徒然ならぬ神がかりな日々

黒烟

第一話 終わりの始まり

 何もない日常が好きだった。

 何かに焦がれて求め続けることもなく。

 何かを悔いて哀しみ続けることもない。

 今日が始まって、ただ一日を過ごして、終わる。

 そんな平熱の日常が。

 それが何故。




「だからさぁあのウワサはマジなんだって」

「学校裏の祠のハナシ?」

「いやいや、まじないの方」


 後ろからクラスメイトとその友人の話し声がする。

 昼食を終え、残りの昼休みをどう過ごすか考えていた。

 よし、日記でも書こう。


 ———

 7月15日 金曜日 晴れ

 今日も何もない素晴らしい1日になりそうだ。

 ———


 よし、今日も完璧だ。


 夏休みが間近に迫り、教室は怪談やらレジャーやらイベントの話題で持ちきりになっている。

 これだけ暑くてよく外に行く話が出来るなぁと思いつつ、

 各々が思い思いに計画を楽しそうに立てている様を見るのは嫌いじゃない。

 ちなみに僕は家でゆっくり過ごす予定だ。今から家で何をするかも考えておこう。

 冷房がなかなか届かない教室後ろの窓際の席で、Yシャツの襟が首に貼りつこうとも、心はバカンス気分であった。


「じゃあ試す?放課後にでも」

「んー、やってみよっか」


 チャイムが鳴った。

 全員が同時にそれぞれの居場所へ戻ろうと動くこの瞬間も、また嫌いじゃない。

 例に漏れず後ろのクラスメイトの友人も自身の教室に戻って行った。



 5時限目の授業は睡魔との闘いだ。

 どれだけ夜にしっかり寝ていようとも奴は姿を現す。

 だが僕は負けない。今までだって7割は勝っているのだ。

 だから今日も勝つさ。勝つ…に…



「…ぇ、どうなってんの」

「なんで…なんで急に暗くなったの!」

「待って窓開かないんだけど!」


 騒がしい声に叩き起こされる。

 くそっ、負けたか。やるな睡魔。

 しかし外が暗い。見回りの教師すら起こしてくれなかったのか?

