……。ねえ、彼方、あれ見て!」

 此方の指さす先には、大きな四トントラックが停まっていた。白い車体に、荷台には木箱や布袋が積まれている。

 夢で何度も見た、あのトラックだ。

 二人は自分たちの服に気付いた。星見学園の制服――淡い水色のセーラーワンピース、白いタイツ、焦茶色のローファー。

 寮の部屋で寝る時はパジャマだったはずなのに、なぜか制服に変わっている。

「これ、私たちのトラックだよね?」

 此方がトラックに触れながら言うと、彼方は頷いた。

「うん……なんでかわからないけど、そうだと思う」

 二人は同時にトラックに手を伸ばした。その瞬間、心の奥で何かを感じた。まるで、このトラックが自分たちの一部であるかのような、不思議な確信。

「彼方、なんか、わかる気がする。このトラック、私たちが動かせるよ」

 此方の言葉に、彼方は少し不安そうに、でもどこかワクワクしながら頷いた。

「うん……じゃあ、試してみる?」

 運転席に座った彼方は、まるで何年も運転してきたかのように自然にハンドルを握った。エンジンが唸り、トラックが動き出す。

 隣で此方が地図も持たずに道を指さす。

「そっち! あの城壁の街、行ってみよう!」

 二人の声が重なり、トラックは草原を突き進む。

 夢が、現実になった瞬間だった。

 

 城壁の門にたどり着いた時、姉妹は初めて「異世界」にいることを確信した。

 門を守る衛兵たちが、トラックを見て目を丸くしている。鉄の鎧を着た彼らの言葉は、なぜか日本語と同じように理解できた。

「そこの者! その奇妙な馬車は何だ!?」

 衛兵の一人が叫ぶ。彼方が慌てて窓から顔を出し、しどろもどろで答える。

「あ、えっと、これは……トラック、です。荷物を運ぶための……」

「荷物? 商人か? だが、こんな馬車は見たことがないぞ!」 

 

 衛兵たちがざわつく中、一人の女性が現れた。

 背が高く、銀色の軽鎧をまとい、腰には剣を佩いた女騎士。金髪をポニーテールにまとめ、鋭い目つきで姉妹を見据える。

「私はリリア、城壁守備隊の隊長だ。その馬車、どこから来た? 見たところ、転移魔法で来たようだが……」

 リリアの言葉に、彼方と此方は顔を見合わせた。転移魔法? 自分たちがそんなものを使った覚えはない。

「えっと、私たち、急にここに来ちゃって……。これ、夢じゃないんですか?」

 此方の素直な質問に、リリアは一瞬驚いた顔をし、すぐに柔らかい笑みを浮かべた。

「夢、か。面白いことを言うな。だが、この世界は現実だ。モンスターが跋扈する危険な場所だが、城壁の中は安全だ。……とりあえず、中に入れ。話はそこで聞こう」

 リリアに導かれ、姉妹はトラックごと城壁内の都市へ入った。

 石畳の道、木造と石造りの家々、市場の賑わい、そこには夢で見た通りの異世界が広がっていた。

 市場の屋台には、なぜかおにぎりや焼きそばのような食べ物が並んでいる、魔法の光で照らされた看板、衛生的な水道設備。

 まるで日本と中世ヨーロッパが混ざったような不思議な光景だった。

 

 リリアの屋敷に招かれた姉妹は、そこで初めて自分たちの状況を整理した。

「つまり、君たちは別の世界から来た。そして、この『トラック』は、君たちの意思で動く魔法の道具だと?」

 リリアの問いに、彼方はこくこくと頷く。

「はい、たぶん……。夢で何度も使ってたから、動かし方はわかるんです」

「ふむ。面白い。この世界では、輸送系の魔法は非常に珍しい。馬車や飛行船はあるが、君たちのトラックは速くて丈夫そうだ。……試しに、仕事を受けてみるか?」

 リリアの提案に、此方が目を輝かせた。

「仕事? どんなのですか?」

「簡単な荷物運びだ。城壁外の村に食料を届ける。だが、モンスターの危険がある。私の護衛がつくが、君たちの腕が試されるぞ」

 彼方は少し不安そうだったが、此方の「やってみようよ!」という笑顔に押され、頷いた。

 その夜、リリアの屋敷で夕食を振る舞われた姉妹は、驚くほど美味しい料理に舌鼓を打った。

「これ、まるで日本の味だ……!」

 此方が感動しながら言うと、リリアが笑った。

「この世界の魔法は、異世界の文化を取り込むこともできる。食文化は特に発達しているんだ。君たちの世界の『カレー』とかいう料理、ぜひ再現してみてくれ」

 彼方と此方は顔を見合わせ、笑い合った。この世界なら、二人で生きていけるかもしれない。そんな予感がした。

 

 夜、屋敷の客間で二人きりになった時、彼方はふと此方の手を握った。

「此方、怖くない? 急にこんな世界に来ちゃって……」

「うーん、ちょっとドキドキするけど、彼方がいるから大丈夫だよ。ね、トラックで冒険するの、夢みたいで楽しいよね?」

 此方の笑顔に、彼方の心が温かくなる。

 でも、同時に、胸の奥に小さな違和感が生まれた。

 此方を守りたい、ずっと一緒にいたい。

 その気持ちは、姉として当然のものだと思っていた。

 でも、なぜか、もっと強い、もっと特別な何かを感じ始めていた。

「うん、楽しい。……此方がいるから、私、頑張れるよ」

 彼方の言葉に、此方は少し頬を赤らめて笑った。

「私も、彼方がいるから頑張れるよ。ずっと、二人でね」

 その夜、二人は手を握ったまま眠りについた。

 トラックのエンジン音が、遠くで響いているような気がした。

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