陰と陽

宵月乃 雪白

揺らめき

 いつものように冷たい床に寝転がりながら、暇つぶし感覚でSNSを徘徊していた時に、何気なく見た投稿だった。

「えっ……」

『愛情表現いっぱいしてくれる彼氏最高すぎ』

 その投稿を見た瞬間、ボクの手からスマホが落っこちて思いっきり顔に当たった。

「痛っ」

 当たりどころがよかったのか、それともこの投稿のせいか。ボクの目からはボク自身がびっくりするほど、涙が溢れて止まらなかった。

 スマホの画面に映る1人の男。電車内で撮影されたと思われるこの写真の男は、黒いマスクをして髪を少し赤く染めている。全身画像ではなく、座った横顔だけの写真。一瞬知り合いかと思って画像をよく見てみたが、マスクをしているため知り合いかどうかまでは分からなかった。

 何を思ったのかボクは慣れた手つきでその画像をスクリーンショットして保存した。

 一体何をやっているのだろうか。写真なんて保存するだけ容量となってストレージを圧迫するだけだというのに。ボクは削除する気にもなれず、その写真を保存したスマホ片手に奥の部屋に向かった。

 部屋のカーテンを閉め忘れたのか電気をつけていないのに部屋が明るかった。こういう日は電気をつけないで、すぐに寝るのがいつものルーティーンなのだけど、今日ばかりはそういう気にもなれず、小説や漫画だらけの部屋の隅に置いてあった簡易ベッドのような粗末なベッドに半ば倒れるよう横たわり、もう一度スマホを開いた。

「やっぱりなぁ」

 やっぱり彼女とボクの住む世界は違ったのだ。圧倒的な陽と陽から堕ちた汚いドブとは思考も見ている世界も何もかもが異なっている。「ありがとう」の言葉を素直にありがとうとを受け取る彼女と、お世辞だ何か裏があるに違いないと考えるボクとでは幸せになるための道のりの長さが違うんだよな。

 そう分かっているのに、理解したくないボクがいた。

 いやでも現実を映し出してくるスマホに苛立ちを覚えたが投げることはできず、枕の下に押し込むよう、その存在をないものとするように奥へ奥へと自分が忘れるくらい奥にしまおうと押し込んだら、鈍い音を立てて床に落ちた。

 拾う気にもなれず、そのまま放置し、ベッドの上で一番安心する体を丸め込む体制になった。

 彼女は当時、友達のいなかったボクに初めて話しかけてくれた唯一の人間だった。連絡先も交換して、他の人と仲良くなるチきっかけをくれたのも彼女だ。そんな社交的な彼女のことをいつの間にかボクは好きになっていた。

 最初は人として好きだった。沢山の人に自分から話しかけ、自らのことを聞かれてもいないのに曝け出していく彼女が。ボクは自分の星座とは反対に初対面の人に対して自らを曝け出すのは苦手だから心底、彼女を尊敬した。こういう人になりたかったと思った。

 そんな密かな憧れだった彼女と2人きりになる時間がたまたまあった。せっかくの瞬間なのにボクは相変わらず俯いていて、頭の中で彼女と話すシュミレーションをしていた。どんな話し方が彼女にとって不快ではないか、どんな言葉が地雷になるのか、どんな顔をして話せばいいのだろうか。なんてことを彼女がいる横で、彼女がいるにも関わらずそんなことをずっと考えていた。

 そんな時だった。彼女が話しかけてきたのは、連絡先を交換してからというもの全くと言っていいほど話していなかった彼女が「久しぶりだね」と話しかけてくれた。沈黙に耐えられなかったのかもしれない。だけど、どんな理由でも話しかけてくれたという事実が嬉しかった。この時彼女と話したのは10分にも満たなかったが、ボクにとっては永遠の時間に等しい価値があった。

 そのあとだった、ボクがこの思いに気づいたのは。憧れではなく、恋として彼女が好きだということに。

 けれど、この想いを伝える気にはならなかった。彼女にはボクみたいな暗い人間ではなく、彼女と同様明るい太陽のような人が隣にいるべきだと思ったから。だけど、それと同時に彼女をこれまでに好きなのは自分しかいないという変な自信もあった。

 だからと言って彼女の後をつけたり、裏垢を探したりなどの行為は一切しなかった。そんなことをしたら、ボクが彼女に向ける好意がけがれてしまうような気がしたから。なのにボクは今日たまたま彼女の投稿を見てしまった。

 連絡先と同時に交換したSNSがこんな形でボクに現実を知らしめてくるなんて思っても見なかったんだ。

 画像で見た彼はボクと違って明るそうだった。髪も明るく染まった彼と彼女はお似合いだ。

 想いを伝えない=諦めるなのにどうしてボクはこんなにも胸が苦しいのだろう。肺に残った酸素でなんとか意識を保とうとみたいに、ぎゅっと心臓を握られながら呼吸をするみたいに苦しい。

 彼女と出会った時に、いやその前から変わる努力をすればよかった。全員に好かれなくていい。彼女にだけ好かれる努力をすればよかった。

 後悔なんてしてももう遅い。

 体を起こすとまた、頬に一筋の涙が伝った。泣いても仕方ないのに、彼女のことを考えてもこの想いは彼女には伝わらないのに、泣いてしまうし彼女のことばかり考えてしまう。

 月が雲から顔をだし、再び部屋に淡い光を灯す。窓際から放たれるその光はボクには届かず、窓際に置かれたミニサボテンやパキラ、ポトスに夜の光を届けた。

 ボクはどれだけ努力しても多分、そちら側の人間にはなれない。なりたくないのかもしれない。

 重い腰を上げ足を引きづりながら、小さなサイドテーブルにのっていた本を整頓された本棚に片付け、いつの日か買った蝋燭とマッチ、メモ帳と万年筆をカバンから取り出した。

 紙だらけのこの部屋にこの炎が引火したらどうなるだろう? やっぱり燃えるだろうな。まずはこのメモ帳に火がついて、それから徐々に他の紙を伝いながら姿を大きくし、最終的にはボクを巻き込んでくれるのだろう。そんなことを考えているにも関わらずボクの手は震えることなくマッチに火をつけ、まっさらな蝋燭に移した。

 ボクは気づけばいつも炎を見上げていたが、今日は見下ろしていた。美しい赤のゆらめきは小さくてもこんなにボクの心に残るんだ。見下ろす炎も悪くはないのだが、いつものような高揚感はない。けど今日はそれでいい。

 メモ帳を一枚破り、できるだけ丁寧に君への想いをのせながら君の名前を書いていく。

 初めて書いた君の名前は炎のようにとても綺麗だった。

 赤く染まった細い小さな空間に君への想いをのせた紙を静かに落とす。

「どうかお幸せに」

 ボクの想いが君に届かないみたいに紙がひっそりと人知れず、小さな叫び声のような音を立てちりとなった。

「さようなら」

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