 などと考えていたら遠くから地鳴りが聞こえて来た。

 足音のようにリズムを刻んでいる。


「ちょっ…ちょっと廊下出てくる」

「ま…待って私も行く」


 後ろのクラスメイトとその友人が廊下へ駆けていく。

 彼女たちも居眠りだろうか。

 いや、昼に放課後何かするような事を言っていた気がする。

 こんな遅くまで何をしていたのだろう。

 彼女らはドアを閉める事も忘れて何処かへ去った。


 地鳴りはさっきよりも強くなっていた。

 窓は震え、黒板に置かれたチョークがカタカタ鳴っている。

 何かが、近づいているようだ。

 異様な状況に、震えが僕の手脚にまで伝染る。

 昼より涼しい筈なのに、汗が出て来た。


 すぐそこに、


 は教室廊下側の磨りガラスにゆっくりと影を写した。

 2mを優に超える身長と神社の彫刻でしか見た事ないような筋骨隆々の体躯。

 擦り加工がされていない小窓には、太く荒々しい牛の角のようなものが見えている。

 猫背のまま歩みを進めるそれの肩には、長方形の影が背負われていた。


 それが開いているドアまで近づいて来る。

 動悸が止まらない。

 隠れるべきか、逃げるべきか、その判断すら下せないほどに、

 恐怖を感じていた。


 ズン、ズンと轟く律動を引き連れ、

 視界から四角く切り取られた教室の入り口に、姿を現す。

 鬼。

 鬼が、立っている。

 赤い肌、黄色く大きな眼、牛のような顔を覗かせる。

 肩に担いでいたのは、大きな肉切り包丁だった。


 鬼は入り口の枠に手をかけ教室を見渡している。

 目が合った。

 鼓膜は周囲の音を拾うことを忘れ、

 心臓だけが消魂けたたましく鼓動する。


 死だ。

 死が目前にいる。

 刹那の間に人生の節々が脳内を駆け巡った。

 これが走馬灯か。

 頭の一部で冷静に受け止めている自分がいた。

 死…

 死にたく、ない。


 鬼は一瞥をくれた後、勢いよく鼻息を鳴らし、

 女子たちが逃げていった方へ去っていった。


「…っはあっ!」

 息の仕方を忘れていた。

 生きて、いる。

 夢では無いだろうか。

 そもそもが夢だと疑いたくなったが、

 脚を伝う液体の感覚と、生暖かく貼り付くズボンが現実味を与えて来る。

 腰が抜けて足に力が入らず、今だに心臓が痛む。


 あまりの出来事に立ち上がることもせず呆けていると、

 耳を劈くような悲鳴が聞こえた。


「いやあぁ!たっ…誰か助けて!」


 その言葉に総毛立った。

 誰かが、死に瀕している。

 その誰かが、助けを求めている。

 胃の中身が膨れ、その場にぶち撒けた。


 気付いたら立ち上がり、走っていた。

 廊下を出て、女子と鬼が向かった、その反対方向へ駆ける。


 僕には、正面切って戦いを挑む勇気も、

 彼女たちの元へ駆けつけて手助けをする度胸も無い。


 だが、見捨てた上に平凡な日常を過ごせるだけの胆力も無い。


『学校裏の祠のハナシ?』


 走馬灯を巡った中で思い出した、クラスメイトの話。

 学校裏にある祠には神様がいて、勝利を授けてくれるという。

 そんな眉唾な噂が昔から続いているようで、部活動の大会前などには各部の部長などが祈願のため参拝をしているそうだ。

 彼女たちの話では、その祠で誰かの声を聞いた者がいたらしい。


 校舎裏から上履きのまま外へ出る。

 学校の外が変貌を遂げていても気づかないフリをして駆けた。

 周りに池など無かった筈だが気にせず足を踏み入れる。

 祠の前に辿り着き、そのまま土下座をした。


「おぇっ、お…お願いします!助けて下さい!」


 我ながら人生で最も情けない瞬間だと思う。

 危機に陥っているクラスメイトを放置し、居るかもわからない存在へ神頼みだ。

 涙と鼻水が止め処無く溢れ出て来る。


「同級生を助けて下さい!み…見殺しにしたくないんです!」


 振り絞るように願ったが、反応はない。

 強力な何かに縋ろうとすることは間違いだったのだろうか。

 とても無力で、絶望的だ。

 こんな無意味なことをするより、直ぐ助けに向かうべきだったのかもしれない。

 もう、これ以上動く気力もない。

 それでも、立ち上がらなくては。


「プッ…ククッ…」


 何処からか笑いを堪える声がした。

 顔を上げると、銀髪の少女がこちらを見下している。


「アハハハッ!お主愉快じゃのぉ!」


 少女は笑いながら屈んで顔を近づけて来た。


「小便と吐瀉物を撒き散らし、鼻を垂らして泣き喚きながらワシに懇願して来たと思えば学友を助けろとな。滑稽、滑稽」


 罵倒を飛ばしながら腹を抱えて笑っている。祠の神だろうか。

 僅かに光明が見えた気がした。


「おっ…お願いします!相応の対価も支払います!」


 少女は思い悩む仕草をしながら薄ら笑いを浮かべている。


「叶えられん願いではないが…対価としてお主の全てをいただくぞ、それでも良いのか?」

「構いません」


 迷いはなかった。

 感情的で後先を考えていないとはいえ、

 これ以外に、胸を張って生きれる選択肢はない。

 少女は再び腹を抱えて笑う。


「信じられぬなお主、赤の他人じゃぞ?」


 我ながらイカれた行動だと自覚はある。

 僕は巻き込まれただけ、助ける義理など微塵もない。

 興味本位でまじないに手を出して死のうとも、

 それは彼女たちの自業自得だ。

 だが、助けを求められてしまった。

 それが自分へ向けられたものでなくても、聞いてしまった。

 見捨てたことを悔いて日常を送るのは死ぬよりも辛い。

 だから、これは自分の為の願いだ。


「まあいい、この戦の神が手を貸してやるかの」


 やれやれと言わんばかりに少女は鼻を鳴らす。

 願いを聞き入れてもらえたのだ。只々頭を下げるしかない。


「ではお主の身体を寄越せ」

「…はい?」


 聞き違いか?

 鬼と戦ってくれるのではないのだろうか。


「全てを捧げるのじゃろう?その肉体、使うてやろう」


 まさか僕に憑依して戦うというのだろうか。

 自慢じゃないが万年帰宅部の僕には平均的な運動能力があるかも怪しい。

 憑依によって強化でもされるのだろうか。


「ど…どうぞ」


 困惑しながらも腕を広げ受け入れる準備をする。

 このポーズで問題ないだろうか。


「ふむ、では」


 少女が胸の中に収まっていく。

 比喩表現というより、物理的に重なった。


「うーむ」


 自分の声帯から意図しない言葉が発せられた。

 代わりに僕が思うように喋れない。

 成功したのだろうか。


「貧弱!」


 思いもよらぬ言葉が発せられた。


「なんじゃこの弱っちぃ身体は、お主ちゃんと飯食うとるんか?」


 震えているのは持ち前の声帯の筈だが声色が違う。

 少女の声のようだ。


「ワシが生きておった時代のの子にはもうちっと膂力があったぞ。この身体では戦は疎か農耕でも役には立たんのぅ。ププゥざーこ♡ざーこ♡」


 自身の声帯から自分の罵倒が発せられるという貴重な体験が続く。

 あ…あの…そろそろ向かっていただけないでしょうか。


「おおそうだった、すまんすまん」


 どうやら意思疎通は出来るらしい。

 次の瞬間、ありえない速度で景色が流れ始めた。

 しばらくして自分が走っているのだと気付く。

 やはり肉体にも変化があるのか。

 走る中で視界に捉えた鏡には、灰色に染まり伸びた髪の自分が写っていた。


「神降ろしは多少元の肉体に影響を与えるからの。ただお主の筋肉は影響があっても貧弱なままじゃがな」


 カラコロと鈴が転がるように笑う。

 も…申し訳ない…


「ぬはは、憤らずに謝るか情けないのぉ」


 戦の神という仰々しい者に粗末な肉体を貸しているのだ。

 感情的には恥の方が勝る。

 戦の神はまた笑った。


 再び甲高い悲鳴が二つ分、鼓膜を揺らす。

 よかった、まだ無事なようだ。


「にしても勝てるかの」


 えっ。

 急に不穏な空気が流れた。

 こちらは全てを捧げているというのに。


「まあ安心せい。ワシとしては勝てるか負けるか紙一重のこの感覚、久々で悪くないからの!」


 安心できる要素を教えてくれ。

 だがもうなるようにしかならない。

 もう神に祈ろう。


 地響きの根源と思わしき教室へ足を踏み入れる。


「待たせたのう悪鬼よ!」


 入るや否やすかさず見得を切る。

 教室の端では女子二人が蹲っており、その前では鬼が刃を振り翳していた。

 間に合った。


「ふはは!ワシが成敗してくれるっ」


 セリフを言い終わる前に、机を踏み台にしてそのまま鬼へ飛び蹴りを喰らわした。

 鬼はよろめきもせず頭を左右に振った後、空間ごと震えるような咆哮を上げる。


「ふむ、全く効いておらんの」


 しかも怒らせただけではないだろうか。

 鬼は振り上げた刃をこちらに下ろして来た。

 身を翻し、別の机に着地する。

 こんな動きができるのか、僕の身体。


 こちらの存在に気づいたクラスメイトが泣き腫らした顔で叫んだ。


「おっ…お願い、助けて!」

「知らんっ!」


 なんてことを言うんだ、僕の声帯。

 相手も呆気に取られている。


「ワシは闘いたいからここにいるだけじゃ。貴様らは勝手に生きるか、勝手に死ねいっ!」


 クラスメイトは口を開けたまま呆然としている。

 無理もない、こちらも同じ気持ちだ。


「しっかしこれでは埒が明かないのぅ…武器でもあれば術を叩き込めるのじゃが…」


 令和の世の学舎にそんな物騒なものがあるだろうか。

 などと考えていると視線は黒板横に置かれた棒に移る。


「うむ、これでいいかの」


 そっそれは…

 スクリーンを降ろすときに使う長い棒!

 掃除の時に遊ぶ男子は居るが武器とは縁遠い日常の道具!


「よし、来い、鬼よ!」


 こちらの唖然を無視して棒を構える。

 鬼は再び咆哮を上げこちらに突進して来た。

 矢継ぎ早の出来事に感情が追いついてこない。

 だが全てを振り払い、この神を応援することに決めた。

 頼む、勝ってくれ!


「その願い、聞き入れた!」


 凄まじい勢いで振り下ろされた攻撃を回避し、床に食い込む包丁を足掛かりに鬼の頭部を目指す。


「愉しかったぞ、名も知らぬ鬼よ。さらばだ!」


 そのまま眉間に棒の先端を突きつけた。

 鬼は苦悶の表情を浮かべ、頭部から塵と化していく。


「こんなもんかの」


 棒で床を叩き一息つく。

 本当に助かった。一時はどうなるかと思ったが。


「まーお主の肉体じゃ心配も無理はない。ワシが優秀じゃから勝てたのじゃ」


 返す言葉もない。只管感謝だ。


 そういえば女子二人はどうしているだろうか。

 片方は既に気絶しており、もう片方も息絶え絶えで涙を浮かべている。

 だいぶ憔悴しているようだ。


「あ…」


 それでも何かを伝えようとしている。


「あり…がとう…」


 感謝の言葉を述べ、彼女も気を失った。

 それはこちらのセリフだ。

 勝手に助かってくれて、ありがとう。

 ずっと張り続けていた何かが切れる音がして、意識は暗闇に沈んでいった。



 目を覚ますと夕陽に照らされ茜色に染まる教室が現れた。

 遠くでは運動部の掛け声とラッパや打楽器の音が聞こえてくる。

 馴染みのあるいつもの放課後だ。

 全て夢の出来事だったのだろうか。


「夢ではないぞ」


 思わず飛び上がり椅子を鳴らした。

 前の席に夢で見た少女が座っている。

 戦の神だ。何故此処に?


「何故も何も契約したしのう。お主はワシの物になったわけじゃし」


 そういえば全てを捧げていた。

 しかし取り込まれている様子はなく現実に戻って来れている。

 ちなみに何をなさるおつもりだろうか。


「うむ、お主にはワシの暇つぶしに付き合ってもらう」


 つまり、どういうことだろうか。


「悪そうな奴を見つけ出して、片っ端から闘ってもらうのじゃ。ワシの気が済むまでな」


 また動悸がしてきた。

 家に引きこもって過ごす僕の夏休みは?

 何もない珠玉の日常はどうなるのだろうか。


「ププー今更後悔しおったか、阿呆が」


 戦の神が指を指してやーいやーいと嘲笑ってくる。

 どうやら僕の理想はついえて、新たな日常が始まったようだ。




 何もない日常が好きだった。

 誰も死なず。

 誰も奪われない。

 何も視界に入れず、平和に一日が終わる。

 そんなありふれた日常が。

 それが何故。


 いや、自分の所為だな。

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徒然ならぬ神がかりな日々 黒烟 @kurokemuri

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